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福島の米を食べる為に

福島の早場米の検査結果が出たそうです。

会津、本宮で採取された米は一か所でのみ22ベクレルを検出し、他では検出されなかったとか。
22ベクレルと言うのは武田氏のHPで安全とされる基準とほぼ同じ値。
しかも玄米の時で白米に精米すると検出されなかったそうです。

福島で生きる者にとって、地元のお米を食べられないと言うのは生きて行けないというのと同じだと言えますから間違いなく朗報と言えます。

しかし、問題なのはその検出結果を信じられないという声があること。
正直な話、国が信じられないのはまあ仕方ないとしても。検査機関の検出結果を信じられなくなったら今日本で生きて行けません。

そこまで偽装行為をされていたら、もうホントに国として終わりだと思います。

私は農家の子ですから、どちらかというと生産者の側の思いがよく解ります。

ようこそという言葉と一緒に、どうぞ。福島の野菜は美味しいですよ。
と言う言葉も震災後使えなくなってしまいました。

最近は福島の野菜はほぼ全て普通に出荷されています。

けれど、今の、安心して野菜などを買って貰う為にはむしろ、検査結果を数値として公表し、判断基準として貰う方がいいように思うのです。
福島の桃は検査した数値を貼ってある店がありました。
福島の新聞には毎日目ぼしい野菜の検査結果が乗っています。
以外に被検出の野菜も多いです。
福島を加害者にして、支援してくれる他の地区の方々に迷惑をかけないようにするためにも、出荷の時に野菜や米に検出結果を添付するとかしたらどうかなどと思ってしまいます。
勿論、ことはそんな簡単ではないとよく解っているですが。

昨日のコメントで寒しじみさんが寄せて下さっていましたが、浪江町のDASH村が現在土壌調査と向日葵を植える浄化実験を行っているそうです。
向日葵は土壌のセシウムを吸収すると言う事で、福島では今年あちらこちらで例年以上のひまわりを多く見かけます。

あくまで気休めでしかないと言う説もあるのですが、でもできる限りの事をしたい。
という気持は福島県人全てが持つ思いだと思うのです。

DASH村は農作業を中心に行ってきた番組ですから、本当に再会は難しく大変だと思います。

でも、土壌の改良などで村の土壌が復活し、いつか本当にDAHS村でまた男米を収穫する姿が見られることを祈り、願っています。

さようならではなく

福島県、中通り地区の殆どの学校で夏休みが終わり、小学校などに子供達が戻ってきました。
夏休み中に学校校庭の表土除去がほぼ終了し、測定数値は最大値の約50%以下に下がっています。
高圧洗浄機による建物の洗浄も順次行われましたが、これは微減に留まったようです。
とはいえ田村市の環境放射能の数値は平均0.15〜0.3マイクロシーベルト。
完全に原発が収束するまでは除染を行っても空気中の数値レベルまでは戻ってしまうのが現状です。
今後、保護者と学校などが連携して家庭の除染や通学路などの測定を行い、繰り返しの学校除染。
ホットスポットなどの調査を行っていく予定だそうです。

夏休みを終えた子供達は、おおむねいつもと同じ様子です。
綺麗になった校庭に目を輝かせる子も。
けれど、学校の先生が変わり、数人とはいえ友達も転校などでいなくなって言葉の随所に寂しい思いが感じられます。

減って行くばかりの村や町の住人。
田村市には他市町村からの避難の方は個人レベルの方を除いてはいません。

隣の三春町には葛尾村の仮設住宅団地がありますし、郡山、福島などにも飯館村、浪江などからの避難の方がいらっしゃいますが田村市にはほとんどいないのが現状です。
警戒区域を抱える市なので、もし、何かあったら、という思いがあるのだろうな、と思います。
でも、不謹慎を承知で、出ていくばかりでなく田村市に住もうと思ってくれる人はいないかな。と思ってしまいます。
県内でも指折りの低い放射能数値を示す阿武隈山系。
地盤も固く地震の被害も少なくて自然豊か。
条件はそんなに悪くないと思うんですよね。

さよならばかりでなく、こんにちわ、ようこそを言いたい。

震災後、殆ど言えなくなった言葉を、噛みしめずにはいられません。

ありがとうでは足りないありがとう。

震災後、いろいろ愚痴ばかり言っていますが、私達を支えてくれる手に感謝しなかった日もありませんでした。

絶望しかなかった一週間、心配して毎日送ってくれた友人のメール。
会うたびにおんなじことを繰り返ししゃべってしまうのに、それを聞いてくれる友達。
震災後、多くのボランティアさんが福島を訪れ、私達を助けてもくれています。
震災以降送られてきたたくさんの支援物資。
被災地を励まそうと行われている多くのイベント。
福島に来て下さった漫画家さんの優しさ。
毎日走る自衛隊の車、警察のトラック。
命がけの作業を続けてくれている原発作業員の人々。
そして、私の書き殴りの様なブログに来て下さる方。
コメントや足跡を残して下さる方々にも。
その人達に私は本当に支えられて生きているのだと実感しました。


先日ベルギーでサッカーの試合中川島選手をやじるチャントにフクシマと言う言葉が使われたと聞いた時には悲しくて涙が出ました。
けれど、川島選手はそのことを正式に抗議し、仲間の選手は「同じベルギー人として恥ずかしいと思う」と言ってくれたと聞きます。
またそのヤジを飛ばしたチームもサポータークラブも謝罪を行ったそうです。

ベルギーの方を含む多くの方と何より川島選手が怒ってくれたこと。
福島を思ってくれたことに私は心から感謝したいと思いました。

震災後、哀しい思いもいろいろしてきました。
今も、福島差別は見えない所でも多くあります。

農産物を食べないとかそういうことではなく言えないレベルで本当に色々。

けれど、たくさんの人が心を寄せてくれている。
それが私達を支えてくれています。
私にはその恩に答える術はまだないですが、今福島で元気に生き続け、福島を綺麗にするために努力し、いつか恩を返せる日が来るように毎日を一生懸命生きたいと思っています。

先日義援金が、私の手元に届きました。
銀行振り込みでしたので、直接のものでは勿論無いですが、皆さんの気持の結晶と思って大事にしたいと思います。
一万円は既に自分が貯めたお金と一緒に先日の24時間テレビで寄付しました。
残りの一万円をどう使うかはまだ考え中です。
使わずお守りとして持ち歩くか、何か実用品を買って大事に使うか。
お守りとなるモノを買って身につけることも考えましたが、義援金をアクセサリーに使うのも申し訳ない気がしているので、結局ラミネート加工してお守りにするのが今一番有力です。

宣告の前に

24時間テレビの漫画家の方のサイン会は本当に楽しく、嬉しかったイベントで今も思い出すと笑顔になれます。

けれど、現実問題として色々と笑えない問題が一日毎に山積みになって行くのもまた事実です。
一番の問題は警戒区域の一部が長期間にわたって立ち入り禁止となる見込みだと発表された事でしょうか?

震災後の避難の時に「うちは原発のホントに近くなんだよ」とおっしゃっていた方がいました。
あの方は今、どんな気持ちだろうと思うと胸が痛くなります。
いつか帰る。
それだけを心の支えに頑張ってきた方達が確かにいるのにその方達にとっては死刑宣告を突き付けられたと同じではないかと思います。

何度も繰り返している事ではありますが、福島県の人は皆、自分の手で除染をして街をキレイにすることに対して労を惜しむ人はまずいないはずです。
呼びかければ皆、自分達の為、次世代の為に本気で取り組んでくれます。
けれど、キレイにする為に洗った水、取り除いた表土、むしった草を未だ安心して処分することはできずにいます。

国は何の援助もしてくれず、何回も何回も何回も言っているのに未だ除染の指示も出してくれず、廃棄物の処理場も作ってはくれません。
動いているのは自治体と個人。そしてボランティア。
個人でできることなど本当に限られているのにです。

出来る限りのことをやって、それでも無理だと言うのなら諦めもつくでしょう。
でも、まず先にダメだと言われてしまったら、もう希望も何も無くなってしまいます。


実際問題としては原発周辺地域がまた本当に安心して住めるようになるのには長い時間が必要だと思います。
逆に帰っていいと言われても、不安が残るでしょう。
その意味でも「正しい」情報を収集し、不安な人々に伝え、それを理解してもらうことが必要です。
国は「まず戻れないと早く言わなければならない」と言います。

でも、本当はそれより先にやることがもっとたくさんあるのではないかと、私は思わずにはいられません。

思いっきり偏った24時間テレビIN郡山

考えてみると24時間テレビって、まず自分の県のイベントと、総合イベント以外を見る事ってないですよね。

と言うわけで、少し福島会場での放送を思いっきり偏ってレポートしてみます。
福島県のイベント会場は郡山市カルチャーパークと、いわき市のアクアマリンふくしま。
いわき会場の方はアクアマリンふくしまのブログに載っていますし私は見ていないので主に郡山会場のを。

ちなみにイオン郡山フェスタでは漫画家の皆さんのサイン色紙展示などが行われています。
これは後日見に行く予定ですのでその時改めて。

10時からカルチャーパークが開場。
あいにくの雨でしたが人はけっこう集まっていました。
外には屋台村があり福島のご当地グルメと言われる屋台が軒を連ねていました。
浪江焼麺太国のなみえ焼きそば。
会津ソースカツ丼のソースカツ丼やソースカツバーガーなどにも列ができていたようです。
また、奥には野菜などの産品直売などもありました。
中に入ると直ぐに募金の受付があり、その奥がカルチャーパークのメインアリーナになっていました。

私が中に入った時には丁度FCT郡山少年少女合唱団の中継中。サンプラザ中野さんも歌っていました。
その後にも、色々なアーティストが歌や演奏などを披露していました。
周囲にはちょっとした屋台のようなものが並んでおり、入口には福島中央テレビのチャリティーシャツの販売ブース。
他にくじ引きや、募金をすると輪投げが出来て賞品がもらえるブースなどがいくつかありました。
あと、希望の缶詰と呼ばれるノーラベルの缶詰も。
その時は背景を知らなかったので購入しませんでしたが、津波に流れながらも無事だった岩手の缶詰とのこと。
買えば良かったな。と後で思ったりも。
その後、列ができ始めていたので並んだのは、1時から漫画家さんのサイン会の整理券が配布。
私は割と早く並んだので目的の先生の整理券を頂く事が出来ました。サイン会開始は16時30分から。

丁度それとダブってイベント会場ではキリマンジャロ登頂成功があり、会場では谷村新司さんが昴を歌ってくれていました。
私はその後、サイン会場の方にずっといたので内容とかは解りませんが、シンガーソングライターの方やバンドの方のコンサートがあり、9時前にフィナーレとなりました。 そして、私にとってはメインのサイン会。
8人の先生方がいらしてサインは一人の漫画家さんにつき50人まで。
(福本先生は別会場でコインアートに参加していらしたので10人のみ)

来て下さった先生は福本伸行 先生 『カイジ』
森川ジョージ先生  『はじめの一歩』
真島ヒロ先生 『RAVE』
雷句誠先生 『金色のガッシュ!!』
瀬尾公治先生『君のいる町』
吉河美希先生『ヤンキー君とメガネちゃん』
山本航暉先生『ゴッドハンド輝』
西本英雄先生『もう、しませんから。』
少年マガジンの人気漫画家さんばかりです。

さてふたを開けてみるとどうやら東京などからいらした方も多かったようで、ある漫画家さんは5人目くらいに地元の人が来たと聞いて
「やっと福島の人に描ける」
と苦笑していらしたとか。

でも、先生方は一人一人に本当に丁寧に下絵を書き、見事な絵を描いて下さいました。声もかけてくれて、握手もして貰って本当に嬉しかったです。
私は震災時、ここに来て下さった先生の何人かのマンガを避難所に持ち込みました。皆、とっても喜んでくれました。
それを伝えると先生方は
「少しでも役に立ったのなら嬉しいです」
「皆さんに元気をあげにきたのに、こちらが元気を貰ってしまったみたいだ」
と言ってくれたのです。
予定では6時30分には終わる筈だったのが、時間は押しに押して全員が終わったのは夜の9時。
凄く感動しました。
最後のフィナーレに皆でサライを合唱して、終わりましたがアナウンサーの方が「こんなに沢山の人が最後まで残って下さったのは始めてです。家に帰るまでが24時間テレビ。どうかお気をつけて」と見送って下さいました。
私が帰ろうとした時、ステージから降りてきた漫画家の皆さんが丁度控室に戻られるところで
「福島に来て下さってありがとうございました」
とお辞儀をしたら
「機会があればまた来ます」
と言って下さったのが、最後に本当に嬉しかった事でした。
正直24時間テレビの番組作りには色々と思うところがあります。
今回、福島の現状とかをちゃんと報じてくれたのかなとか、他にもまあいろいろ。
けれど、皆が一つの事を思って頑張る姿を見せてくれた事。誰か思うことの大切さを考えるきっかけになってくれたことは心から感謝したいと思います。
そして、何より私達に明るい思いをくれたことも。
頂いた色紙と優しさは私の一生の宝です。
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