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拒否か共存か

震災のがれき問題については語りだすと絶対に明るい話題にはならないので、今まで避けてきましたが、今日買った新聞のコラムにこんな記事が載っていたのでちょっと考えてみました。

「がれきの受け入れを決めた佐賀県某市では被災者支援課の電話がひっきりなしになり続けた。「放射能をあびるのと同じ苦しみを職員に与えてやる」「市のイベントをことごとく妨害する」全て、抗議や苦情、脅迫めいた言葉ばかりだった。チェーンメールが数十通。県外からの抗議も多く、ブログは炎上、ツィッターはログインできない。…市長は受け入れを先送りすると発表した」
3月11日にも写真を上げましたが、比較的被害の少なかった福島でさえ、家の撤去は進んでもがれきの処理は進んでいません。
今も学校の校庭に山のようながれきが積み重なっているところがあります。
でも、現在各地に広域処理を依頼されているがれきは「宮城」「岩手」の物と限定されています。
福島県のがれきは測定されても福島県のものだというだけで、しきいから外されているのです。
それについて思うことはありますが、本当にたくさんありますが、でも問題となるのはそこではない。
放射能を測定しても基準内。でも脅迫まがいの事をして拒否する人がいる。
しかも県外からの抗議がとても多かったということです。

決して私はがれき受け入れをしなかった佐賀県を責めるつもりはありません。
決断した市長は悔しさに涙を流してくれたといいますし、反対していなかった方も多くいたと聞きますから。
他の自治体も受け入れ拒否を表明したところは多いです。
でも、こういうニュースを聞くにつけ低量被ばくに向かい合う人の温度差を感じずにはいられませんでした。
セシウムさんの件以来何度も書いていますが南の方達にとっては東北全てが原発の汚染地なのでしょうか?

この件についてぐぐった時、こんなことが書いてあるサイトがありました。
「今や九州は放射能に汚染されていないモノを生み出せる貴重な地であり、そこを放射能で汚染させることは決して許してはいけない」
私達はがれきの置いてある場所に住み、そこで呼吸をしています。
がれきを受け入れることが大地を汚染させるというのであれば、私達もまた彼らにしてみれば汚物扱いなのでしょうか?
少し悲しくなります。

例えば、雨の中車に泥を跳ねられて、転びけがをした子供がいる。
そんな時、自分の服が汚れるからと助け起こすことを躊躇う人はいるでしょうか?
泥がつけば不衛生だし、ひょっとしたら病気になるかもしれない。
でも、怪我をしている子供を助け起こし、手当てをする為に自分の服が汚れても私だったら手を差し伸べます。
それを他者に強いるつもりはありませんが。

原発事故は決して無かったことにできず、福島を始め東日本、ひょっとしたら日本中や世界中にまき散らされた放射性物質も消えることはありません。
この放射性物質とどう付き合っていくか、共存か拒否か。
私達の判断が今、試されているのかもしれません。

個人的に言うなら震災のがれきを無理に急いで外に運び出さなくてもいいかとは思います。
地元で時間をかけて処理することを検討したほうがいいこともあるかもしれません。
嫌だというものを無理に受け入れてくれと言うつもりもありません。
ただ、放射能汚染地と東日本を拒否する風潮が、人々が私は悲しいのです。
そんな人ばかりではないと解っていますが。

福島に今も生きる人は放射性物質と共存していく道を(他に選べないとはいえ)選んでいます。
最近はこんな記事もあって、除染などと共に放射能とどう付き合っていくかを考えるようになっているのです。
異常な事態かもしれませんが、これが今の私達の日常。

皆さんはどう思われますか?

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