貴方も私も人じゃない181

「くそっ…」
鎮流は車の後部扉を開いて源三を押し込んだ。持ってきたあとにきちんと手入れしたらしい、しばらく山林の中で放置されていたにしては車は綺麗だった。
「何者だ!」
後ろでは屋敷がざわざわと騒がしさを増していく。松明が焚かれ、煌々と明るくなり始めた。
鎮流は孫市、サヤカがそう簡単に動けなくなったと判断すると、自分も車に乗り込んで源三の怪我の様子を見た。
「ーっ…………」
「爺や、動ける?」
「…む、りそう、です…ッ」
「…そうよね……。 ……ッ」
どうする。
鎮流は自分は死ぬ気満々であったが、源三を死なせるつもりはなかった。別れた後にここまで生きながらえたのだ、これ以上自分に付き合わせ、そして死なせまではしたくなかった。
だが源三の腹の傷の血は止まらない。脾臓に当たっていたのだとしたら、この血は早々に止まらない。源三も歳だ、出欠多量で死ぬ可能性は大いにある。だが脾臓が破裂していたとして、この時代の医療技術で治せるだろうか。

無理だ。
考えずともその結論は出た。このままでは源三は死ぬ。確実に死ぬ。
「……あ…………」
元の世界に帰れば。
頭に浮かんだ想いに、はっとなる。かつてはそれを目的に豊臣に入ったはずだったのに、それを目的としなくなったのはいつからだったろうか。
「…ッ」
迷っている時間はない。結局元の世界への帰り方などわからなかった。考えて、思い付いた可能性は1つだけ。だがそれを試せば死ぬ。間違いなく死ぬ。
それでも、このままでも源三は死ぬ。そして自分はここで生き残ろうが明日には処刑される。どちらにせよ自分の死は確定している。
それならば。
「……………」
「鎮流!!」
家康の焦ったような声が聞こえた。共に過ごし、再確認してしまった愛おしさ。彼に殺されたいという、死の間際で抱いた1つの願い。
「家康様!」
だが、捨てる。そんな願いは捨てる。
掴むのは、1%にも満たない可能性。
「!鎮流殿、どこに、」
鎮流は寝巻きに巻いていた細帯の一つを外し、源三が傷口に当てていたハンカチを縛る。
そのまま運転席に滑り込むように座る。運転はしたことがないから見よう見まねだ。キーを捻るが、エンジンが入らない。
「お暇をいただきとう存じます」
「!!鎮流殿!!」
「…ブレーキペダルを…踏みながら……」
家康の、更に焦ったような声が聞こえる。源三は鎮流が何をしようとしているのか薄々察したらしい、弱々しい声でそう言ってきた。
鎮流は言われた通りにブレーキペダルを踏みながらキーを捻れば、エンジンが入った。
夜闇に響く駆動音に、ざわめきが起こる。
「鎮流殿!!待ってくれ…!」
「シフトレバーをDレンジへ…あとは……ッ」
「申し訳ありません。ですがご安心を。行き先は、この世ではありません故………!」
鎮流は勢いよくアクセルペダルを踏み込んだ。車ががくん、と揺れて勢いよく走り出す。
「!鎮流殿…!」
鎮流はぐるぐるとハンドルを回す。ぶつかるまいと注意しなければ車はそこまで難しいものではなさそうだ。
鎮流は裏庭を突っ切り、裏門へと向かう。ちらり、と屋敷に目をやれば、家康が驚いたようにこちらをみているのが見えた。
「……………さようなら。愛しい人」
鎮流はそう小さく呟き、視線を前へやった。
「う、うわ!?」
「ひいい?!」
かろうじて人を避けながら、裏門を突破した。



少し車を走らせれば、すぐに海岸線にたどり着いた。少し崖になっている所を探し、車を止める。
後ろを振り返ると、荒い運転ながらも源三は無事だった。ぜえぜえと息は荒いが、意識はある。
「…お嬢様………」
「…万が一の可能性よ。どうせあなたはここでは死んでしまう。私もいても明日には死ぬ。だったら試すのも悪くないでしょ?」
「…そうですな……あなたの側で死ねるのはならば、それも悪くはありません…」
源三はふ、と小さく笑った。鎮流もそれに笑って返した。
前に向き直り、アクセルを踏み込もうとしたところで、忠勝の音が聞こえた。鎮流は窓を開け、空を見た。
「………!」
空に家康がいた。三日月に照らされ、その姿が浮かび上がっている。
「……」
鎮流はその姿に目を細めた。そして薄く笑いを浮かべ、身を乗り出した。
「家康!貴方も私も、人じゃない!」
家康に聞こえているだろうか。それは分からないが、家康はその位置から降りてくることはしなかった。
鎮流はにこり、と満面の笑みを浮かべる。
鎮流のやってきたことは人道的でない。だが今の家康も、天下人である今の家康も、もはや普通の人間ではない。
だから笑って叫ぶように言った。

「でもあなたは!また、人になってくださいね!!」

家康の目が見開かれたような気がした。鎮流は最後までは確認せず、アクセルを踏み込んだ。

止まっていた黒い車は勢いよく発進し、崖から海へと飛び出し、落ちていった。