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差し出された手、払われた手

まず、お断わりを。
昨日の五山の送り火について、私は一応始まりから経過までの話は調べました。
今回の件は発案者が半ば先走りのように決めたものらしいとか、保存会は放射能の問題を抜きにしても受け入れない可能性もあったとかも。
東日本大震災以降、被災地の為にと言われたら受けれなければ非人道的と言われかねない風潮があることとか、そう言う事を全部含めた上で改めて今回の件を批難します。

理由はただ一つ。
「誠実な対応を怠ったこと」

誠実な対応と言うのは、被災地の思いについても、ですが、
企画が上がった時に受け入れられない事なら受け入れられないとはっきりということ、
放射性物質の検査を行ったのならそれを公表し、安心だとちゃんと公表すること。です。
半端に受けいれ、期待させ、そして突き返すのなら最初から断るべきでした。
そして、いったん受け入れ検査も行ったのならそれをちゃんと掲示し、安全だと言う事を理解してもらう努力をするべきだったということ。
そこが私が
「誠実な対応がではなかった」
という理由です。

東北を汚染地と思う人の風潮はもうどうにもならないところまで来ているのでしょうし、それについてどうこう言っても始まりません。

福島を省かれたとかそういうことも今更です。
いくら私達が声を上げても、聞こうとしない人には届かないのでしょう。

哀しいことですが仕方ありません。

ですが、できるなら一度差し出した手を直前でひっこめたりすることは止めて欲しいです。

それだったら何もしなくて構いません。

送り火保存会は「周囲からの抗議で」陸前高田の松を再度受け入れることにしたらしいです。
木は観光客や地元京都の人が被災地への思いを書き込んで送り火として燃やすとか。


私個人の思いで言うなら岩手にはこれを断って欲しいと思います。
どこまでも「誠実な」思いが感じられないこの一件。

もうこれ以上岩手の方が振り回されるのは気の毒ですから。
もっとも震災後の国や東電の不誠実さに比べたらよっぽどましなのですけど。


またちょっと卑屈な話ですみません。
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