スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

震災から2ヶ月

今日、川内村の知り合いと合う機会がありました。

川内村に住んでいて、職場が避難準備区域にあるので現在、外の職場に間借りして作業をしていると言う人です。
その人は昨日の一時避難に参加したとのことでした。
参加したのは本人と子供。

2時間では本当にやりたいと思ったことが何もできなかったと寂しげにおっしゃっていました。

庭は草ぼうぼう、周囲の家では置いてきてしまったペットが死んでしまっていたと言う人もいたそうです。
冷蔵庫は電気が通っているかと思ったら震災で一度ブレイカーが落ちたらしくて、2ヶ月を経て冷蔵庫も冷凍庫も中身はドロドロ。

処分や整理をしている暇もなかったので、袋に纏めてくるのが精いっぱいであったとのことでした。
通帳や貴重品、お金、写真、位牌に着替えが少し。

カメラや小型の電化製品。
手紙など。
お子さんは学校関連の品物、宝物にしていたいくつかの携帯ゲーム機。
45リットルのゴミ袋よりももっと小さい袋に入れられたのはその程度だったそうです。
防護服は動き辛く、暑く、マスクをし呼吸をするとなお暑い。
「これから夏に向けていく人は大変だと思うね」
「帰れる日が来たら家の先ず大掃除だね。虫とかいっぱいで臭くなってるだろうから」
と言いながらも
「川内は1切ってて郡山や福島よりも低いのに線で勝手に区切られて」
と怒りも顕にしていました。

本当にどうしようもなく危険ならまだ諦めもつく。

でも今までと変わらなく見える故郷のどこが危険か解らなくて、それ故に怖くて苦しくて帰れないことが本当に辛い。

そうおっしゃっていたその方は今も避難所で暮らされています。
仕事をしながら既に片手を超える回数避難所を移動して、近々アパートをやっと借りれそうだということでした。

本当にかける言葉もありません。

震災から今日で二か月。
普通に自分の家で暮らせるだけありがたいのだと再確認しつつ、みんながいつになったら元の生活に戻れるのだろうか。
こんな思いをしなくて済むのだろうか。

そう思わずにはいられませんでした。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2011年05月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
アーカイブ