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あの日の事、これからの事

子供相手の仕事をしていると1年1年は本当にあっという間に過ぎていきます。

3月11日。
震災で年を数える様な事は断じてしたくはないのですが、あれから4年が経過しました。

4年は私達にとってはあっという間でしたが、子供達にとっては記憶の彼方の昔の時間。
震災の記憶をもうほとんど持っていない子も少なくはないようです。
実際、もう幼稚園などには震災の後に生まれた子もいます。
だから、黙とうとか言われてもピンと来なかったりというのも解らなくもありません。
無理に恐怖の記憶をよみがえらせるというのもナンセンスだとは思います。
それでも…福島では今日、幼稚園でもきっと保育園でも小学校でも避難訓練や震災についての話し合いが行われ、黙とうが行われます。
地元スーパー、ふねひきパークでは2時46分には職員全員が黙とうするのでおゆるし下さいと張り紙が出てたりしました。
きっと大人達は忘れられないんです。
あの日からの事を、みんな…。

私自身、昨日、何をしたかは忘れても、あの日から1週間。
見捨てられたかのような絶望の日々は今も思い出せば鮮明に蘇ります。
あの時、この地はもう誰も訪れないかもしれない。
日常など二度と戻ってこないのだと、そう思いました。
今、戻ってきた日常を心から幸せに思いながら、命や、友達、家族の大切さを再実感しています。
あの日が無ければ気付けなかった事かもしれません。

3.11の大震災。
あってよかったなどとは決して思いませんが、あの日を忘れず、あの日から学び、そして未来に繋げていくことこそが、今を生きる私達の役割だと思います。

今も苦しい生活を余儀なくされている人がたくさんいます。
県内の震災の犠牲者は1612人ですが、長引く避難生活が原因で亡くなった「震災関連死」は1793人と「直接死」を上回っていて、今後も増え続ける事でしょう。
昨日も書きましたが、阪神淡路大震災では5年で仮設住宅が役割を終えました。
でも、東日本大震災では今も家に戻れず避難生活を行う人は23万人近くに及びます。
それらの方々に一刻も早く安住の場所が見つかること。
そして笑顔でまた暮らせる日が来ることを祈り、願っています。
また福島を支えて下さり、応援して下さる方々に心から感謝します。
本当にありがとうございましす。

震災直後、被災地の言葉の一かけらでも発信する為に始めたこのブログ。
閉じるのは避難した大熊町の方たちが故郷に帰れたその時、と決めました。
でも大熊町に中間貯蔵施設ができるとの話もあり大熊町や浪江町などの復興の道のりは遠いと言わざるを得ません。
また福島を未だにフクシマと見る人たちも多い今、そんなんじゃないんだと私はもう少し発信していきたいな。と思います。



ただ、このブログについてもこの4年、いろいろありまして、た〜ぶん私が誰か地元の方とかだと解っているように思います。
もしかしたら、上の方々も…と。
個人情報もちょこちょこ書いてますしね。
公務員として守秘義務に反することは誓って書いていませんが、上から禁止命令が出た場合には閉じるかもしれません。

でも、その時までは福島の今、前向きに楽しんで生きている人間の一かけらを発信していきたいと思いますので今後ともどうぞよろしくお願いします。
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