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AHM ドリパ

 日が暮れる。

 薄墨を溶いたような灰色の空が、濃く、暗くなる。

 互いの白い排気も、静かに舞い降りる雪も、誰そ彼の闇に吸い込まれて消えてゆく。
 寒くはないか?と、傍らの君が外套の袂を引き寄せながら此方を向き、チカリと青い瞳を明滅させて問うた。私は視線を地平の彼方へ向けたまま、問題無い、平気だ。と返し、自らもより深くフードをかぶる。
「そうか」

 君が小さく呟いたきり会話は途切れ、今宵の哨戒任務が始まった。

 それからいくばくかの時が過ぎ、私は彼方へ向けていた視線を、ふと手元へ引き戻した。しんしんと降る雪が、私の指先にひとひら落ち、一瞬前には確かに正六角形の結晶だったのが、見る間に丸い水滴に変わる。

 水は、この惑星において、最も顕著に物質の三態変化を見せる物質だ。この指先の水滴も、私が少し熱を与えれば気化して水蒸気となり、逆にこのままほうっておけば、再び凝固して氷となる。水から氷へ。氷から水へ。水から水蒸気へ。化学式で示せば、これら全てが[H2O]という僅か三文字で足りる物質なのに、いざ目の前にするとまるでそれぞれが別の物質のようだ。化学の基礎の基礎とも言える、物質の三態変化を、このようにゆっくり観察するのは久しぶりで、普段は厄介な雪も、今の私にとっては嬉しい贈り物だ。

 ほう。 一つ排気をする。

 排熱を受けて、凍りかけていた水が、再び液体に変わった。

 ほう。 少し排気の勢いが強かったか、指先の水滴は滴り落ちてしまった。

 それを名残惜しく感じながら、もう一つ排気をする。白くゆらゆらと揺れて霞んでゆく、我が身の熱の名残を、何とは無しに眺めていたら、フードの隙から青い光が見えた。正体は確かめるまでもない、隣にいる君の瞳だ。その気配を感じさせない密やかな視線は、いつから私を捕らえていたのだろう?

「何か用かね?」
「……」

 私が声を掛けると、少し驚いたのか、君の瞳がチカチカと瞬き、フイと伏せられてしまった。おやと内心首を傾げながら黙っていると、君は何か言いよどむように口をもごもごさせる。その横顔は、不思議と常より幼く見えた。

「ドリフト?」

 数秒待ってから、疑問符を付けて名前を呼ぶと、彼はようやく此方を向いてくれた。そして

「……手、寒いのか?」

 気遣わし気なその言葉に、ああなるほどと合点がいく。彼は、先から私が指先に息を吐きかける様を見て、よもや冬の夜の寒さに凍えているのではと気を揉んでいたらしい。極地ならまだしも、この程度の気温で我々が凍える筈もないと、君も知っているだろうに。

 先のように問題無い、平気だ。と返そうとしたけれど、少し考えて思い直し、控えめな声音で一言告げた。

「…少しだけ」

 君の瞳が、逡巡するようにまたチカチカと明滅し、しっかり被っていた外套の襟が開き、裾から君の雪のように白い腕が伸ばされる。

 そして、ぎゅ、と。

 君は普段より少し強い力で、私の手を握りしめた。

「寒くはないか」
「ああ」

 手を握るという行為に、どれほど考えあぐねたのか、君の手のひらはちょっと熱いくらいで、もしも人間だったなら、きっと真っ赤になっているだろう。

「そうか」

 それきり会話は途切れ、静かな夜が戻ってきた。…否。君の駆動音が、手のひらから静かに伝わってくる。

 ああ本当に、今日の雪は私にとって嬉しい贈り物だ。


 夜はまだ、明けない。

snow white
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