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やっぱり福島の新聞

今日は成人式。
朝から花火が上がっていて目が覚めました。
またうっかり仮眠→こたつで朝のパターン。
休み前だと特に気が緩んでしまいがちです。気を付けないと…。

さて「自主避難して正解」の言葉で話題になった福島民友の一面コラム連載。
原発災害「復興の影」■自ら逃れるの10回連載が今日で終了しました。
やっぱり福島の新聞であったなあというのが正直な印象です。
放射脳…基、反原発の方が望んでいた記事とは全く違うものであったことは間違いありません。
完全書きおこしにしていいかどうかわからないので、とりあえず抜粋。

「子供が安全を確信できるまで、帰りたくないが」
郡山に夫を残し東京に避難する女性の言葉から始まる記事は二重生活の限界
そして
「帰るか帰らないか、朝起きるたびに考えが変わる」
という悩みを語っています。
一方
「今はここが居場所」という女性も。
「子供をかわいがってくれたり、子育てを相談できる多くの人と出会った」
と。
「避難」は特殊かつ、短期的。恒久的なものではいけない。福島に戻らないと決めたのなら避難先のコミュニティーに溶け込んで働き、暮らすという生活者の状態に返ることが必要と記事に大学教授が記しています。
帰還か移住か迷う親。
現在の行政の施策は「避難の状態を維持する支援」に留まっている。この先支援が打ち切られたら避難先に根付いていけない避難者は難民になるしかない。
今後は県内に住む人、帰還する人、避難先に移住を決めた人。それぞれが自立して生活出来る為の支援に転換すべきだ。
帰ってくる人にも移住を決断した人にも就労や子育てを支援し、避難者から脱して生活者に導くことで住民は新たな生活のスタートが切れる。と。

最後の〆は迷う女性の言葉、です。
「帰っても、帰らなくても、自分が選んだと胸を張って子供に言えるようにしなければならない」。

つまり、民友が訴えたかったのは3年という区切りに置いて、いつまでも被災者、避難者ではいられないのだということ。
避難先でも、戻ってきた故郷でもどちらでもいい。
気持ちを切り替え、新たな生活を始めるその区切りが必要なのだ。
ということだと思います。
自主避難という人達を選んだのは強制避難で今なお市町村単位の避難を余儀なくされている人達は戻りたいと望んでもそれは叶えられないけれど、自主避難の人達は戻ろうと思えば戻れるから。きっと広義には避難している全ての方へのメッセージでもあるのでしょう。
「気持ちと生活を切り替えるのは今である」ということを。

今なお、福島から避難している人は約三万人と言われています。
でも、福島にはその五十倍以上の人間が今も住んでいます。
「いつまでも自分を避難者、被災者にしていてはいけないで日常に戻るべき。
自主避難が正解かどうか、決断するのは自分であり未来の自分だ」
と告げる今回の記事。
私は、評価したいと思います。
タイトルに付けるべき「?」をあえて除いたのは多分に話題作りの為なんじゃないかあと。

さて、この結論を読んで鬼の首をとったように騒いでいた反原発の方達はどう思うのでしょうか?
もしかしたら、もう無かったことになっているのかもしれませんけどね。

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