スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

被ばくと被曝

広島を書いて長崎を書かないのは片手落ちだと思っています。
先日の長崎の原爆の日、長崎の市長さんは
「福島に寄り添っていく」
と平和宣言を行って下さいました。
震災当初、諦めたような目で言った人がいました。
「昔、広島、長崎の農産物は買うなって言われていたらしいですよ。福島もそうなっちゃうんですかねえ」
新聞などでも何回か特集があり
「広島や長崎の娘とは結婚するなと言われたと結婚が破談になった。結婚したい気持ちはあったけど姉妹だけで泣きながら生きてきた」
「福島原発の事故で初めて内部被ばく、という言葉を知った。原爆投下から時間が経つにつれ原爆が原因で癌になったとかは認めて貰えなくなったのに騙されたと思った」
と67年を経ても生々しい原爆被災者の声を聞くことができました。
「被曝と被ばくは違う」
「原爆のあの猛火と福島原発の事故を比べることはできない」
というのは本当にその通りだと思います。
でも、被災者の高齢化と共に忘れられかけていた原爆の悲しみを再び大きく世に押し上げるきっかけとなったのは、皮肉にも福島原発の事故なのかもしれません。
今年、広島でも長崎でも福島の首長や学生が多く原爆の日の式典に参加していたと聞きます。

私達は広島、長崎から学び、広島、長崎の声を聞き、その思いを伝えていかないといけないのではないか、と思います。


前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2012年08月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
アーカイブ