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心まで汚染されない

先日の旅行の時、仙台の友人を連れて、ら・ら・みゅうでの「東日本大震災 いわきの「歩み」と「学び」展
 〜こどもと考える「生」と「絆」〜」に行ってきました。
彼女は実家は仙台市内、職場が多賀城市で津波に遭遇した一人です。
「ああ、こんな感じだった」
と言葉少なに見つめていました。

彼女は自宅が無事だったので家で暮らすことができて、避難所に行かなくてすんだので
「まだ良かったと思う」
と避難所の再現展示などを見て言っていたのでした。

友人も一緒であったこともあり、あんまり写真も撮ってきませんでしたが、この言葉だけはちゃんとあやふやはなく伝えなくてはと思って2枚だけ。
展示のほぼ転載になりますがお許しいただければ幸いです。

一枚は塩むすびのメッセージ

「3月11日…
あの日、津波で家をなくし 母も亡くした

連絡のとれない 母を探して、
避難所の中学校の掲示板に母の名前を書き、
校内放送で何度も母の名前を呼んでもらう。

いつの間にか、二日が過ぎていた。

その日、おにぎりを 配っていた。
「ひとつ もらえますか?」

制服を着た女子中学生が渡してくれたのは、
ラップに 包まれた真っ白な塩むすび。

頬張ったら 急に涙がこみ上げてきた。
初めての 一涙。

おいしくて 悲しくて泣いた。

あの塩むすびの味を 忘れない」

もう一枚は いわきの観光

「いわきの観光が動き出した。
 ある施設の担当者は言う。
『本来の魅力でお客様に来ていただく。
 それが復興したということ。
 だから震災関係の展示は間もなく外されていく
 売るべきものを売っていくということです』

いわきが復興した時、震災は歴史となる。
いわきの観光にも 一つの歴史が加えられる。

震災後を生きてる人々が
それぞれの歴史を築き上げていく。

一日も早く いわきのひとつの歴史とするために
「これから」を生き抜いていこう。
強く くじけないで」

震災を正しく語る言葉であると私は思います。

いわきからの帰り道、こんな看板が立っていました。

「心まで汚染されてたまるか!」

どんなに望んでも、願っても時間は後戻りすることはなく、原発事故は無かったことにはなりません。
まき散らされた放射性物質が消えることもなく、偏見や実害と戦う日は長く続くでしょう。
でも、私達は負けないし、くじけない。
命があるからこそ、できることがあるのだと、心まで汚染されはしないと証明していくことはきっとできると思います。

そんなことを考えさせてくれた展示でした。
心からありがとうございます。
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