スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

一番大変な人

今日も一日が終わりました。こうして一息をつきながら私は自分達はまだまだいいのだと思います。
今回の地震で原発関連に限って言うのなら一番大変なのは原発で作業しておられる方々で、その次は間違いなく避難された方々の為に働き続ける大熊町や双葉の職員の方々だと思うからです。
私達は大変であろうが仕事が終われば落ち着いて眠る事が出来ます。
けれど、避難所の方々を率いる職員の方々は間違いなく自身も被災者でありながら、避難所の方々以上に着のみ着のままでありながら、夜昼なく避難所の方の為に働いておられる姿には本当に頭が下がります。
そして私達はまだ狭間にいますが、あの方達はすでに故郷を失いかけているのですから。
いつか、私達が今怯える放射線の恐怖が笑い話になり、みんなが大好きな故郷で笑い合える日が来る事を願わずにはいられません。
続きを読む

物資よりも欲しいもの

今日の夕方。また物資が届きました。
東京電力分と書かれた箱の中身は〜
「またパン?」
まだ数百のパンが配付されず残っています。加えて届いた箱には約千食分のパンが。
箱に数も分類も書いてないのでみんなで調べましたがわざとか故意にか東京電力と書かれた部分はきっちり破かれていました。
分類し配付すれば避難の方々にも
「またパンか〜」
と苦笑混じりの声が聞かれます。

今この地に残っている避難の方は約400人。
たくさんパンが届いても食べる人はいないのだと解らないのでしょうか。

外部からの物資は漸くまとまって届き避難の方に届きました。下着はとても喜ばれています。
お風呂の目処がつかないのに届いたボディソープなどよりずっと。
服はサイズや好みの問題はあっても寄附がたくさんあるのでなんとかはなっていると思います。

だからガソリンと灯油以外の物資はもういらない、とまではいいませんが他のもっと困っているところに優先して欲しいとさえ思います。

欲しいのは安心と繋がり。
原発事故の終息とこの地を忘れていないのだという声でしょうか?

ここは贅沢で孤独な被災地です。

ピタゴラスイッチとゴーカイジャー

さてさて大人もストレス溜まりまくりですが、子供たちはと言えばもちろん、退屈しきっています。
外には出られないしテレビは報道番組だけ。支援のマンガを読むか、トランプなどをするしかありません。とはいえどんな環境でも遊びを見つけだす子供たちの才能には驚きます。
今日は避難所にあったチラシで紙飛行機を作ったり支援の漫画の段ボールを折り紙などで飾ったりしていました。
親子連れ、老人優先の避難所のロビーに時々音楽がかかります。
誰が持ってきたか、ピタゴラスイッチと海賊戦隊ゴーカイジャー。
男の子達はゴーカイジャーの歌を歌いながらポーズを取り、大人もピタゴラスイッチの音楽に合わせて足でリズムを取ったりも。

昨日まで一緒に避難していた友達が今日はいなくなったりします。
子供たちも原発の何もいい事を言わないテレビを喰いいるように見つめています。

友人がツィッターでヒーローたちが励ましの声を寄せてくれていると教えてくれました。
流れるヒーローゲッターの歌を聞きながらホントにスーパー戦隊が子供たちに明るい空の下で遊べる自由と大好きなテレビを見られる当たり前に思っていた平和を与えてくれたらいいなぁと思いました。

幸せの記憶

今日も救援物資の食料が届きました。
パンが山ほど。千人分はあるでしょうか?
「もっと困っているところに届ければいいのに」
誰かがつぶやきました。
テレビは何度も宮城や沿岸部の悲惨で悲しい姿を知らせます。寒い避難所で苦労される方々も。
あの方々に比べて私達はとても恵まれた場所にいます。
食料はあり明るい場所で眠る事が出来ます。トイレも水で流す事が出来ます。
壊れた家はあっても死者もいない。
恵まれた場所にいる事は十分知っています。
復興作業や救助作業の必要もない。一見明日からでも普通の生活に戻れそうな町です。
けれど、外から来る人はいません。
外を歩く人もいない。死んだような町です。

テレビで福島県の避難所でスクリーニング検査をして被曝者はいなかったと言っていました。
みんな笑っています
だってこの町には検査は一度も来た事はありませんから。

ここはもう福島県じゃないのかなと思いました。

今日のお昼ご飯は自己調達のはずでしたがお弁当が出ました
余ったので賞味期限があるから食べていいとの事でした。
新潟のお弁当屋さんの名前があり新潟の県の職員の皆さんへのメッセージが貼ってありました。
きっと新潟の皆さんが私達に回して下さったのだと思いました。ゆっくり蓋を開けました。
ハンバーグにメンチカツ、ワラビのお浸しにハルサメサラダ
タケノコと豚肉の炒めもの。
5日ぶりのお肉をハンバーグを食べました。あんかけハンバーグで自分では作った事もないのにすごく懐かしい味がしました。
それは何だか遠くなってしまった幸せの記憶なのかもしれません。

すれ違いの思い

今日は晴れ。
朝は冷え込みましたが比較的暖かです。
太陽が眩しいくらいなのですが町は閑散としています。
外に出る人もいません。なんでも晴れていると放射線物資が届きやすいのだとか。
晴れも雪も雨も敵。
子供は元気に外であそぼという言葉がもう遠いものに感じます。

そんな呼吸する事さえストレスな状態でみんないろいろな事がいっぱいいっぱいになっています。
避難所で酒を飲んでいた人がいたらしいという話を聞いたのは昨日の事。
毎日、不眠不休で働いているみんなの間にちょっとビミョーな雰囲気が流れました。この避難所は食べものだけはたくさん届きます。水道も出るし今孤立しても4〜5日はなんとかなりそうです
因みにあまり買う人がいないので個人商店でもお酒は余りまくりです。
不安に怯える日々。
お酒で紛らわしたい気持ちは解りますがなんだか少し寂しかったです。
ただそれはごくごくわずかの人である事は言っておきます。
支援の服を涙ながらに受け取って行く人。
お世話になってありがとうございます。みんなで飲んでと少いであろう蓄えの中から飲みものを差し入れてくれる人もいます。
そんな人達の為に頑張ろうと思います。
今日震災から約1週間、はじめて食料以外の物資が届きました。でも顔を見合わせたその品は。
乳幼児オムツ、女性用ナプキン。
避難当初はそれこそみんな必要で寄付を募って集めたこれら。女性は大人用尿取りパッドまで代用して使っていましたが3日を過ぎる頃から希望者は少なくなりました。ほとんどの方が避難し、そうでない方は止まってしまったとか。
乳幼児オムツもそう。それを必要とする人の多くは必死にここを離れて行かれました。もちろん今も0ではありませんが 町の人からの支援と協力でなんとかなっているのが現状です。
とはいえ今後いつまで続くか解らない長期線。備蓄しておく事になりそうです。

そんな私達が今一番欲しいものは安心と安全。次がガソリンと灯油だったりします。
避難地域の役場灯油を本気で取りに行こうと検討する人もいる中。久しぶりに町内のガソリンスタンドにガソリンが入りました。その情報と共に飛び出す職員。
けれど給油開始時には並びに並んで約200台以上。車の列がやがて5km先の隣町まで続いていたらしいです。
だから制限付きであれ入れられた人はかなりのラッキーだったようでした。
続きを読む
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2011年03月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
アーカイブ