哨戒任務の最中、ふとした瞬間に気が緩み大きな欠伸が口をついて出た。
「なんだお前さん、また徹夜でデータとにらめっこしてたんじゃないだろうな」
口調こそ厳しいものの、やや大げさに肩を竦める仕草と呆れ笑い。といった表情にさほどカップ機嫌を損ねた訳ではないと悟る。すまないと呟くとまだ交代したばかりだぞ、シャキッとせんか。と言ってばしんとやや強めに背中を叩かれた。
「まだ慣れんか」
「いや、そういう訳では…」
確かに以前は内勤として基地内に籠もる仕事が主だった為、こういう任務に当たる事は無かった。しかし自分の意識を緩ませたのは、数列でも不慣れな環境でもなく、お使いで基地を離れている彼である。
》天候に恵まれたおかげで、予定より早く帰還出来そうだ。
定時報告のメールに記されていたその一文だけで、こんなに上機嫌になってしまうなんて。自分はこんなに単純だったろうか?
「…お前さん、何ぞ良い事でもあったのか?」
「え、ああ…まあ…ちょっとな」
図星をさされたとは言え我ながら曖昧な答えだ。
「何だ、また奴さんか?」
「!」 自身を改造してからは、感情の起伏が減り、無表情が常になったと言うのに、経験の成せる技なのか、カップは私の気持ちをさらりと言い当てる事がままある。それとも自身で気づかぬ内に表情まで緩んでいたのだろうか?
尋ねようにも、お前さんといいあいつ等といい…と苦笑を浮かべ、小さくため息をついたっきり、彼は私を相手にしてくれなかった。
綿雲
射撃訓練所に入ると、自分と同じく訓練をしに来たらしいブラー、それにブラスターと鉢合わせた。彼らの明るい挨拶に会釈を返ししながら、手は澱みなく対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)のチェックをする。
最初の頃のぎこちなさなど、まるで無かったような手際の良さに、ブラーが様になってきたねと笑い、ブラスターは僅かに口元を歪めて目をそらした。それに心中でため息を漏らしつつ、チェックを終えた銃を担いでホログラフでできた標的の前に移動する。
銃本体と弾薬が大型で取り回しが悪い。重い。反動が強い。故に命中精度を高めるには必ず2脚(バイポッド)を接地しての伏せ撃ちなどが要求される。など扱い辛いが、一発の威力が大きく…無論ミサイルやバズーカの威力には劣るが、鉄筋コンクリートや樹木程度の遮蔽物なら、容赦なくそれごと敵を撃ち抜ける。何より有効射程距離が通常のスナイパーライフルの倍以上あるのは魅力的だ。
スコープを覗き込んで照準を合わせ、引き金を引く。訓練用の模擬弾は、過たず標的の中心を目掛けて突き進み、肩と頬に反動を感じた時には、標的は粉々になって掻き消えていた。
「お見事」
「ありがとう」
ぱちぱちという軽い拍手とその明るい声色とは裏腹に、なにかを我慢するような、ぎこちない笑みを浮かべるブラスターに、またひとつため息が漏れる。
『何もパーシーが戦う事は無いさ』
『今までも、充分心強い仲間だったよ』
すまない
自分の為に心を傷めているブラスターに、後悔ではないが、なにか後ろめたい…申し訳ないような気持ちになる。
だけど、私はもう弱いままではいられない。
視線は標的を捉えたまま、構えを崩さず、自分自身に言い聞かせるように引き金を引く。
砕けて消えるホログラフ
ブレインを掠めるのはかつての自分の姿。未練が無かったと言えば嘘になる。それでも私は、間違った選択をしたとは思わない。思いたくない。
休まず引き金を引く。
最後の標的が、ゆらり陽炎のように揺らめいて消えていく。自分が撃ち抜いたのはホログラフだけじゃなく、きっと。
Brocken spectre
ブロッケンの怪物とは、霧の中に伸びた影と、周りにできる虹色の輪(ブロッケンの虹)の二現象をまとめて指している。名前の由来はドイツのハルツ山脈にある実在の山から。ブロッケン山は年に一回魔女が集まって(ヴァルプルギスの夜)魔女の饗宴をする山と言われ、ゲーテの戯曲『ファウスト』にも登場する。
今日は何もやることが無く、珍しくご飯を作ってみる。自分で言うのも何だが元々が器用な方だ。凝ったものは作れずとも人並みレベルの料理くらい。
スロウライフ
思えば自炊など何百年ぶりの事だろう。ちょっと考えてみるが以前何を作ったのかさっぱり思い出せない。…とりあえずその記憶がかなり曖昧になるくらいには昔で、ならば何故この部屋に調理器具があるのかと言えば、それらは全てドリフトが持ち込んだ物で、彼は暇を見ては自分の元に訪れ、手料理を振る舞ってくれる。
彼の作る料理は端的に表すならばチープで大雑把、良く言えば家庭的でホッとする味だ。ブラスター曰わく「それって餌付けなんじゃ…」らしいが、食費は基本的に自分が持つので本当の所餌付けしているのは私の方だ。と思う。
そんなこんなで小一時間後。
「…おいしくない」
ご飯に目玉焼きはともかく、決して不味い訳ではないが、お世辞にも上手いとは言い難い、どこか残念な味噌汁に("ダシ"を入れ忘れていたのが原因だった)(ドリフトはいつも"ダシ入り"の味噌を使っているのだと後で知る)はぁ…とため息をつき、もそもそと箸をつける。
これならいつも通り食堂に行けば良かったとひとりごちながら、やはり慣れない事なんかするべきじゃないな。と火を通し過ぎてスが入った豆腐を咀嚼した。
匂い立つ 花の惜しさよ 叶うなら 一目なりとも 君に捧ぐを
金木犀
とある日の夕方、一枚の添付画像と共に届いたメールには、その一文だけが綴られていた。
随分と雅やかなものだ。と心の中で呟き、メールを保存用フォルダの中にしまう。バックアップをとるのも忘れない。そんな自分の行動に、思わず苦笑いを浮かべた。
ほんの一週間
たかが一週間
されど一週間
彼と離れるのが淋しいなんて。それも戦闘を伴わない、ただのお使い程度の雑務だというのに。…今朝方見送ったばかりなのにこれでは、全く先が思いやられる。そう思っていた矢先のメールだった。
画像を開けば、秋の日差しの中で淡い橙色の花がほころんでいる。少し近寄り過ぎたのか、僅かにピントのずれた写真。
歌から察するに良い香りのする花なのだろう。戯れに画面に鼻を近づけて、クンと匂いを嗅いでみるが、当然ながらなんの香りもしない。それを少し残念に思いながら端末の電源を落とし、ふふと小さく笑みを浮かべた。