まずはちょっと勘違いさせてしまったようなので。
現在田村市には4か所の仮設住宅が建設されており、その殆どは警戒区域である都路地区の方々が住んでいます。
一部避難準備区域の方も。
で、その他、大熊、双葉の方が数世帯いらっしゃることは存じています。
10日に避難所が閉鎖されるまでは旧春山小学校に都路の方が、就業改善センターにその他の方がいらっしゃいました。
避難所の閉鎖と共に他県などに移動された方もいますが、仮設住宅に移動された方もいるようです。
ですが、これは、個人レベルで残って下さった方々で、自治体レベルで避難している地区、行政機能を移したり、町ごと移住してこられた例は田村市にはないということです。
飯館村や、伊達市の避難勧奨地域の方などは福島市に避難されています。
双葉町は埼玉に、大熊町は会津に、浪江町は二本松市に、川内村は郡山に、会津美里町にというようにです。
広野町もいわき市に仮設住宅を建設されていますし、三春町などは富岡、葛尾と一つの町に三つの町の機能があるという事態になっているのです。
だったら田村市は余裕がある筈なのだから、他の自治体を受け入れて一緒に力を合わせていくべきじゃないかと思う、という話でした。
色々と事情や背景があるのでしょうから、とりあえずは素人の戯言とお捨て置き下さい。
ご不快を与えてしまいましたらすみませんでした。
昨日、震災後初めて3km圏内の方々の一時帰宅が行われました。
防護服を着て完全防備で、それでも数か月ぶりに自宅へ帰った皆さんのお気持ちはどんなものだったでしょうか?
3km圏内は長期に帰れない可能性があると国が正式に先ごろ発表しました。
その上での一時帰宅。
机の上には3月11日の新聞。参る人の無い仏壇やお墓。
時が止まった家、地震ではなく空き巣に荒らされた家。
私達が想像もつかない思いだったことでしょう。
帰りたい。でも帰れないと、諦めなければならない。
そんな方達の為に何かできることはないのだろうかと、考えずにはいられませんでした。