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春のパン祭り

机の中を掃除していたら、出てきたものがありました。
「山崎 春のパン祭り 2011年」
シール台紙です。
締切期間が4月30日なのは震災前に発行されたもの。
多分、おやつを購入した時か何かに貰ったものでしょう。

震災が落ち着いて去年のパン祭りが終って後、気が付けば私は一度も山崎の菓子パンを買っていませんでした。
あ、1度か2度はランチパックを買ったかも。
それくらいです。
パンに全く罪は無くて、正直助けられたのですけれど、でもパッケージを見るとあの、パンも食べられなかった日のことや、毎日賞味期限切れのパンを食べていた日の事を思い出してしまって、どうしても手が出なくなってしまうのです。
もう、一生分、菓子パンは食べた感じでしょうか。

震災の時はそんなことまで考えている余裕は全くなかったので、本当に今にして思えば、なんですけれども、毎日送られてきた菓子パンにはほぼ全部春のパン祭りのシールが付いていました。
後の方になって少し回収されていましたけどそれはほぼ全部捨てられていました。
田村市、じゃなくて常葉だけでも1回の食事で3〜400のパンが配られてましたから、単純計算でも1回に24点で1枚のお皿が10枚以上。総合体育館では1000人近い人がいて、2週間以上パンが配られていたので、軽く500枚近いお皿が貰えたのじゃないかと思います。
だからシールを貯めておいて、後で仮設住宅に寄付すれば避難された方の役に立ったんじゃないかなあ、と思ったり。
本当に、今にして思えば、です。

震災当初は気が付かなかったこと。
1年を過ぎて、ああすればよかった、こうしたかったと思うことがいっぱい。
あんなことは、もちろん2度とごめんではありますがもし、次があったとしたら、その時は今回の経験はちゃんと生かさないといけないな、と思っています。

今年の春のパン祭りのお皿は、白いボウル。
ちょっと欲しいかもしれません。
24個もパンは、食べられませんけれど。

微妙な不安

雪が地表を覆っている間は放射線の数値は下がると言われています。
確かに少し前まで数値は低かったです。
最近は雪が溶けてきてリアルタイム線量計の数値が上がってきています。
低かった時と比べて0.07前後。
まだ誤差の範囲内ですし、表土除去していないところですし落ち葉などで他所より高めは想定内ですがやっぱり何かあるかもと思うと不安になります。

セシウム降下量の増加の話など一年がもうすぐ過ぎようと言うのに良くもならない状況が続いています。
放射能の対策で私達に出来る事は対処療法のみ。
根本的なところは原発の方々に頼るしかないのがもどかしいところ。

結局私達に出来るのは信じて前向きに普通の生活を送る事だけなのかもしれません。

無力ですね。
本当に。


今日もまた追悼の日

今日、2月22日。
この日もまた一つの震災の日です。
昨年の2月22日はニュージーランド地震の日。
ニュージーランドのクライストチャーチで直下型大地震が起き、日本人も多く犠牲になりました。
去年の大震災の翌日の新聞を見直せば、その日も犠牲者はまだ全員が見つかっていなかったほどの大きな被害が出ていたと解ります。
東日本大震災のせいで、どこかか霞んだと言ったらおかしいですが、話題にならなくなってしまったこの大地震。
亡くなった方は勿論、その遺族、生き残った方達も苦しい思いをされたことと思います。
「サバイバーズ・ギルト」生存者の罪悪感と呼ばれるものに心を支配されたという方々の思いが、苦しみが今は少しかもしれませんが解るような気がするのです。

…本当に、大震災が起きる前と、今とでは考え方がいろいろ変ったと思います。
一年前、新聞やニュースを見ていた時とは違う思いを、今は確かに感じます。

そして、最近本当に大きな地震が多いことも感じるのです。
また東日本大震災や、ニュージーランド地震クラスの地震が起きるかもしれないのだと、それは、明日かもしれないのだという事を私達は忘れるべきではないのかもしれません。

今日もまたほんの少し、目を閉じて祈りたいと思います。

子供達の帰る場所

現在、学校を始めとする各児童施設は来年度の準備が始まっています。
入学、入園者の名簿を作ったり、新年度に向けての準備が着々と進んでいるのですが、緊急時避難準備区域が解除された都路村の小学校は来年も避難先の石森小学校で開校されると話を聞きました。
学校の修理や除染が完全に終わっていない事と、田村市にしては数値が高いことが理由らしいです。
現在、都路の学校は石森小学校に、保育園や幼稚園も船引のいろんなところに間借りしてやっています。
子供達もさることながら先生方が、とっても大変。
実務も借りた机で落ち着いてできないし、学童を預かっていた放課後児童クラブの先生なんかは午前中は間借りしている児童館で実務作業と手伝い、午後には学校に出張して放課後児童クラブ運営。
本当に頭が下がります。
常葉にも避難準備区域がありましたが、結局ごく一部の家庭以外は避難しなかったようです。
ごく一部の殆どは子供がいる家庭。借り上げ住宅を借りたり、仮説に入ったり、雇用促進住宅を借りたり。
毎日、学区外から送迎とかしている家もあります。
「帰っていいって言われても、隣の部落が警戒区域の所に子供を連れて行くわけにも…」
という保護者の気持ちはごもっともです。

ようやく生活や学校のリズムが出来てきたとはいえ、まだまだ先が見えない放射能との戦い。
子供達が皆、安心して故郷の学校に通えるようになったら、それがきっと本当の田村市の復興の第一歩なのかもしれません。

食べて応援

普段は、あんまりテレビを見る方ではないのですが、というか一人暮らしなのでワンセグで十分と、私は家にテレビを置いてないのですが、昨日は母の誕生日で実家に戻り、一緒に夕食を食べました。
その時にテレビから何度も聞こえてきた言葉が

「食べて応援しよう! FOOD ACTION NIPPON」

TOKIOの皆さんが、東北の食材を笑顔で食べるCMも流れたそれは、さかなクンと欽ちゃん達が東日本の海産物などを紹介するBSTBSの番組で、東日本の食品を食べて、被災地を応援しようというキャンペーンの一環であったそうです。
番組も面白く、嬉しかった半面、少し複雑な思いになりました。
これもまた、非難されるだろうな、と。

忘れません。
昨年のテレビで
「東北の食材を食べたら健康を害する」
と言われたことを。

確かにおそらく、今、東日本の天然食材を検査すれば、その90%以上に反応が出るでしょう。
原発の影響で、放射性物質が福島をはじめとする各所に飛び散ってしまったことはどうしようもない事実ですから受け止めざるを得ません。
放射性物質の影響というのは本当にどう出るか解らないから怖く、子供達の未来を考えたら避けるべきではあるのでしょう。

私達は東北の大地に生きてそこの空気を吸って生きています。
そして地の恵みに、海の恵みに生かされてきました。
だから、それを拒否したくもないし、するつもりもありません。
でも、いつか危険が出るかもしれないものを人に勧めていいのか、というと迷ってしまうのです。
原則、暫定基準値を超える品物は出荷されてはいません。
でもその基準も混乱の中決まったあいまいなもののままですし、放射性物質を避けようという方には福島のもの、東北のものというだけでも、避ける理由になるようです。
現に、ちょっと探すとこのキャンペーンへの非難も、不買運動の話も出てきます。

だから、本当に一品ごとに調査した放射性物質の量を明確に明記して、その上で選んでもらった方がいいように思うのです。
被災地救援の名目で、東北の物を無理に押し付けたいとは思いませんから。

TOKIOの皆さんだから、あんなに幸せな笑顔で食べてくれますけれど、嫌だと思う人もいるでしょう。
そう思わなくてはならない事がすごく嫌で。

私は内心、すごく複雑です。

本当に、どうしてこんなこと、考えなきゃならないんでしょうか?
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