拒絶された記憶が
時折、私を苦しめる。
私は人に共感されることは少ない。
だから、『異常』というものがいつも近くにある存在なのだ。
人から共感されないということは世界から見放されると思わない?
それだけで世界から隔離されるんだよ。
永遠にそのモノは誰も知られることなく消えてしまうんだ。
だけど、生み出したモノからすればどうなるかな?
ずっとそのモノがまとわりつく。
そもそも。私という存在が異常に過ぎないんだよ。どんなに頑張っても異端児。姿は普通でも中身は手足が一つの胴体からいくつも生えてるんじゃないかと思えるほど。
私のこのブログをみて普通なんて言う人はいるのかな?
私生活はあまちゃんなんだけどさ。
思考はいつもこんな感じだよ。
途中から書いてる性格、違ったりしてるけどね。こういうやつなんだよ。私達は。
私が風邪をひいたらしい。
熱がある、頭が痛いと言うと母は私も、と同意した。
母にいつ熱を計ったの?って聞いたら、今から計ると言われた。
怒りが沸いた。いつもそうだ、この人は。馬鹿じゃないのと思った。
確証もないのに周りが風邪をひいたから思い込んで自分も!なんて乗り出そうとする。
そして、みんな風邪をひいて苦しいんだよ。と言われた。
我慢しろということなのだろう。
母が言うみんなって家族のことなのだろうか?
知らないけど、母はまだ風邪をひいてないだろ?そんな母に言われる筋合いではない。
何かにつけてみんな同じだという。
では、トラウマも性癖も同年代から無視され邪険な扱いをされたこともみんな通ってきた道なのですね。
私の中に何十人とある性格も声もみんないるんですよね。
みんないるのに思い込みだと否定した事実はなんなのですか?
もう私はわかりません。わからないです。
このブログをみるのも
メンタルのブログをみるのも
辛く感じる。
このブログをみてしまうとあの子を思い出してしまうのと…
コレを作った本人たちと俺らの記憶が全く噛み合わない、
というか生きた時代が違うというか。
このブログをみてもその当時のことを知らないのだ。
それにアイツらビョーキ的だった気がする。
だからこのブログを作って証明したかったのかもしれない。
あの子の存在を固定したかったのかもしれない。
だが、現実はどうだろうか?
あの子は完全に手振って現実から出てこなくなった。
かわりに俺らが存在してたわいない会話をして過ごしている。
皮肉な話でビョーキを忘れれば、本体が消え。
ビョーキを思い出せば、本質が姿を現す。
嬉しいことにあの子が消えれば、過去なんて気にしなくなるだ。
悲しいことにあの子が消えたら、思い出も築きあげてきた人格もいなくなるんだ。
みんな気付かず、あの子を刺してる。