スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

旧警戒区域初

昨日のYahooニュースでも少し見たのですが、田村市都路地区の避難指示解除準備区域が4月1日に解除になるのだそうです。
田村市は福島第一原発事故の当時、福島県で南相馬市と二つだけ、警戒区域、避難準備区域、通常区域の三つを抱えた市町村でした。
田村市の警戒区域は都路地区のごく一部だけ。
でも当時は半径30kmの避難準備区域に全域が入る都路地区は全員避難を行いました。
その後、再編が行われ避難準備区域は解除。ある程度の方が都路に戻りました。
半径20km以内だけは避難指示解除準備区域として宿泊原則禁止の区域として残されていましたが、その区域が4月にとうとう解除されるのだそうです。
まだ、住民との話し合いで大筋合意した、ということではありますが、多分決定でしょう。

一通り除染は終わってますが、除染の効果は限定的。
でも再除染はしないで生活圏の高線量地域だけ除染するのだそうです。
都路地区ははっきり言って山の中です。
生活圏より圧倒的に山林などが多いです。
自宅の近くに傾斜が酷くて除染できないところもあるという方もいますから。
それを全部除染していたらいつ終わるか解らないというのは事実ですからどこかで線を引かなければならないことは事実でしょうが…根本的な問題は多分、そこじゃないんですよね。
戻るか戻らないかの決断は生活環境の整備。
そしてぶっちゃけて言えば賠償金の問題ではないのかと。
線量が不安というのは勿論あるのでしょうけれど、自分の住み慣れた家で暮らしたいというご年配の方を除くと生活環境の整っている船引の仮設住宅での生活は、勿論仮設住宅という不便はあるでしょうけれど生活するには便利で多分、過ごしやすい。
今更コンビニも本屋も飲食店もない都路に戻れるか、という話になるようです。

加えて避難準備区域が解除されると精神的苦痛として毎月貰っていた慰謝料も打ち切りになります。
一人に付き毎月10万はかなり大きいですよね。
田村市内でだって「都路の人は金貰ってる」なんて声が聞こえてるくらいですが貰えていたものが貰えなくなるのはやっぱりいろいろ思うところはあって当然だと思います。

ただ、私はやっぱりどこかで線を引くことは必要だと思います。
来年度から正式に都路地区の学校、幼稚園、こども園、児童館なども再開されます。

都路に戻って今まで通りの生活に戻るか、船引で、もしくは新しい場所で新しい生活基盤を作るか。
今回の決定はそのきっかけの一つになるのではないでしょうか?


前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2014年02月 >>
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
アーカイブ