時々、思うのだ。
僕たちの必要性って。
僕とか複数形で文打ってますけど、別に人格が変わったわけではない。
けれど、僕という感情を文章として打っている。それだけである。
そもそも、一人称を変えただけで自分の人格が変わっているという話はおかしなものである。
気分で今は私だったり俺だったりと使い分けてる人だっていると思うんだよね。
逆も然り、なんて誰かが言うのでこれも文章に残しとくよ。
結局、誰かに置き替える行為をしたいだけ。
自分の傷を最小限にするため。
悪いのは、誰?と考えた時にあまりにも外郭にいる人材が不足だったため、内側でつくるしかなかった。
じゃあ、今はどうだろうか?
前より恥じることも痛めつけられることも減っている。
部屋にこもっているから。
僕たち架空の必要性ってある?
あまり人間と関わらないからふわふわと飛んでいけそうなほど、軽い。
多くの人間と関われば関わるほど、重くなるんだなぁって思う。
そう考えてしまうと外に出て働くのが怖くなる。
その事を考えないようにして。
表向きでも外に出たいという意思を見せる。
私は精神的に弱い人間だよ。
ただずっとそうだったから誰も私が精神面で異常来してるなんて判らないだけ。
自分も口では、言ってるが。
『異常』だと認められて変わってしまうのが怖い。
中の人なんていないんだっていわれるのが怖い。
私なんていないだっていわれるのが怖い。
私も中の人なんだから。