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貴方も私も人じゃない182(終)

ーーー
ーー



「…………う…?」
パチパチと何かが爆ぜる音で目が覚める。はっ、と勢いよく身体を起こすと、ばしゃりと水の跳ねる音がした。その音に身体を見下ろせば、下半身が水に浸かっていた。
「……!」
急いで周りを見渡す。自分がいるのはどうみても川原。それも見覚えのある、川原。
ーあの日、落ちた、
少し離れたところには、炎上している車がある。その車の側で、源三が倒れているのを見つけた。
「ッー」
鎮流は川から上がると源三に駆け寄り、遠くに見えた野次馬が寄ってくる前に源三が装備していた短刀を全て川に投げ捨てた。
そしてすぐに、うつ伏せで倒れていた源三の身体を仰向けに返した。
「…う………」
まだ息がある。鎮流はほっと息をつき、改めて周りを見渡した。
「……………」
高層ビル。騒がしい車の行き交う音。
大丈夫ですか、と話しかける人間の声も聞こえない。
ーあぁ
鎮流は脱力したように空を見上げた。

ーー帰ってきてしまった



「……………今の……」
家康は目の前で海に飛び出し、着水する前に消えた車を確かに見た。家康はしばし茫然と静かに波打つ海を見下ろしていた。
ぎゅいん、という忠勝の奏でた音で我に返る。
「……」
少しして家康は、はっ、と小さく笑い声を漏らした。
「は、はは…ッ。そうか……あなたは、この国の……この世の人間ではなかったんだな……鎮流殿」
家康は忠勝に下に降りるように指示し、崖に降り立った。崖の先端まで進み、静かな海を見下ろす。三日月に照らされた海は、色々な形に光を反射させていた。
ー貴方も私も人じゃない。でも、あなたはまた人になってくださいね
消える直前、鎮流はそう叫んでいた。柔らかい、満面の笑みを浮かべて、そう叫んでいた。
「…あぁ、約束するよ鎮流殿。それがいつになるかは分からないが……必ず、ワシはただの人に戻ろう。だから、」
家康は空を見上げた。煌々と照る月は、ある人物を想起させる。家康はその月に向かって、微笑んで見せた。
「だからあなたも。……人に戻るんだぞ、鎮流殿」
その呟きが届くことはない。

天下のために自らの想いを殺した。それでも、抱き続けてしまった【徳川家康】の願望。

誰よりも鎮流は家康の選択を拒絶した。誰もが否定しなかった家康の選択を否定した。だが、そうして家康が惨めにも持ち続けてしまった願望は、否定するどころか自分の家康への憎しみを差し置いてでも受け入れ、肯定してくれた。

そんな彼女が最後に家康に告げた想いを、裏切ることなどできなかった。例えそれが、自分の選択を裏切るようなものであったとしても。

「鎮流殿。ワシは、あなたに会えてよかった。幸せだった……あぁ、せめてこれだけは伝えておくべきだったなぁ」
家康は困ったように笑いながら、手の甲を目元に押し付けた。

ーありがとう

家康はそう胸の内で呟くと、忠勝を振り返った。
「帰ろう、忠勝!やることは山積みだ!」
家康はそう言うと忠勝の返事を待たずに、後ろへ少し下がって助走をつけて走り出し、ジャンプした。
崖から飛び出した形の家康を忠勝は下から掬い上げるようにキャッチし、二人はそのまま城へと飛んでいった。





「鎮流!無事だったのか!」
「お父様」
「警察から連絡が来たときは安心したぞ…!だがお前、何も覚えていないのか?この半年…」
「…申し訳ありませんお父様。全く」
翌日、鎮流は保護された病院で父と再会していた。驚いたことに、こちらでは半年ほどしか時間が経っていなかった。全て話したところで信用されるどころか気が狂ったと思いかねない。なので源三と口裏を合わせ、何も覚えていないことにすることにしたのだ。
「…そうか。お前を誘拐した不埒者に然るべき罰を与えたいところだったが、それでは無理だろうな…」
「爺やの怪我は…」
「む?あぁ、源三か。命に別状はない、気にするな」
「…それはよかったです」
鎮流はほっと胸を撫で下ろした。源三が助かったのならば、願望を捨てた甲斐があったというものだ。
「うむ。源三といえば、あいつからは別に話を聞いている、その事で少し話がある」
「?はい」
「どうやら勇一と慎二があいつを脅迫していたそうでな。お前とあの二人を同じ家に住まわせるわけにはいかなくなった」
「…………」
鎮流は意外そうに父を見た。
源三が最初に起こした事故が、わざとであることは分かっていた。というより、知っていた。二人の兄が鎮流を始末しなければ息子の就職も結婚話を破断にさせると、源三を脅迫していたことは。しがない政治家だがそれくらいの力はある。
源三が強攻手段に出たのは、父にも信用されないと思っていたからだろうと考えていたのだが。
「…いや、私も信じたくはないのだがな。源三の奴め、意識が戻るなり開口一番にそれを言うのだ。信じてくれないのならばもう二人を殺すしかないとでもいう剣幕でな。信じるしかあるまい」
「………………」
「そこで、だ。お前は将来どうなりたい?」
急な父からの問いかけに鎮流は僅かに驚いたが、自分の今後など戻ってきた時点で決めていた。
あの世界で犯した罪の償いは、もはやできない。
ならばこの世界で、家康のように、他者のために身を捧げるまで。
「私は御子柴の家を出てでも、政治家になりたいです」
父が驚いたのが目に見えて分かる。
鎮流にとって、他者のためにできる力と言えばそれくらいしかなかった。
「…そうか。いや、そう即答できるくらい決めているならば寧ろ都合がいい。自民党の友人に子供に恵まれなかった奴がいてな。お前は政治家としては優秀な娘だ、是非養子にとの話が来ていた。悪い話ではないが、そうなると政治家以外の道はなくなってしまうからな、お前にはまだ話していなかった。どうだ、受けるか」
「…!是非とも」
「よし分かった、そう伝えよう。今は休め、身体が疲弊していると聞いている。私は二人を問い詰めてくる」
「分かりましたお父様」
彼はそれだけ言うと、さっさと部屋を出ていった。鎮流は頭を下げてそれを見送り、部屋の扉がしまった音でその身体を布団にぼすんと沈めた。
「…家康様。私も貴方のようになれば、少しは償いになるでしょうか……」
鎮流はそう呟いて目を閉じた。


新たな道はそうそう開き始めている。
これからの選択に迷うことはない。これまで迷わなかった時のように。

彼も彼女も人ではない。
人でない道を自ら選んでしまったが故に。
だがだから、これから人になることを目指すのだ。

共に同じ、だが異なる道を進みながら、同じ場所を目指していくのだ。

お互いが、そこへ到達することを願いながらーーーー






END
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貴方も私も人じゃない181

「くそっ…」
鎮流は車の後部扉を開いて源三を押し込んだ。持ってきたあとにきちんと手入れしたらしい、しばらく山林の中で放置されていたにしては車は綺麗だった。
「何者だ!」
後ろでは屋敷がざわざわと騒がしさを増していく。松明が焚かれ、煌々と明るくなり始めた。
鎮流は孫市、サヤカがそう簡単に動けなくなったと判断すると、自分も車に乗り込んで源三の怪我の様子を見た。
「ーっ…………」
「爺や、動ける?」
「…む、りそう、です…ッ」
「…そうよね……。 ……ッ」
どうする。
鎮流は自分は死ぬ気満々であったが、源三を死なせるつもりはなかった。別れた後にここまで生きながらえたのだ、これ以上自分に付き合わせ、そして死なせまではしたくなかった。
だが源三の腹の傷の血は止まらない。脾臓に当たっていたのだとしたら、この血は早々に止まらない。源三も歳だ、出欠多量で死ぬ可能性は大いにある。だが脾臓が破裂していたとして、この時代の医療技術で治せるだろうか。

無理だ。
考えずともその結論は出た。このままでは源三は死ぬ。確実に死ぬ。
「……あ…………」
元の世界に帰れば。
頭に浮かんだ想いに、はっとなる。かつてはそれを目的に豊臣に入ったはずだったのに、それを目的としなくなったのはいつからだったろうか。
「…ッ」
迷っている時間はない。結局元の世界への帰り方などわからなかった。考えて、思い付いた可能性は1つだけ。だがそれを試せば死ぬ。間違いなく死ぬ。
それでも、このままでも源三は死ぬ。そして自分はここで生き残ろうが明日には処刑される。どちらにせよ自分の死は確定している。
それならば。
「……………」
「鎮流!!」
家康の焦ったような声が聞こえた。共に過ごし、再確認してしまった愛おしさ。彼に殺されたいという、死の間際で抱いた1つの願い。
「家康様!」
だが、捨てる。そんな願いは捨てる。
掴むのは、1%にも満たない可能性。
「!鎮流殿、どこに、」
鎮流は寝巻きに巻いていた細帯の一つを外し、源三が傷口に当てていたハンカチを縛る。
そのまま運転席に滑り込むように座る。運転はしたことがないから見よう見まねだ。キーを捻るが、エンジンが入らない。
「お暇をいただきとう存じます」
「!!鎮流殿!!」
「…ブレーキペダルを…踏みながら……」
家康の、更に焦ったような声が聞こえる。源三は鎮流が何をしようとしているのか薄々察したらしい、弱々しい声でそう言ってきた。
鎮流は言われた通りにブレーキペダルを踏みながらキーを捻れば、エンジンが入った。
夜闇に響く駆動音に、ざわめきが起こる。
「鎮流殿!!待ってくれ…!」
「シフトレバーをDレンジへ…あとは……ッ」
「申し訳ありません。ですがご安心を。行き先は、この世ではありません故………!」
鎮流は勢いよくアクセルペダルを踏み込んだ。車ががくん、と揺れて勢いよく走り出す。
「!鎮流殿…!」
鎮流はぐるぐるとハンドルを回す。ぶつかるまいと注意しなければ車はそこまで難しいものではなさそうだ。
鎮流は裏庭を突っ切り、裏門へと向かう。ちらり、と屋敷に目をやれば、家康が驚いたようにこちらをみているのが見えた。
「……………さようなら。愛しい人」
鎮流はそう小さく呟き、視線を前へやった。
「う、うわ!?」
「ひいい?!」
かろうじて人を避けながら、裏門を突破した。



少し車を走らせれば、すぐに海岸線にたどり着いた。少し崖になっている所を探し、車を止める。
後ろを振り返ると、荒い運転ながらも源三は無事だった。ぜえぜえと息は荒いが、意識はある。
「…お嬢様………」
「…万が一の可能性よ。どうせあなたはここでは死んでしまう。私もいても明日には死ぬ。だったら試すのも悪くないでしょ?」
「…そうですな……あなたの側で死ねるのはならば、それも悪くはありません…」
源三はふ、と小さく笑った。鎮流もそれに笑って返した。
前に向き直り、アクセルを踏み込もうとしたところで、忠勝の音が聞こえた。鎮流は窓を開け、空を見た。
「………!」
空に家康がいた。三日月に照らされ、その姿が浮かび上がっている。
「……」
鎮流はその姿に目を細めた。そして薄く笑いを浮かべ、身を乗り出した。
「家康!貴方も私も、人じゃない!」
家康に聞こえているだろうか。それは分からないが、家康はその位置から降りてくることはしなかった。
鎮流はにこり、と満面の笑みを浮かべる。
鎮流のやってきたことは人道的でない。だが今の家康も、天下人である今の家康も、もはや普通の人間ではない。
だから笑って叫ぶように言った。

「でもあなたは!また、人になってくださいね!!」

家康の目が見開かれたような気がした。鎮流は最後までは確認せず、アクセルを踏み込んだ。

止まっていた黒い車は勢いよく発進し、崖から海へと飛び出し、落ちていった。

貴方も私も人じゃない180

二人は時間差で仕掛けてきた。多少都合がいい。
同じく刀で斬りかかってきた男の攻撃を、右手を側面に降り下ろすことで剣撃を誘導しながら、今度は左に避ける。つんのめった男の刀を、先と同じ場所で左手で掴む。そのまま上に引くようにして刀を奪い、刀の背に右手を添え、そのまま勢いを殺しきれず前に進んでしまった男の身体に押し付ける。
ぞぶり、と刃が身体に沈み込む。鎮流はそのまま左手で刀を引き、それに合わせて相手の肉がそぎれた。
「ぐあっ…」
男が怯む。鎮流は刀を手にしたまま、数歩後ろに下がる。後ろの男はもう振りかぶっている。鎮流は刀を捨てず、横向きに、やや上段に構えた。勢いよく降り下ろされた刀を受けずに斜め後ろに下がる。
横向きに構えていたことから受けるだろうと思っていた男は即座に体勢を直せない。鎮流は上段の位置からそのまま振りかぶり、相手の首筋にそれを勢いよく降り下ろした。
「ぎぇっ!」
深く入ったか、骨に当たって刀が止まる。鎮流は後ろにそれを引いて刀を抜いた。勢いよく噴き出す血をよけるため、また数歩下がった。
「………ふぅっ」
鎮流は止めてしまっていた息を吐き出した。ぴくぴく、と微妙に息がある男の心臓部に持っていた刀を突き刺し、とどめをさしてから鎮流はようやく3人をよくよく見下ろした。
「…さすがに面相だけじゃあ分からないわね…暗殺者が身元を知れるものをもつとも思えないけど」
だがすぐに素性を探るのは諦め、部屋の外へ出た。

明日処刑される人間を殺しにきたのだ。それも天下人たる徳川の居城に侵入してまで、だ。
それはただ事ではないし、ただ者でもない。

「……一先ず家康様の元へ、」
「行かせないぞ」

鎮流は振り返るよりも先に、目の前の曲がり角へ転がり込んだ。直後、ばん、という銃撃音が響く。
「チッ」
「あらあら…ッ!」
今夜は天気がいい。故に廊下は明るすぎる。
鎮流は目の前の部屋に飛び込んだ。先の言葉と今の舌打ちから分かる声で侵入者の正体が知れた。
「鎮流ーー!」
「これはこれは雑賀殿、随分憎まれたものですね…!」
「今の私は雑賀孫市ではない、ただのサヤカだ…!」
動きを止めたら終わる。鎮流はそう判断し、部屋から部屋へ、その都度襖をしめながらあちらこちらへ動き回る。
孫市が口にしたことを意外に思いながらも、逃げ回る。殺されてなどやらない。自分を終わらせるのは家康なのだから。
「(…銃声でここにかけつけるまで早くて5分くらいってとこかしら…)」
孫市が雑賀の名を捨てたということは、それだけの決意をもってここにいるということだろう。それでも簡単に死ぬ気はないのか、それとも先程3人倒し伏せたことを思っているのか、銃を乱射したりすることはなかった。
静かな夜に二人の足音だけが響く。少し遅れて、遠くでざわめきだす音も聞こえ始めた。
「チッ」
近くの部屋に終わりが来た。ここから時間を稼ぐが、それとも家康のいる方へ近寄るか。正直既に体力は限界に来はじめていた。出産から一週間は経ったとはいえ、ダメージは大きい。
と、そんな風に悩む鎮流を、後ろから掴む者がいた。
「お嬢様!」
「!あなた、」
咄嗟に振り払おうとした手を止める。そこにいたのは源三だった。装備までしっかりしている。
「どうして、」
「護衛役を仰せつかっておりました故。先の銃声は!」
「雑賀孫市。いや、正確には雑賀をやめたみたいだけど」
「…!こちらへ」
「!」
源三は片手に短刀を引き抜き、鎮流を横抱きに抱き抱えた。息が切れているのに気が付いていたのか。
源三はそのまま庭に飛び出し、そのまま城の裏へと向かった。
「どこに、」
「車!車を持ってきてあります!徳川様に許可を得、城の裏手の隅に置いてあります!あれならこの時代の銃弾くらい、容易に防げます!」
「…!なるほど」
源三は駆ける。老体とは思えない足腰の強さだ。
だが。
「っ!、」
「爺や!」
車が視界に入ったところで、ばん、と銃撃音が響き、源三の身体ががくんと揺れる。バランスを崩し、鎮流は投げ出された。
なんとか受け身をとって着地し、源三の身体をさっと確認する。銃弾は腹部に当たったようだ。
「…が、ぁっ……!」
「…チッ、この位置…最悪脾臓に当たったか…!」
源三の表情から、最悪のケースを想定する。鎮流は源三の下に入って身体を持ち上げ、車の手前の木々の影に飛び込んだ。

貴方も私も人じゃない179

ふ、と互いの唇が惜しげに離れていく。家康はすぐに鎮流から手を離した。
これ以上は触れられない。触れていたら、耐えられなくなってしまう。
そう言っているようで、鎮流は大人しく距離をとった。そこで、ふと思い付いたように家康の方を見た。
「…家康様、抱かれますか?子供」
「えっ?いいのか?」
「勿論。首がまだ座っていないので、そこを支えるように…」
「…うわぁ……ちっちゃいなぁ…」
家康は不意な鎮流の提案に驚きながらも、そわそわしながら赤子を受け取った。すっぽりと片腕の中に収まる子供に、家康は感嘆したような声をあげる。
鎮流はきらきらと顔を輝かせる家康を、楽しそうに見つめていた。



静かな日々だった。穏やかなようで、その実嵐の前のような不気味な静けさだった。
鎮流は布団に身体を横たえ、天井を見上げる。隣で赤子はすやすやと眠っている。
「……このまま終わらせてくれるかしら…」
鎮流はぽつり、そう呟いた。



そして呟きの通り。
静かには終わらせてくれなかった。




 最後の夜が来た。明朝には処刑される。
徳川方の気遣いなのか、その夜には鎮流の元から赤子が連れ出された。鎮流にとって悪いことではなかった。赤子とは十分時を過ごしたし、最期くらい、気兼ねなく一人で過ごしたくもあった。
その夜、鎮流は床には入らず、牢にある窓から空を見上げていた。三日月が煌々と照っている。どうやら天気はいいらしい。
「ーーー……詩人ならここで一つ詠んだりするのでしょうけれど」
生憎と鎮流にそういった趣味はない。特にすることもなく、鎮流はただ、静かに空を見上げていた。
しばらくそうしていたが、ふ、と鎮流は視線を窓から廊下へとやった。
身体の調子は悪くはなく、走るのは無理だが普通に動く分には問題はない。
故に鎮流は、正座したまま廊下に向き直った。
「このような夜に、何用でございましょう?」

ざわ、と闇がざわめく。が、すぐにそのざわめきは止み、がぎん、と牢屋の錠が壊される音がした。
「…」
鎮流は静かに立ち上がった。
それに向かい合うように、闇から黒い装束で身を隠した男数名が姿を見せた。
「…どこの手か、聞いてもよろしくて?」
鎮流はおどけたようにそう口にする。男たちはそれを無視し、同時に鎮流に襲いかった。

ー集団で来るのは別に難しくはないんですよ
合気道の師範が、一般向けの演武会で解説していた言葉が思い出された。懐かしい。このタイミングで思い出すとは思わなかった。
鎮流は3人を右にかわし、両手を前に構えた
。すぐさま体勢を戻し、斬りかかってきた男に向きなおる。
刀が降り下ろされるのに合わせて、右斜め前に踏み込む。刀を左にかわし、それと同時に相手が両手で握っていた刀の、その手の間を掴む。相手が驚いている内に手首を回し、相手を転ばさせ、刀を奪い取る。
「…」
本来ならばここで刀を相手の頭へ降り下ろすところで終わる。だがこれは合気道であって合気道ではない。
鎮流は奪い取った刀を構えると同時に振り上げ、転んで体勢が崩れている相手の首筋に刀を降り下ろした。
「がっ……!」
そのまま引き抜けば、血が勢いよく噴き出す。鎮流はそれには目もくれないまま、他の二人を振り返る。
二人は一瞬怯んだが、すぐに襲いかかってきた。恐らく同じ手は通用しない。
鎮流はふっ、と小さく笑った。
「…おいで……!」
鎮流は刀を投げ捨てる。
合気道は相手を攻撃することを主とする武道ではない。護身術の代名詞とよく上がるように、攻撃を流すことを主としているといっても過言ではない。
故に、鎮流の身に攻撃に有効な武術はないと言ってもいい。また、剣は鎮流の時代では早々殺しの道具としては使われないため、それへの対処を最低限にしか習わなかった鎮流には、剣を武器とするには向いていなかった。使えて短刀、ついで杖といったところだろうか。
だから捨てたのだ。それより素手の方がやり易い。鎮流は、すぅ、と息を吸った。

貴方も私も人じゃない178

生まれてから1週間。
鎮流が我が子を抱くことを許されたのは、それだけの期間だった。それだけ経ったら、処刑される。
処刑の方法は決まってはいなかったが、起きて歩けるだけに回復したら刑に処す。それだけ回復するのに1週間あれば十分だろうと、そう決まっていたのだ。
「…」
鎮流はまだ回復しない身体に気だるさを感じながら、傍らで眠る赤子を見下ろした。正直1週間でそこまで回復できるかの自信はなかったが、回復しないと言うのも惨めなので黙っていることにした。死ぬときくらいは、見栄を張ってもよかろう、と。
すやすやと今は眠っている赤子は、よくぐずる元気な赤子だ。
ふ、と笑みがこぼれる。思っていたより、鎮流の心は凪いでいるかのように穏やかだった。赤子が笑めば、鎮流も笑みを浮かべていた。
「……赤ん坊って、身を守るために愛されやすい姿形なんだっけ……。よく出来てるわ…」
「鎮流殿」
ぼんやりとそう呟いた時、家康がきぃ、と扉を開けて中に入ってきた。家康の手には鎮流の食事と赤子の為の道具がある。
「…家康様」
鎮流は子を産んでから、家康への呼び方を昔のそれに戻していた。なんとなく、赤子の前でギスギスとした雰囲気は出していけないような気がしていたからだ。
家康は鎮流の声に嬉しそうに笑み、鎮流の隣に座って鎮流を抱き起こした。
「身体は大丈夫か?」
「、えぇ…」
「食べられそうか?」
「はい」
家康は鎮流を抱えるようにしてその身体を支え、支える腕の手に食事の椀を持った。そのまま、反対の手に持った匙で粥を掬い、鎮流の口元に運ぶ。
鎮流は抵抗することなくそれを口に含む。ほんのり温かい粥が、疲労しきった身体に染み渡る。
「…」
「ん?」
鎮流は、こてん、と家康の身体にもたれ掛かった。家康は匙を椀に戻し、空いた手で鎮流の頭を撫でた。
粥と同じく、ほんのりと温かい手が心地いい。頬擦りするようにそれに顔を押し付ける。
「…………」
家康は何も言わずそれに答える。大きな手で、ぐりぐりと撫でる。気紛れに鎮流の髪を摘まんでそれに口付けたりもした。
「…」
「…あと三日ですね」
ふ、と。
鎮流は不意にそう口にした。ぴくり、と家康の動きが固まる。
鎮流はのっそりと身体を起こし、家康の顔を見上げた。
「…もう、決まりましたか」
「…………………」
家康は答えない。決まっていないのか、答えられないのか。
鎮流は、ふふっ、と小さく笑った。
「……そう落ち込まないでくださいませ。私はおらずとも、この子ならいるではありませんか」
「……!気付いて…」
「…確証が会ったわけではありません。ただ、そうなのかな、と」
「……そういう気持ちがなかったといえば、嘘になるかな」
「ならば大丈夫でしょう。貴方は一人じゃない」
「………はは。相変わらず君には何もかもお見通しなんだな」
家康はそう、脱力したように笑う。鎮流もそれに笑って返す。
家康はそんな鎮流に困ったように眉尻を下げると、ぐりぐりと鎮流の額に自分の額を押し付けた。
「…………そういう話を流したわけではないんだが……君は、民の間では、既に死んだ事になっている」
「…!まぁ、普通はそう、思わないでしょうからね」
「独眼竜に、子供の事を追及されても困るだろうと。だから、公然での処刑はしない」
「…では?」
「………あの日と同じだ。ワシが、」
鎮流は家康の言葉に驚いたように家康を見上げ、どこか嬉しそうに笑った。
「…貴方の手で、殺していただけるのですか」
「…………あぁ」
家康はそう返すと、ぐ、と鎮流の顎を持ち上げ、口付けを落とした。舌は絡めず、ただ触れるだけのソフトなキス。
そうした口付けでも、交わすのは例の夜以来だった。
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