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遠き同胞

26年前の4月26日はチェルノブイリ原発事故が起きた日です。
その当時はソ連の悲劇を他人事のように見ていましたが、今はまったく他人事とは思えません。
むしろ、チェルノブイリの方達は、フクシマの遠い同胞。
同じ悲しみを知る仲間ではないかと思うのです。

チェルノブイリ事故では広い範囲の人達が強制移住で故郷を離れ、25年以上経った今でも今もなお戻ることが許されていません。
3月11日のダッシュ村の特集でも、毎時30マイクロシーベルト以上の高い放射線量を記録するところがあるということです。
チェルノブイリ事故では作業員の為の除染以外、殆ど行われることがなく、フクシマとは事故の質もだいぶ違います。
それでも、突然の事故で故郷を失い、放射能の恐怖と戦わなくてはならなくなった苦しみ悲しみに置いてチェルノブイリの方々は先輩であり、同胞であると言えるでしょう。

当時は放射線の恐怖が今ほどわからず、事態の収束に動いた工事の人や消防署員が多く犠牲になりました。また放射線障害と呼ばれるものが多く発生した初めての事例でもあると言われています。

その後事故により小児がんなどが増加したとか、専門的な事や悲劇を語り出すときりがなく、不安はどんどん大きくなります。
でも、あの時とフクシマが大きく違うことがあります。
チェルノブイリの悲劇を繰り返すまいとたくさんの人がフクシマに手を貸してくれている事。
そしてチェルノブイリの経験がフクシマに生かされようとしていることです。

ダッシュ村の特集でチェルノブイリの方がフクシマを心配し、諦めてはいけないと応援してくれていました。
私達の福島はチェルノブイリのように後世、悲劇の土地と語り継がれるのかもしれません。
でも私達は一人ではなく、私達よりもっと辛い思いをした人達が、今も前向きに頑張っているのですから、私達も諦めてはいけないと思うのです。

心からチェルノブイリに祈りを捧げます。

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