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忘れてはいけないけれど…

今日はいい天気だったので春彼岸のお墓参りに行った後、(春彼岸の時ってお花高いですよね〜3本で500円って絶対にボラれてる…)いわきに行ってきました。

アクアマリンふくしまや、マリンタワー、いわき湯本のコードF−2も回ってきましたが今回の一番の目的は「いわき ら・ら・ミュウ」で開催されている東日本大震災企画展。
「東日本大震災 いわきの「歩み」と「学び」展
 〜こどもと考える「生」と「絆」〜」
を見ることです。
いわき ら・ら・ミュウはいわき市の観光物産センター。
一階を入ってすぐのところは海産物の直売所。
本来であればいわきの港で水揚げされた新鮮な魚介類を販売していますが、今は各地の海産物を扱っています。
めひかりとか毛がにとかも売ってます。
魚屋さんの売り声は元気が出ますね。
魚の干物やマグロ、カツオの刺身などいろいろ。貝や魚の串焼きやバーベキューなども楽しめます。
また奥には東北有数の屋内遊び場「わんぱくらんど みゅうみゅう」があって巨大遊具やブロックなどで思いっきり遊べます。
ボールプールなんかは子供達が大喜びしてましたね。
今日開店のサーティワンアイスクリームも大人気でしたし、ぬいぐるみショップやいわき、福島のお土産がいっぱいのお土産ショップもありました。

そして二階の企画展へ。
入ってすぐのところに展示してあったのはまっ白なおむすび(の多分サンプル)でした。
それを見た途端、私も背中がざわりとしました。
震災からすぐの2日目、3日目。避難してきた大熊の皆さんの為に、必死で握ったのはこれと同じおむすびでしたから。
「この味を忘れない」
と添えられた小さなメッセージポエムとイラストに思わず言葉を亡くしてしまいました。
また入ってすぐのところには避難所が再現されたものも。
段ボールで間仕切りができるようになったのは、震災後かなり過ぎてからの事ですが、ああ、確かにこんなだったと思い出されました。
他の写真は、本当にもう言葉もないです。
いわきは、津波の影響も含めて、田村市とは比較にならないくらいの被害を受けておられます。
3月11日に私が行った久ノ浜は68人が無くなり、津波で家を流された上に火災が発生してまさに地獄絵図であったと言われています。
それが写真に残されていて、何もない廃墟すらが人々の明日への努力であったのだと思い知らされます。
他にも消防署や自衛隊、警察の方達の軌跡。
ボランティアの方々の活躍、いわきサンシャインマラソンに来られた方のメッセージ、仮設住宅に暮らされる方の言葉など、胸に響いてくるものばかりでした。

でも、中でも一番心に残ったのは
『震災の展示はやがて取り外されていく。いわきの本当の魅力で人を呼べるようになった時こそ本当の復興である』
(細かい表現はちょっと違うかもしれませんが)
震災の記憶は忘れてはいけない。
けれど、震災を忘れてかつての福島、かつてのいわきの魅力を取り戻すことも大事なのだと言う言葉を私は心から尊敬しました。

もし、機会があれば3月31日までの企画展ですがぜひご覧ください。


終わった後はサーティワンでアイス食べて、寿司正の海鮮丼食べて、おみやげ買って…2階のゲームフロアでゲームをして帰りました。
で、気になったのが「産地直送 マスコット」
顔文字付きの野菜、果物マスコットです。
ここにあるのも意味があるような気がして…全部コンプしてきてしまいました。

いわきまで来て私は何をしてるんでしょうね。

東北においでませ

これは、コードF−2を回っていた時に貰ったものです。
3月18日から「東北観光博」というのをやるらしいです。
東北は豊かな自然を見どころとした観光地がたくさんありました。
今回の大震災と原発事故で、ある意味一番被害を被ったのはそういう観光地の方かもしれません。
昨年の観光客は原発事故の事もあって例年の二割以下。後半多少持ち直したりしたものの一年経っても回復の見込みはなかなか見えません。

それで、東北全てを博覧会の会場に見立てて、28のゾーンに分けて見どころをPRし、東北に観光に来て下さいとアピールするイベントが「東北観光博」だそうです。
と言っても特に何かがあるわけでもなく、ちょっとした割引があったり、スタンプラリーみたいなものをしたりというだけではありますが、これがたくさんの人に東北を訪れて貰うきっかけになればということでした。
東京や福島などでもいろいろイベントをやったらしいです。
各都市のマスコットキャラクターが現れたり、温泉郷の美人女将が宣伝活動したり、ですね。
パンフレットは漫画家のちばてつやさんがかきおろして下さったものだとか。

…福島は、まあ放射能の話がありますから、敬遠されてもと思うところはありますが(納得はしてませんよ。勿論)でも、他の東北の各地まで嫌われてそれぞれの土地が気力を失ったら復興もおぼつかないのでたくさんの人に来てほしいと思います。
これから、東北は緑と祭りと花見のシーズン。
前にも言いましたが、福島や東北が被災地ではなく、美しいところ、楽しいところと思って貰えれば嬉しいです。

ブログ開始一周年=原発事故から一年

自分でも忘れていたのですが私がこのブログを開設したのは昨年の3月16日。
もう一年が過ぎていました。
私がブログ残そうと思ったのは3月15日の水素爆発があったあたりでした。
14日にはもしかしたら田村市全市避難もあるかもしれないという状況で、マスコミの取材さえ来ない原発35km地点で、福島の「今」を発信できたらと思ってとにかく手近で、タダで開設できるブログ〜とエムブロを選んだわけです。
ゆっくり探せばyahooとかOCNとか、楽天とかブログサイトはいろいろあったのですが、あのころはもうそんなことを考えている余裕もなく…。
友達があちらこちらで拡散してくれたおかげで、思った以上の方においでいただき、読んでいただき、励まして頂けるようになったことをとても嬉しく思います。
あの地獄のような日々の中、かけて頂いた声やコメント、拍手にどれほど励まされたかは解りません。
本当に心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

正直な話、日記もブログもHPも三日坊主になることの多い私ですが、この一年毎日書いてこられたのは読んで下さった皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。
私のブログは一応時事、ニュース分類の震災日記なので、福島の関連の事と震災関連がメインです。
震災の事や福島の事を伝えるのが目的なので、あまり個人的なことは書かない様にしていました。
しかしこの一年間、ブログのネタが無くなる、ということはありませんでした。
それだけ、当たり前の生活に戻ったように見える我が町でさえ震災に思うことが山ほどあった、ということです。
いいえ、正確には原発事故に…でしょうか?
これからも多分ネタが尽きることはないでしょうし、私が震災直後のブログで誓った通り、私がブログを閉じるのは大熊や浪江などの人達が故郷に帰ることが出来るようになったその日です。

福島が本当の意味で「元に戻るまで」どうか、良ければ今後ともどうか、お付き合いくださいませ。

福島温泉巡り 土湯温泉編 宝探し コードF−2のヒントもあるよ

先日紹介した飯館温泉は福島の最北に近いところにあります。
そこから一度福島の市内に出て、山奥に向かって走ること30分ほどで土湯温泉に着きます。
正直福島からだとあんまりはっきりと道路標示が出ていないので気を付けないと迷います。
(訂正 福島西インターから猪苗代方面に行けば真っ直ぐ、迷わずに行けます。一本道です。15分ほど)
でも、到着した温泉郷は、今回のコードF−2の七温泉の中で、一番コッテコテの温泉地でした。
山間の道を入っていくと深い渓谷の中。坂道を下って行く途中にある展望台では対岸に山を仰ぎ温泉郷を一望でき、あちらこちらから上がる湯煙と絶景を見ることが出来ます。

土湯温泉はこけしがとっても有名。
温泉郷の入り口にはでっかい巨大こけしが少女のブロンズ像と一緒に立っています。
奥の荒川大橋にはその四隅全部に大きなこけしが経っていたりもします。
また土湯八景と呼ばれるこけしを象った碑が八か所に立っており、それぞれにその名所にあった短歌が書かれています。
先に書いた展望台にも一のこけしが。
「久方の雲井はるかに見降れば 鬼面山のゆきの夕ぐれ」
自然にも恵まれた土湯をよく表す唄だと思います。

土湯温泉にはあちらこちらに無料の足湯もあります。
特にお勧めは巨大こけしの橋、荒川大橋のたもとにあるかじかの湯。
大きな笠をかぶったこけしがお湯の中央に立っています。
お湯も熱いし、渓谷が良く見えて本当にお勧め。
気持ちいいです。

ネーミングがいいのは月の湯橋のたもとにある月のゆぶじぇ。
椅子の所が白木つくりで屋根付きで女性がのんびりするのにいい感じです。
月のゆぶじぇの先には熊野神社。
他にも何か所か足湯もあり、公衆浴場もあります。
また聖徳太子堂やこけし堂など名所旧跡もたくさんあります。
夏には水芭蕉の花が咲く群生地や、ゲンジボタルの群生地もあり、ウォーキングコースも完備されているそうです。

豊富な湯量に恵まれていて、雪を解かすのに温泉のお湯を使っちゃう太っ腹なところやお土産屋さんが軒を連ねて元気なところが私は大好きです。
ただ、ここの名物が私の苦手なこんにゃくなところはちょっと困ると言えば困るのですが、とても楽しい感じのするところです。
またここから岳温泉までの道も遠くないので、飯館から土湯、岳、頑張れば磐梯熱海まで一日で足湯めぐりもできるかもしれません。

今回の七温泉の中で、個人的に一番のおすすめ。
ぜひ、楽しんでいらして下さい。

卒園おめでとう

今日は田村市の幼稚園の卒園式でした。
毎日一生懸命式の練習して、卒園しない子もお祝いの言葉や歌の練習をして。
「まいにちれんしゅうでもうヤダ〜」
とストレスためながらも、がんばったおかげでみんな、とても上手に式ができたそうです。
先生も、保護者もきっとホッと一安心でしょう。

昨年は、卒園式が出来なくて〜というのは前にも何度も書いた話。
都路の小学校、中学校、高校は警戒区域の中には無く、解除された旧避難準備区域に有る為、地元の人達の中には新年度からの学校再開を望む声も多いようですがまだ除染が終っていないという理由からまだ平成24年度も新学期からの学校は再開せず、早くて2学期、遅くても25年度までの学校再開を目指すという事のようです。
町の復興には子供が不可欠。
だから、子供の安全の為に念には念を入れて、という意見はもっともですが、間借りの学校で落ち着かない生活を送らせるよりも自分達の家で暮らさせたい。
という意見もまた間違っていないので、本当にどっちがいいとは言い切れません。

でも、私達は私達の愛する故郷で、自分の家で節目の時、区切りを迎えることが出来る。
これも何度も言っている事ですが幸せな事なのだと思います。

皆さん、卒園おめでとう。
こうしてお祝いしてもらえることの幸せを、どうか忘れないで下さいね。
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