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時の立つのは早いもの…

気が付けば今日で1月も終わり。
明日から2月で、多分、どこの幼稚園や学校でも節分の行事をやるのではないかと思います。
私も明日の節分の準備してきました。

節分、というのは季節の分け目。
この日から春が近づいてくるということだったと思います。
まだまだ寒さが厳しくて、うっかり飲み残した麦茶が朝凍ってたりするくらいなのですが
これからは日も伸びますし、きっと春は近づいてくるのだと思います。

今日、広報誌を見ていたら3月11日のイベント、と言ったら変ですが県主催のつどいの事が乗ってました。
入場無料ですが、事前予約が必要みたいです。
今年は平日。仕事もあるしちょっと行けそうにありません。
もうすぐ、震災から2年。

時が立つのは早いですね。

震災二年目にして…

この間高速道路を走る機会があった時に垂れ下がっていた幕。
「震災復興工事終了 ありがとうございました」
NEXCO東日本管内の高速道路の復旧工事が全線終了したと聞いたのは去年の12月末の事。
やっと終わったんだと思いつつも、それだけ時間がかかる程、やはり被害は受けたんだなと思ったのでした。
18年前の阪神淡路大震災では、道路の橋げたが落ちてバスが半分落ちかけている写真が有名になり、今も心に残っています。
今回はそこまでの被害は高速道路にはなかったと思いますけれど、どの車も高速で走る故に小さなことが事故につながるのが高速道路。
その為にも万全を期しての工事であったのだと思います。

震災後、高速道路が封鎖されている光景というのを始めてみました。
暫くは被災地の特例措置で私も高速道路が無料になりました。
今も、原発の警戒区域は通行止めが続いています。
警戒区域の人達の無料措置は3月まで。
高速道路一つとっても震災後たくさんの思い出があるのだなあと思います。

震災までは殆ど高速道路を使うことなどありませんでしたが、今はETCを入れて時には東京まで行きます。
今度仙台の友人と宮城で行われている宝探しイベントに行けたらいいな、などと思っています。
そして、高速道路を走る時、あの垂れ幕を見るたび、震災の時の事を思い出すのかもしれません。

しあわせな福島をデザインする

 これはこの間東京に行った時、秋葉原で貰ったもの。
福島の観光PRマップです。
「八重の桜」が全面的に押し出されていて、そこかしこに
「八重のふるさと」「八重」
やっぱり「大河ドラマの舞台」というのは強いんだなあと思いました。


ついでに最近知ったのはもう10年以上前の福島ふるさと博のマスコットキャラクターだったキビタンがいつの間にか福島のマスコットキャラクターに返り咲いていたこと。
八重の桜のマスコットキャラクター八重たんと一緒にPRに余念がありません。
秋葉原では会津米の販売なども行われていて、買って下さる方もいてとても嬉しかったです。

パンフレットの入っていた袋に書いてあった言葉。

「来る人も、迎える人もハッピーに
 FUKUSHIMA HAPPY DESIGN

 見どころや遊びどころ、そしてあたたかなおもてなし
ほんとうの福島は、訪れた誰もが幸せになれる。そんなまち
 いまこそ、福島をもういちど「福」の島へ。
来る人と迎える人のみんなでしあわせな福島をデザインして行こう」

私が東京で聞いた言葉の主のように、福島は勝手にやってろ。
という人も確かにいるのでしょうが、きっと多くはそんなことは思っていないのだと思います。
来たくないという人に福島に来てくれと強制はしませんしできませんが、応援してくれる人、来てくれる人、支えてくれる人。皆で福島をまた福の島にしていけたらいいなと思うのです。

どこかで線を…

知人から聞いた話ではありますが、割と信頼性はあるかと思います。
久しぶりに長いですがお許しを。

田村市都路町は山間ですが浜通りにほど近く、今回の原発災害による警戒区域と避難準備区域にすっぽり包まれる形になっています。
現在はそのどちらも解除になっていますが、住民の多くは今も市内の借り上げ住宅や仮設住宅に住んでいます。
都路に二つある、古道小学校と岩井沢小学校の子供達はバスで廃校になった旧石森小学校に通っているそうです。
田村市としては都路は避難準備区域も解除され、警戒区域も解除準備区域になっているので来春から学校を再開させる為に学校の除染と、整備を再開していました。
先生方も通常業務の傍ら学校再開の準備をしていたのですが、いざ新年度の準備をという時になって保護者から都路に戻りたくない。という多くの声が寄せられ学校再開の準備がストップしてしまいました。
一番の理由は「危険かもしれないところに子供を連れて戻りたくない」ということらしかったのです。
除染もして表土除去もして安心とは言えないまでもかなり低いレベルまで下がっているのですが、田村市内ではかなり高い方なので嫌だという声が大きく学校再開は延期となりました。
しかし、今度は一刻も早い学校再開と地域のコミュニティの確保をと願う都路に戻った方達からの苦情が出て板挟みになっているのだとか。

都路に戻りたくない。それはまあ仕方ない。しかし、船引や地元の小学校に転校して住所も移して新しい生活をしては、という提案にはまた嫌という返事が返ってきます。
その理由は友達や知人と別れたくないということと、都路から住所を移すと東電からの補償が受けづらくなるかららしいとその知人は言います。
加えて都路に比べていろいろ便利な船引に慣れてしまうと、大型スーパーもコンビニもない都路に戻りたくなくなってしまうのだろう。とも。
現在、都路から仮設住宅に避難された方達は、確かに不自由な生活を送られています。
しかしその分、東電からの補償金がかなりまとまった額入ってきているのもまた事実です。
その為、以前は避難区域の方達とそうでない地区の人達の軋轢はかなりありました。
今は多少なりとも東電からの補償金がそうでない地区にも出たので前ほどではありませんが
「戻れないわけじゃないのに勝手に戻らないだけだろう? だったら、いい加減に避難民でございというのを止めて戻るか新しい生活をするか決めたらどうだ!」
という声はまだあります。
既にそうしている人もいますが、まだ多くの人が戻ることも新しい生活を始めることも決断しかねているというのが現状のようです。


私は…避難されている方の御苦労や御心労を知った上であえて言いますが、どこかで線を引かなくてはならないと思います。
震災からもうすぐ2年。
故郷に帰りたくても帰るという選択肢を選べない方が大勢います。
震災の苦労を比べることはできませんが、それでも田村市では選ぶことが出来る。
戻るか、新しい生活を始めるか。
いつまでも宙ぶらりんではいられないと思うのです。
都路のコミュニティでは一刻も早く地域を再生させたいと願っている。その為には子供や若い力が不可欠で早く戻ってきてほしいと思っている。
地域の為に戻る決断をするのもありですし、不安を抱えて生活するよりは、と新しい生活を始めるのもありでしょう。
どちらを選んでも不安や問題は残ります。
でも、どこかで線を引かないといつまでも復興のスタートラインに立つことはできないように思うのです。

アパートになかなか空きが出ないとかかそういう色々な事情もきっとあるかもしれません。
そんなことも知らないで偉そうなことは言えないのですが、それでも私は以前会った時
「早くおうちに帰りたいなあ」
と言った都路の子供達の声が今も忘れられないのです。

覆い隠す雪

ちょっと頭痛がするので手短に。
ちゃんと書きたいことがいろいろあるので。
コメントの返事は明日以降にさせて下さい。
ちなみにインフルエンザとか風邪ではないです。
パソコンとゲームのやりすぎによる眼精疲労です。多分。

昨日からの雪は結局積雪50センチほどで止みました。
今日は朝から雪かき。
でもコロは大喜びで雪に顔を突っ込んで遊びまわっていました。
道路は踏み固められてまさにアイスバーンです。
明日の通勤がまた心底怖いです。

今日、知人が来年も都路の学校、こども園、児童館は再開されないのがほぼ決定した、と教えてくれました。
この件については簡単なことは言えないのでちゃんと調べてから書きます。

今日は早めに寝て体調回復に努めたいと思います。



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