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歌の力はもっと…

あれから、昨日聞いた歌についてちょっとぐぐってみました。
韓国人大阪シンガーの方が作られた歌で(歌ってらした本人さん)反原発のイベントとかで歌われていたそうです。
都路の仮設住宅にボランティアにいらしたことがあって、その時に歌って「大受けだった」と。
どうやら、そのボランティアの関係で今回のお祭りに参加されたようですが
う〜ん、私だったらとても笑えないなあ。
本当に避難などをされた方は、また違うお考えだったり、笑うしかないというのがあるのかもしれませんが。
この歌を聞いて「笑えた」仮設住宅の方達は本当にお強いなあと思います。
ちなみに灯まつりでこの歌を聞いて「大受け」していた人は私が見る限りはいませんでしたが。

歌われた本人の方やまして主催者の方を悪く言うつもりはありませんが、個人としては「被災地」で歌う曲ではないように思う気持ちは変わりません。
この後歌われたMax音楽隊の皆さんの元気づけてくれた笑顔と歌を見たからなおのことそう思うのかもしれませんが。

歌の力はこんなあてつけじゃないことに使ってほしいです。
歌の力に励まされ元気づけられてきた人間の呟きでした。

皆さんのご意見はもう少しお聞きしたいです。
よろしくお願いします。

皆さんはどう思われますか?

『水素爆発 しちゃったのねぇ 想定外なんて いいわけじゃないの〜』

昨日の都路灯まつりのステージイベントである歌手の方が歌った歌のOPです。
いきなり「水素爆発!」と叫ばれて何かと思えば、ギターでその方は3.11をテーマに作った歌だと言ってこんな歌を歌っていました。
耳コピなので細かいところは違っているかもしれませんが、印象に残っている歌詞を。

『未来の夢は 終わったのね もう元へ 戻れないあなた
サヨナラと 故郷捨てて 去っていった 人々の心』

『楽しい 夢のような 原子力の 平和利用
てなこと、どこの誰がヌカしたんじゃ!』


『街に出れば セシウムの雨 ただ意味なく 安全と言うけど私が 行き着くところ 汚染地帯 他にないのよ』

『サントワマミー 風のように 大空を 彷徨う放射能
 サントワマミー 悲しくて目の前が暗くなる』

周囲はドン引き&無視。
都路の方達がどんな思いでこの歌を聞いたか私は解りません。
聞くこともできなかったし。
でも、元避難準備区域で目の前にいるのは、仮設住宅に住む人達や一時とはいえ家を追われた人々。
その人達の前で、これは歌う歌でしょうか?

今回の灯まつりの主催者である方は、この祭り後都路を離れられます。
それは家族が長野に避難したからで、家族と一緒に住むことを選んだからです。
この地が大好きで祭りを立ち上げて、一生懸命過疎化が進む村を支えてきた人。
原発事故が無ければずっと住んでいられた故郷を思いながら、離れなければならない人がいる前で
「未来の夢は終わった」と歌う神経が「私は」理解できません。

「広島 長崎 チェルノブイリ スリーマイル島も忘れないで
この国が 生き残る道 脱・原発 他にないのよ」


反原発ソングとしてはインパクトがあって聞ける歌なのかもしれませんけれど。


最後まで聞きましたが、『汚染地域』その地に住む人々を励ますような言葉は最後まで聞こえず

『サントマワミー 私達はやり直せるのでしょうか』

という言葉で締められた歌。
拍手は勿論まばらでした。


どんな思いでこの人がこの歌を被災地の、しかも元避難準備区域で歌ったのかは解りません。
勿論、私より怒る権利のある方達がいらっしゃいますし、私にはそもそも怒る権利はあまりありません。
聞く価値がないとスルーしている人が周りは多いようですが、私は今後一生この人の名を好意的には聞けないと思いました。
楽しかった灯まつりの唯一苦い思い出。

皆さんはどう思われますか?
もしよろしければ意見をお聞かせください。

都路の灯まつりは希望の灯

都路の灯まつりは震災前から行われていたもので、竹筒ろうそく1万本以上に灯りを灯す幻想的なイベントでした。
例年は都路のグリーンパークで行われていたのですが、昨年は都路一帯が緊急時避難区域に指定されていた為に中止。
でも今年はグリーンパークは比較的線量が今も高いので今年は中学校のグラウンドでもあり除染が進んだ都路運動場に会場を変えて行われていました。
駐車場にはメッセージが書かれたろうそく提灯で作られた「絆」の文字。
少し上った丘の上の会場には見渡す限りの竹筒ろうそくが美しく並んでいました。

日中のイベントでは大泉逸郎氏のライブがあったり、玄場外相が訪れたそうです。
私が仕事を終えて来たときはその手のイベントは終わって、夜のクライマックス。
松明点灯と夜のステージイベントになっていました。
グラウンド一面に広がる竹筒ろうそくの灯りは美しく、ゆらゆらと灯りが風に揺れているのもまた幻想的でした。
ろうそくが消えた竹筒は地元の子供達が火を持ってチェックして点けなおしていたようです。
これにけっこうはまっていた子も多く、灯りは終了まで幻想的な光を見せてくれました。

この会場は山奥と言ったら失礼ですが本当に細い道をかなりいく夜はけっこう怖い道のり。
知らない人が一見で来るのは大変なのでどのくらい人が集まってるのかなあ、と思っていましたが本当に思った以上に人が来ていました。
都路には知人も多いのですが、その人達とも顔を合わせおしゃべりもできました。
船引の仮設住宅からバスも出ていて、都路の人達はかなり集まっていたようです。
屋台を出していたのは殆どが地元の商工会や婦人ボランティア関連。
どのくらい人が集まるか解らないから〜。と仕入れをやや抑えめにしていたとの話。
ですが、ふたを開けてみれば思った以上の人と売れ行きで完売続出。
夜のイベントの頃には唐揚げもコロッケもけんちんうどんも枝豆も全部売り切れてトン汁くらいしか残っていなかったようです。
「たくさん残って持って帰って宴会の予定だったんだけどなあ」
と口にしていた人も。嬉しい誤算というやつですね。

震災後、都路の学校はまだ再開のめどが立っておらず、船引で廃校の学校での間借り暮らしをしています。学校施設などの除染は済んでいるようですが都路の放射線量は田村市内ではやはりやや高め。
子供を持つ保護者の不安から、今年は再開を見送ったという事でした。
加えて都路はコンビニも大きなスーパーも殆どない本当の山の中なので、一度町に出てしまうと不便な生活に戻りにくいというのはやっぱりあるかもしれません。
子供が戻らないと、村に人は戻らない。
でも、子供の為を思うと村に戻れないというのが都路の抱えるジレンマです。
帰ってもいいと言われているだけまだいいのでしょうけれど。

でも、お祭りで再会した人達はみんな都路が大好きで、こうして集まってくるのですから都路はきっと元通りになると信じます。
そして、いつか他の警戒区域もと祈っています。

ステージイベントのラストを飾ってくれたのはMax音楽隊の皆さん。
東京で音楽活動をしている人達で、AKBのダンスや松山千春などを楽しく聞かせてくれました。
ラストの「YMCA」も人数が減った中にもけっこうな盛り上がり。
見ている人を楽しませ、元気づけてくれたと思います。
アンコールぜひ聞きたかったですね。

花火も上がり、とても楽しいイベントだったと思います。




…ただ、一つのことを除いては。
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