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平行線と垂直線

昨日の震災に関連する自殺者の件に関しては色々とご意見もあろうかと思います。

今回の震災において田村市は震災当初から何度か言っていますがとても恵まれた被災地です。

地震における家屋倒壊無し。
一部破損は数知れませんが、死者もなく、負傷者もごく僅か。
そして放射性物質の飛散も風向きに守られてか距離からは考えられない程少なく、今も避難を続ける警戒区域の人々以外は驚く程普通の生活を送っています。

津波の被害を受け、放射能数値が高く、しかも計画的避難区域を抱える南相馬市などは田村市よりもずっと苦しい立場での生活が今も続いています。
勿論、飯館村、福島市、伊達市、川俣町、郡山市、本宮町などの皆さんの心労は私達以上ですし、放射能数値こそ低いけれどいわき市などは今も津波の被害と戦い続けています。

それぞれの場所に、それぞれの思いがあって、それぞれの人がいて。
それぞれの痛み苦しみがある。
それら全て互いに完全に理解することなどは多分、難しいでしょう。

これも何度かした話ですが、田村市でさえ被災者の間に温度差があります。

家に戻ることもできない人と、家で普通の生活を送れている人。
東電からの一時金や義援金を貰えた人と貰えない人。
自分だけが何故、あの人がどうして? 
震災からまもなく4カ月。

互いに支え合った時が終わり、同情や、やっかみ、その他色々なものが入り混じって皆、どうしても先の見えないものにイライラとしてしまうと言うのが現状なのです。

それぞれが、それぞれに持つ心の平行線は多分、簡単には交わることは無いのかもしれません。

でも、平行線と言うのはお互いが同じ方向を向いているということでもあると思うのです。
ある人の言葉ですが
「交わらないけれど、同じ方向を向き、いつか重なって一本線になるかもしれない平行線の方が、一瞬交わってその後離れていく交差線よりいい」
福島の復興と言う同じ目標に向かって行くたくさんの平行線。

福島の人達が、皆、自らその線を消すことなく、互いに寄り添いあって近づきあい、太くて折れることない一本の線になれれば。

私は心からそう願わずにはいられません。

それを選ぶ前に

昨日ニュースにもなっていましたが、南相馬のお年寄りが避難や自信を苦に自殺されたお話を耳にしました。

一時避難の途中で焼身自殺をされた方や、農家や酪農家の方が自殺された件。
他にも何件か報道されていますが、実はそれらは氷山の一角。
聞くだけでも田村市、田村管内でも片手を超える自殺者がいるという話です。

全県で言えばもっと多いでしょう。
ボランティアの方などがケアもされていますが、全てを震災のせいにはしたくありませんが、震災と、福島に限っては原発事故が何よりの原因であると言うのは事実だと思います。
大切に育ててきた野菜を潰して廃棄しなくてはならなかった方。
絞った原乳を毎日捨てなくてはならなかった方。
避難所のストレス、地震の被害、そして原発事故の放射能。
それぞれの差こそあれ福島県民全員が感じている緊張感、ストレス、諦め、国や東電への不満や不信感。
それに追い詰められて死を選ぶ人がいるのは悲しい事実で、これからもそれが続く可能性は多分あると思うのです。

私も学生時代、酷いいじめを受けていたので毎日自殺を考えたりしました。
震災後の地獄の一週間も、押しつぶされそうな緊張感に死にたいと思ったこともありました。

地震が、原発事故が起こらなければ、と思う気持ちは事実で、死を選ぼうとする方の気持ちは多分、完全に解ると言うつもりはありませんが理解できます。


でも、月並みな言葉ですが、どうか死を選ばないで下さいと言いたいです。
死んでも世間は何も変わりません。

むしろ残された方がより苦しむことになるのです。

生きていれば、いつかきっと良いことがある。

今が最悪なら、これ以上悪くなることはきっとなくて、これからちょっとずつでもいいことがある筈です。


この言葉は、死を選びたいと思う方には今は届かないかもしれませんが、思いと願いはきっと届くと思いたいです。

その為に私はできることをしていきたいと思います。
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