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後悔しない為に

私は福島に住んでいます。

だから昨日、書いた全国高等学校総合文化祭(ふくしま総文)についての意見は、それぞれの意思に任せると言いつつも来なくてもいい<来てほしいに傾いたものであるのは自覚しています。
ただそれにはやっぱり理由があります。少し長いですがお許しください。

今回の福島原発による事故は、色々なところで言われているように人類の今までの歴史で未だ体験したことのない事態です。
放射能と呼ばれるものが体に悪影響を与えることがあるのは解っています。
しかしレントゲンがX線を発見し、放射能の功罪が認められるようになってまだ1世紀足らず。
人体実験ができたわけでは無いですから、全てにおいて確率論であるわけです。
さらに、例えに出すのは失礼ながらチェルノブイリや、広島、長崎のような大きな事故で一気に何百ミリシーベルトの汚染を受けたりというのとは違い、低い放射能をずっと受け続けることによる影響はまだ本当に解ってはいません。
大きな被ばくを受けた方ですら、癌を発症せずに生涯を終えた方も多く存在します。
放射能によりガンや白血病になる確率が上がるとしても、その悪魔のくじ引きを誰が引いたかはその誰かが病気になるまで解らないのです。
ある人は
「被ばくの可能性を説明して総文を中止すべき、今は辛くても将来絶対にそれが良かったと思う日が来る」
とおっしゃっていました。
ですが「中止したからこの結果が出た」と将来思えることは、おそらくありません。
例えば将来今の高校生が大人になってガンが急増して、それが全てふくしまにいた人であれば「行ったのが悪かった」と思う日が来るでしょう。
でも「何もなく」過ぎてしまえば「中止したから自分達は無事だった」などとは思えないのではないでしょうか?

あるマンガで嘘つきの預言者と呼ばれる人の話を読んだことがあります。
完璧な予知能力を持ち、災害などを予言することができました。
けれど予言することでその災害は発生しなくなり、結果多くの人の命は助かったけれどもその人は嘘つきと呼ばれるようになった、という話です。 また、あるSF作家さんのショート作品に水のない星で罪人が与えられる水を得られる機械は、水を得られる回数が決まっていてそれが終ればいつか爆発すると言う話がありました。
どんなに気を付けていてもその時が来れば爆発する。
その機械は命をくれるが、死もいつかは招く。
その機械に怯えて暮らしていた主人公。
しかし死はいつも隣にあると気付いた時、主人公はその機械と上手く付き合って行けるようになった。
というものです。

その二つの話が今の福島とダブって見えます。
私達は東日本大震災と言う災害を幸運に生き延びることができました。
生かされている。
今、命の大切さを実感しています。

元より、こうして生きている私達の隣に常に死はあります。明日交通事故で命を落とすかもしれない。
また地震があって、家が壊れて死んでしまうかもしれない。
不謹慎な話ですが。
だからこそ、その大事な日々を一日たりとも無駄にはしたくない。
いつかその命が終る時まで、自分のできることをやりつくして、心の底まで満足して死にたい。そう思います。
それが震災で犠牲になった方々の分まで生きると言う事であり、「生きる」ということではないでしょう。

だから、私は今を「生きる」子供達にもたくさんの思い出を作って欲しいと思うのです。
ストレスや後悔を抱えて生きて欲しくないと思うのです。
そっちの方かが身体にきっと悪いです。

もちろんお子さんをお持ちの方はここまで割り切ることはできないでしょう。
大事であるからこそ心配で、少しのリスクも避けて健康に生きることができる方法を探してあげたいと思うのは当たり前の事です。

だからよく考えてふくしまに行く事、行かない事、どちらを選んでも後悔しない道を選んで欲しいと思います。

私自身放射能問題に楽観はしていません。
日々掃除をし、食べ物に気を付けて放射能を受ける量を減らす努力もしています。
でもその上で、被災地だからと何かを我慢することはもう誰にもして欲しくないと思います。

普通に、当たり前に、毎日を楽しんで生きる。
そんな権利が、私達みんなにあると思うのです。
勿論それを許されない人もいます。
その方々の分まで

だから、ふくしま総文の開催を嬉しく思います。
高校生達の祭典が人々に希望を与えて欲しいと願っています。
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