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誇れる自分と埃な自分

警戒区域の一時帰宅が始まりました。田村市も割と早いうちに行われるらしく、希望者の申し込みが今、行われています。

行けたとしても持って帰れる量は袋一つ分で、本当に貴重品だけと言う話を聞きましたが、それでも戻りたい人は多いと思います。

早く本当に困っている双葉、大熊、浪江、楢葉の人達に順番が回ってくるといいなあと思いました。

話は変わって、今日のYahooニュースで茨城県の市職員が原発事件の最中、休暇を取ったということで、訓告などを受けたと言う話をやっていました。

私の感想としては
「どこにでもいるんだなあ〜」

「茨城は厳しいなあ」

私達の所にもいましたよ。
「ガソリンが無いので出勤できません。休暇貰います」
「年休で休ませて下さい」
電話でそれだけ言って休んでしまった職員が。
市全体でも、多分一桁ですがいました。
皆が本当に恐怖の中、それでも休みなく働いていた中、平気で休み、その分の仕事を他の職員に押し付けたという人。

「なんで、私が休んでいる人の分まで仕事を押し付けられなければならないの! 休んでいる人がやるのが筋でしょ!」
そう泣きながら言っていた人もいました。
ガソリンが足りないのはみんな同じ。
役場に泊まり込んだりして頑張って、踏ん張って、職員同士の連帯が深まった中、そういう職員も確かにいました。

あの頃、私達は
「もし、避難することになっても避難先で、職員として働いてもらうからね」
と言われていました。

実際、大熊や双葉の職員の方達が本当に死ぬ思いで頑張っていらしたのはブログにも書いた通りです。
避難した人を責めるつもりはありません。
でも市の職員で公務員であるなら、その責任からやっぱり逃げてはいけなかったと思うのです。

私の上司が言っていました。
「逃げ出した人は、今は良くても、後からきっと恥じることになる。
この経験がいつか自分の誇りになるから」

「後で全てが終わった時、自分の行動が恥ずかしくならないように頑張ろう。
こんな時だからこそ、誰も見ていないようで皆が見ているんだよ」

まだ、全てが終わったわけではありませんが、あの方の言葉は正しかったと思います。

彼、彼女らが震災後どうしたかは、直接同じ職場と言うわけでは無かったので解りません。
というか興味もありません。

でも、まあ‥‥いい思いはできていないでしょうね。
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