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忘れられない夏祭り 2

昨日は常葉のお祭りでした。

夕方からは花火大会がありましたが、実はイベントそのものはお昼からやっていました。

「元気な常葉創生事業 サマーフェスティバル」

カブトムシ相撲大会とか、ゴーカイジャーショーとかよさこいとか、紅晴美ショーとかいろいろ楽しいイベントがあったようです。

常葉にはムシムシランドと言うところがあって、カブトムシが常葉の名産品の一つになっています。
先着64名にカブトムシが無料配布され、それを使ってのカブトムシ相撲が行われたわけです。

ヒーローショーもこんな田舎でやることは滅多にないので子供達には大人気のようでした。

ちなみに上の子は常葉のムシムシランドのイメージキャラクター カブトン。

けっこうシュールですが可愛いです。ちなみに奥さんと子供もいます。既婚者です。

このお盆の15〜16日にかけてはお隣の三春の他、その他近隣の町でもお祭りがあったようです。

そんな中、今日も一つのお祭りがありました。

場所は船引運動場仮設住宅。

仮設住宅の夏祭りです。

船引で最後まで開設されていた旧春山小の避難所は今月初め、全ての住民の仮設住宅への入居が完了し、閉鎖されました。

一部残っていた大熊などの方々も移動を終えたそうです。

船引町の仮設住宅に入居されているのは警戒区域を含む都路村の皆さん。

一時期他所に避難されていた方も仮設住宅の入居を機に戻って来られたりして、運動場と福祉の森の二か所の仮設住宅にコミュニティを作っています。

屋台は赤十字のテントの下で、おにぎり、ジュース、冷うどんなどが100円前後で売られ、綿あめなども配られていました。

的屋さんの屋台などは無くて響くのは櫓の上の太鼓の音。一際大きな櫓の上で、青年団の方達が太鼓を叩いておられました。

開始とほぼ同時に小雨が降り始めましたがそれにもめげず、たくさんの人が集まって櫓の太鼓と、その下で踊る子供達を見ていました。

踊りを踊る人たちには団扇が渡されていましたが、その団扇には仮設住宅の子供達が描いたであろう色々な絵が描かれていました。

一角にはホワイトボードに自分達のメッセージを書いて写真に撮るコーナーも。

その中にはやっぱり「早く家に帰りたい」と言うものが多くありました。

仮設住宅団地は福島県のあちらこちらに多く完成し入居が進んでいます。

阪神淡路大震災の時のものよりはいろいろ改良もされて住みやすくはなっているようだとはいえ、やはり仮設住宅。

色々とご苦労も多いようです。

特に福島は自分の家が何も変わらずあるのに、戻れない。

東電からの賠償金を貰って〜、仮設の住居費もタダで〜と言う人はいますが、ある方は

「家に戻って、いつも通りの暮らしができるなら賠償金も何もいらない」

とおっしゃっていたそうです。当たり前の事ですよね。

それでも、一生懸命頑張ろうと、前を向いている皆さん。そして子供達。

教えて頂きましたが他の被災地でもやはり祭は行われているそうです。
祭は地元の力と絆。今年はそれを再確認したり実感していらっしゃる方も多いのではないのでしょうか。


地元の青年団の法被を着て太鼓を叩いたり、踊ったりしていた人達を見て、昨日の常葉の祭りとは違うけれどやはり、特別なものを感じずにはいられませんでした。

忘れられない夏祭り

別に隠していたつもりではありませんでしたが、ちゃんと言ったことは無かった気がしますのでカミングアウト。

私は田村市常葉町で仕事をしています。人口6000人前後のこの町は福島原発から直線距離で西に34.5kmの所にあります。
一部避難準備区域を抱えていますが現在避難準備区域からの避難所避難は0です。

勿論震災直後は自主避難が相次ぎ、一時人口は半分以下に落ち込みました。
しかし、その後その約95%が戻り、原発の最前線でありながら非常にまったりとした日々を送っています.

そして、今日、その常葉町で夏の盆踊りが行われました。
午前中から色々イベントがあり、夜の7時から花火大会と盆踊り大会。

役場の駐車場で、町の商工会が主催する、本当に小さなお祭り。
花火大会と言っても地元の人から寄付を募っての100発前後のわらじ祭りやうねめ祭りに比べたら本当に本当に小さな地元のお祭りです。

でも、今年そのお祭りに例年よりかなり多い2000人近くが集まりました。

テープではなく、数人の女性の歌う生の常葉盆踊りの歌に合わせて浴衣の子供、おそろいの法被の婦人会、地元企業なども加わって輪になっての盆踊り。

とても賑やかなお祭りになりました。

今から半年前、ここに自衛隊の車が並んだり、休憩所になっている公民館が避難所だったとは想像もできない程に。

皮肉にも例年減少傾向にあった、この盆踊りの参加者を増加させたのは大震災であったのは多分間違いないと思います。
震災があったからこそ、地元の美しさ、優しさ、大事さがよく解ったのだと誰も口には出しませんが、いつも以上に賑やかに踊る人たちや、花火を見つめる人達の目がそう言っています。

誰一人、マスクをすることなく空を見上げる。

地元の人達のメッセージが込められたメモリアル花火には、震災への祈りが込められていました。

「来年もこの祭りでまたお会いしましょう」
と閉めた主催者の言葉が不思議に心に残ったのは、来年への不安がきっとどこかにあるから。

けれども、きっと私達は来年もここで踊るのではないかと思います。

2011年の常葉盆踊りは少し特別なものになりました。
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