ウルトラマグナスは、この現状をどう打開すべきか悩んでいた。
目の前にはオレンジ色の頭部、そして少し下に金色の翼。部屋にやって来るや否や膝の上に鎮座したっきり、呼び掛けようが揺すろうが、全く返事をしてくれない。
これが睦み事ならばまだわかるのだが、今のロディマスはそういう雰囲気ではない、寧ろこれは拗ねているときの反応に酷似している。
(しかし…)
ロディマスに大目玉を喰らわせた事は数あれど、彼はここ最近酷い無茶はしていないし、目に余るようなサボりもしていない。何より拗ねているのなら、こうして膝の上で大人しくしている訳がなく…恐らく私の私室ではなく、ダニエルかグリムロックの所で愚痴でもこぼしている筈だ。
「司令官」
「……」
「だんまりもいいかげんにしないか」
少しばかり語気を強めてみるが、この程度で動じるような性格でないことは、自分が一番知っていた。
「まったく…好きにしてください」
そのかわり私も好きにさせてもらうからな。と胸中で呟き、ひと周りもふた周りも小さな機体を抱き締める。
「司令官」
返事は無い。小さな嘆息と共に背を屈め、翼を潰さないよう気をつけながら、ちゅと後頭部に口付けた。
「司令官」
ピクリと肩が震える。しかし彼は口付けから逃れるように背を丸め、膝を抱えて完全に顔を隠してしまう。なんなんだいったい。どうしろというんだ。
もういっそ無視して立ち上がってしまおうかとも思うが、床に転げ落ちる彼の姿を想像し、流石にそれは無体というものだと、僅かに湧き上がった苛立ちを抑える。その代わり
「失礼します。…よっ、と」
「!!」
膝裏に左手を差してぐるりと向きを変え、右手を翼の下に回して彼を抱え上げた。驚き、辺りの様子を窺おうと上げた顔を覗き込もうとするが、いやだとばかりに身体を丸めて抵抗する。まるで猫か冬眠中のリスのような姿勢だが、その背は頑なに会話を拒否していた。
(それでも構わないさ)
そのまま立ち上がって、抱えた身体をそっとソファーに下ろす。膝裏の手を離す瞬間、名残惜しげに脹ら脛と太股で軽く挟み込んで来た。先からの態度と相反するその行動に、彼の本心を見た気がする。
(おたくが気分屋なのは今に始まった訳じゃない、とことん付き合ってやる)
軽く頭を撫でてからその場を離れ、なるだけ柔らかい毛布と、ついでにクッションを取り出す。クッションを彼の背とソファーの隙間に置き、肩から毛布を掛けてから、冷蔵庫の中をチェックした。調理場ではないが故、大したものは入っていなかったが、軽食位なら作れそうだと判断し、早速卵と牛乳、そして食パンを取り出す。
彼に、何があったのだろうと考えながら、卵と牛乳を混ぜる。
最初は拗ねているのかと思ったが、それでもあそこまで頑なにはなる性格ではない。あれは…塞ぎ込んでいるのだ。
ならば原因は、やはり司令官としての重責にあるのだろうか?チャーは本人が自力で乗り越えるしかないと言っていた(そしてそれは正しい意見なのだろう)が、それでもサポートは必要不可欠だろう。それは実務の面だけでなく、精神的な面でも。
彼の好みに合わせ、砂糖を多めに入れた卵液に、ひと口大に千切ったパンを浸す。 取り敢えず。今夜はうんと甘やかしてやろう。発破をかけるなり焚き付けるなりは、その後だ。
パンが吸い切れなかった卵液ごと耐熱皿に入れ、オーブン…が無いのでラップを掛けて電子レンジで加熱。その間にコーヒーを淹れ、同じ分量の牛乳を注ぐ。
パンプティング…と言うにはやや彩りが足りない気もするが、味はそれなりに仕上がった。カフェオレと共に、温かい湯気が立つそれを持って、彼の元へ戻る。
(変化なし…か)
調理中も物音がしなかったし、見たところ毛布も崩れていない、先ほどと全く同じ、膝を抱えた姿勢のままの機体に、少しばかり不安を覚えた。
「どうぞ」
コトリとテーブルの上に置き、彼の側に寄せてやる。
手は伸びない。
顔も上がらない。
(腹が充ちればそれなりに気力も湧くものだが…)
自分まで鬱いでしまっては元も子もない。と、気持ちを切り替えて、彼の隣に腰掛ける。
「司令官、これは私の独り言です。返事などしなくても構いません。煩わしいと思うなら、聴覚をオフにしてください」
視線は前へ、但し全身のセンサーをロディマスに向けた状態で、ウルトラマグナスは口をひらいた。
「完璧な者など今まで存在しなかったし、これからも現れないだろう。不完全でも、いや不完全だからこそ、おたくが今、出来るだけの努力をしているのは分かってる。だから、おたくはもっと甘えていい。私は望む限り側にいる。それはおたくが、マトリクスを受け継いだ者だからじゃない、我々の司令官だからでもない、ただ…」
不意にウルトラマグナスの言葉が途切れ、逡巡するかのように口ごもる。ゆるく明滅するオプティックが、そのままマグナスの心象を表していた。しかしそれも数秒の間だけ、己の意思を確かめるように、はっきりとした口調でマグナスは言葉を続けた。
「私がおたくの側に居たいだけだ」
嘘じゃない、たとえ始まりがそうだったとしても今は違う。そこまで続けた所で、とす。と、彼が控えめに体をもたれて来た。思わずオプティックを見開きながら、慌てて彼の方に首を向ける。
「マグナス…」
おずおずと上げられた顔。
普段の快活さなど見る影もない程、声が掠れている。そのオプティックも、涙こそ浮かべて居なかったが、散々擦ったのだろう、目元の表皮が傷付いていた。
「やっと私を見てくれましたね」
「……」
彼は私の名を呼んだきり、口を一文字に結んでしまった。時折もごもごと唇を動かすが、それらは言葉になる前に消えてしまう。
「いいんです」
それでもいい、理由など教えてくれなくても、おたくなら、話したいと思えば話してくれるだろう、自分の中で消化したいならそれでもいい。
「私は、おたくが嫌だと言うほど側にいてやります」
だからどうか、独りきりで泣くのはやめて欲しい。私が彼を重荷に思う事など、まして煩わしいと思う事など、決して無いのだから。
寄りかかって来た頭を、慈しみを込めてぽん、ぽんと優しく撫でながら、マグナスは胸中で呟いた。
「さて司令官、腹が減ってはいませんか?」
「…へった」
「夜食でもいかがです」
「…たべる」
「では、改めてどうぞ」
ついと手のひらで示せば、彼はのろのろと体を起こし、小さな声でいただきます。と手を合わせて、黙々とパンプティングを食べ始めた。
「マグナス」
「何です司令官」
「あたまがゆれてたべにくい…」
「!、これは失礼」
指摘され、頭を撫でていた手を引っ込めるが、彼はスプーンを止めたまま、じっと上目使いに私を見上げている。
「どうしました」
「ん…なんでもない」
少し考えて、彼の方に体をずらし、ぴったりとくっつくように座り直してみた。彼は一瞬オプティックを丸くして、次にはにかんだように唇を歪める。不得意ながらもにこりと、なるべく優しい顔で笑い返す。すると彼は、蚊の鳴くような声で、ありがとう。と囁きまた黙々と食べ始めた。どうやら正解だったらしい。
「あのさ…その…」
「はい」
夜食を食べ終えた彼が、再びちらちらと…但しかなり遠慮がちに私を見上げてきた。私はブレインをフル稼動させ、何とか彼の望みを読み取ろうとする。しかし意外な事に、それより先に彼が口を開いた。
「きょうはマグナスといっしょにねたい」
瞬間、突き崩されそうになる理性を、鋼の自制心で耐える。なるだけ冷静に彼を見返すが、そのオプティックに情事を望む色は宿っていない。
「私で宜しければお安い御用です」
正直、彼を押し倒さなかった自分を誉めてやりたい。
「ありがとう…あと…なまえ」
「はい?」
「なまえでよんでくれ」
常の奔放さとはかけ離れた、ささやかな甘えに、ぎゅうとスパークが締め付けられる。
「わかりました。なら…ロディマス、今日はもう遅い、そろそろ寝ましょう」
「ああ、そうするよ」
どうか明日には、いつもの明るい彼に戻っていますように。でなければ私は調子が狂ってしまう。こんな雛鳥のように無防備でか弱い姿は、彼には相応しくない。
「さあ、準備が出来ましたよ」
「うん…おやすみ。ウルトラマグナス」
「おやすみ、ロディマス」
よい夢を。
イメージBGMはBUMP OF CHICKENの【embrace】です。