先日、セシウムさんの事件で東海テレビ向けに結構きついことを書いてしまいました。
怒りに任せてのことであったので多少反省もしているのですが、その時に頂いたコメントに
「岩手の松を使って京都五山送り火で使われる筈だった薪が放射能不安から中止になった」
と聞き気になってそのことを調べました。
被災地からの祈りを届ける意味合いで被災地の松で作った薪に約400人の人が思いを込めて言葉を書き綴りました。
でも、地域から
「放射能汚染された灰が飛ぶ」
「琵琶湖が汚染される」
と苦情が出て中止になったのだそうです。
ちなみに放射能の検査もし、影響なしを確認しています。
しかし、その上で中止を決断されたことに、セシウムさんの時と同じ西日本の方との気持ちの温度差を感じずにはいられませんでした。
何度も言いますが、原発被災地は福島です。岩手はそこから約100km以上離れています。
風向きの関係で一部ホットスポットがないとは言い切りませんが、それでも福島から見れば影響などないに等しい地域です。
それなのに放射能が原因で拒否される。
ということは西日本の人達にとってはやはり東北は皆、汚染地のイメージなのでしょうか?
岩手でこれなら、福島は完全にアウトですよね。もし、福島県から京都に観光に行ったら拒否されるのでしょうか?
少し寂しい気分です。
勿論、京都市民全てが冷たいと難するつもりはありません。
中止反対の言葉があるということに励まされた気持ちもあります。
ただ、今回の件は東海テレビのセシウムさんの時と同じように岩手のみならず被災地の心に傷はつけたと思います。
東海テレビの件で何が一番の罪かと問えば、その行為もさる事なら被災地を始めとする人々の心に人間不信を植え付けたことにあると思うのです。
「がんばろう」と声をかけてくれる人達は大勢いる。
テレビでも常に声を上げている。
けれどその中にセシウムさんの時のようにその災害を他人事と思い、ふざけ心で茶化す人がいる。
被災地を笑いものにしている人がいる。
それがひょっとしたらこの人かもしれない。
送り火の件もそう。
頑張ろうと差し出される手の裏で私達を汚染者と蔑み陰で手を洗っているかもしれない。
そんな人はごく僅かで、多くほとんどの人は真剣に心配してくれていると解っていても、あの放送事故以降、そんな思いが皆の間に生まれたのは確かでしょう。
震災直後に感じた「見捨てられた福島」
物資は豊かに与えられても誰も来ない被災地。
あの凍えた思いをこれからも私達は普通の人達との間に感じて行かなければならないのでしょうか?
私達は何も悪いことはしていないのに。
この地でみんな必死に踏ん張っているのに。
東北の最大の敵は放射能ではなく人の心なのでしょうか。
悲しすぎます。
先日の仙台七夕祭りのときに京都五山送り火連合会が宮城の方達に薪へのメッセージや名前の記入を促したそうです。
その数約2300本。京都産の薪を持って行ったとか。
けれど、もし、その人達が岩手の薪拒否の事を知っていたら、本当に書いたでしょうか?
仮に岩手にその木を持って行っても誰も書かないでしょう。岩手は突き返された薪を迎え火に使いました。
福島にはそもそも来ません。
福島に来たら京都の木も汚染されちゃうでしょうからね。
岩手と福島の犠牲者の追悼と復興は祈願されないということで、京都送り火は送る人を選んで今年、燃え上がるのでしょうか?
すみません。
ちょっと卑屈になってます。