少し前に武田氏のブログで「東北のノート、トイレットペーパー、CDは買えるか?」というタイトルがありました。
良〜〜〜く読み込めば、これは一種のたとえ話であると解るのですが、これを最初に見た時にはしょうじきがっくりと落ち込みました。
元より武田氏は年間被ばく量1ミリシーベルトを強く推しておられ、それは正しいと解ってはいますが、まるで福島の(それどころかこのタイトルだと東北全ての)生産物が放射能汚染を助長するように読めてしまうからです。
現在、福島県の第一次産業は壊滅的に近いダメージを受けています。
福島の物産を積極的に購入して下さる皆さんも少なくないのですが、それでも、今年首都圏での福島産桃の平均価格は一個100円を割り込んだそうです。
通常であれば一個200円前後が平均の高級桃が。です。
他の野菜も同様。検査結果は未検出が殆どで、検出されても基準値以下であっても値段は通常の半値ちかくです。
肉牛に関しては出荷制限は解除されたものの、値が殆ど付かない状態であると聞きました。
漁業に至っては未だ情報が少ないこともあって県内の6漁協は操業自粛を続けています。
福島産の魚はいわきの売り物であったのに、復興目指すいわきの海産物センターにも並びません。
「基準値以下、といっても検出されている」
「未検出と言われても信用できない」
などの意見も多いことは事実ですし、被ばくを恐れる気持ちは理解できます。
ですので、ある意味今年一年福島の農産物がある意味避けられてしまうのは仕方ないとも思います。
福島の生産者としても決して自分達を助けようとしてくれる他県の人達に危険なものを食べさせるのは本意ではありませんから、東電を恨みつつその辺は納得していると思います。
生産自粛、出荷縮小、モニタリング検査などあらゆる措置を取って努力もしています。
基準を超えたものは勿論出荷しないように努力もしています。
(肉牛の件は例外。あれは生産者にも大きな罪があります。反省すべき事です)
しかし、
「作られる食材、工業製品などはすべて「汚染された物」として取り扱わなければならない」
とまで言われると福島に生きている人達の存在そのものの否定であると感じずにはいられません。
まして
「東北や関東のノート、トイレットペーパー、CDは買わない方がいい」
「製品の表面に「この製品は1年0.01ミリの被曝を下回っています」と書いてあれば買うことができる」
と例えとはしても言われると言葉もありません。
福島原発の事故で放射性物質が福島を中心に大量に拡散されました。
それは天災だ、人災だと言ってももう過ぎてしまったことで、今更何を言っても元に戻りません。
一年1ミリを守れた平常時と今は違う、特別な事態であるのです。
私達は暫くの間、非常時としてのがまんをしながら、できるだけ1ミリを目指す為の努力をしています。
だからせめて福島を拒否しないで欲しいと思うのです。
福島のCDを聞いたら被ばくするのでしょうか?
福島のトイレットペーパーでお尻を拭いたらガンになるというのでしょうか。
食べ物でさえ基準値を超えているものは基本出荷されませんからもう少し福島を受け入れて欲しい。
そう思うのは甘えなのでしょうか?
ちなみに武田氏のブログでの上記のような表現はこのままの体制ではいけないと言う問題提起のたとえ話であると解釈しています。
本当にそう思っているわけでは無いと、心から願っています。