二章§05

だがその手がアリアに触れることは、なかった。

「おおっとー…?」

サンは少し驚いた声を上げ、上体を反らした。
伸ばした腕はJがしっかりと掴み、顎の下には短刀をヤスが突きつけている。

「……あれかな、お姫様には触っちゃダメってこと?」
「いくらサンさんでも、これは許さないっす」
「…儀式屋が来る前に、何とかしたら?」

違うことを口にしていても、殺気が隠っていることに変わりはない。
アリアの震えは止まっていたが、じっとことの成り行きを見守っている。

「あはっ、ヤだなぁみんなってば。お遊びだよ?…いくら僕でも、干渉域はちゃあんと分かってるよぉ」
「なら、態度で示すことだね」
「あ、痛い痛い。名無しクンてば、バケモノなんだから手加減してよぉ」

ぐっとJが腕に力を込めると、痛みを訴えすぐさま腕を引き抜いた。
ぱっと離れた腕をさすりながら、サンは鏡の方へ顔を向ける。
まだ警戒を解かない深海の色をした瞳が、見つめ返してくる。
魔術師は、肩を竦めてみせた。
だが決して、それは諦めたという意味ではない。

「……、“このこと”のお話はあとにするね。僕、もう一つ訊きたいことがあったんだー」

再び口元に笑みを乗せると、一歩下がって視界に三人を入れる。
二人はアリアを守るように、鏡に背を向け立つ。

「とても悲しい悲しいお話なんだけどね。僕は人間が大好きだし、この世界じゃあ優しくしてあげてる方なんだよね」

更にまた一歩下がる。

「だから僕はよく手を差し伸べてあげる…なのに、よく裏切られるんだよねぇ。僕はいつもそれで悲しい思いをしてる…」

実に悲しみをたっぷり含んだ声で、サンは語りながらまた、下がる。
その動きに、ヤスは眉を潜める。
何故、下がるのだろう?

「でも、僕はその人間に手を下すことが苦手だ。だから代わりに、いつも儀式屋クンにしてもらっている」

あと一歩だけ後退すると、ぴたり、とそこで立ち止まった。
そしてにっこり、今まで以上に綺麗な笑みの形を作った。
だが黒い唇から紡がれる言葉は、毒のようなもの。

「そう、でね?昨夜も一人罰したって儀式屋クンが言ってさぁ?なのにねぇ…その内容、教えてくれなかったんだ」
「へぇ?で、魔術師は何が言いたいのさ?」

Jは内心苛々して来ていた。
サンの、ゆっくりと語る口調が気に食わなかった。
だがそんなものを表面に出すことは、決してしない。

「昨日のこと、聞いてないかな?彼から」
「…聞いてないね。てか儀式屋が罰したんだ、何故内容が気になるのさ?」

それ以上深入りはさせないよう、さり気なく話題を逸らした。
サンは気付いていないのか、それともわざとなのか、その話題に乗ってみせた。

「いつもならね、儀式屋クン、報酬のアレを欲しがるのにさぁ、いらないって言うんだ。で、もしかしたら、ここに匿ってるのかな?と思って、ね…精神だけの14歳の可愛い子を、さ」

──完全に知った上で聞いているではないか!
アリアはきゅっと唇を噛み締め俯く。
きっと“このこと”さえも、既に気付いている。
ただ、手を出せないのは、彼の干渉域を越してしまうから。

ヤスとJも同じなのだろう。
若干険しい表情に変化していく。

「…見つけて、どーするつもり?」

それでも平常心を保って、静かに問う。
サンはぞっとする程綺麗な笑顔のまま、丁寧にその問いに答えた。

「完全抹消、するんだよぉ」
「──!!」

魔術師は答えると、後ろ手に背後にあった扉を開いて、その向こうへ姿を消した。
それを見たと同時に、ヤスの足は勝手に部屋を飛び出した。

「ヤス君!……!……!!」

後ろからJが何か叫んだようだが、その時にはもう聞こえていなかった。

(いない!?)

彼を追ってすぐに出たものの、サンの姿はない。
耳を澄ますも、足音は全く聞こえない。
ヤスはぎりっと奥歯を噛むと、廊下を蹴って走り出した。

二章§06

“──忠告しておく。君は理不尽とはいえ、魔法使いに深く関わりすぎた。君があの魔法使いを気にかければ、彼は必ず現れる。いいね、よく覚えておくんだ”

かつて儀式屋に言われた忠告が、今更ながら頭の中で再生された。
舌打ちをして、ヤスは階段を駆け上る。

(魔法使いは喚ばれる者…そして俺は、喚ぶ者)

通常、彼を喚ぶためには手順を踏まなければならない。
だが自分は、それを飛ばして喚んでしまう。
それで嫌な目に遭う度に、何度も何度も二度と思うまいと決意するのに。

“ヤス、それは君には難しいことだ。君は、他者を本気で拒否できない──嘘だと思うかね?ならば何故ここに来たかを、思い出すことだね”

儀式屋に伝えたところ、そのような返答が来てヤスは打ちのめされた。

敵であるならば、容赦なく拒否できる。
だが、繋がりを持ってしまうと、躊躇いが生じる。

ヤスは──サンを、拒否することが出来ない。

(くそ、俺のせいであの子が……)

角を曲がり、等間隔にランタンが並ぶ廊下を駆け抜ける。

だからといって、いつでも彼を召喚出来る訳ではない。

サン絡みであること、尚且つそれが、ヤスの過去とリンクすること。

この条件が揃ったときのみ可能となる。
今回もそうだ。
ユリアとヤスは、状況は違えど似ている部分がある。

──誰かを守るために、自分を犠牲としたこと。

アリアからそう言われた時、ヤスは過去の自分を思い出した。
そして何となく思ったのだ、サンはこのことを──ユリアが自分と似た経緯でここに来たことを、どう思ったのだろうか?

完全に、無意識だった。

(だったら責任は俺にある…俺が、止めるんだ)

廊下の真ん中辺りで、ヤスは歩調を緩めて深く息を吸い込む。

魔術師は、最初からユリアがここにいることを知っていた。
遅かれ早かれ、彼は今日来るはずだったのだろう。
ただ自分が喚んでしまったため、早まっただけだ。
それはデメリットだが…実はメリットも存在している。

それは魔術師の“干渉域の制限”だ。

干渉域とは、そのテリトリーにおいて彼が許される行動、魔力の範囲だ。
自らそこへ訪れた場合、それは無効となる。
だが喚ばれた場合、それらは途端に制限される。

サンは人間に召喚され裏切られた時に、裁くのは苦手だと言っているが、本当はこの干渉域の制限がかかっているにすぎない。
だからこそ、代理者として儀式屋が執行しているのだ。

サンがここへ自ら訪れていたのであれば、直接ユリアの眠る部屋へ向かったはずだ。
それが出来ないのは、ヤスが喚んだからだ。
そのために大きく制限されてしまい、直接向かうことは不可能となる。
誰かが自分の行動、魔力の範囲を広めるための発言、または行動をしない限り手は出せない。

では、今のサンにかかる干渉域の制限は──?


「…………」

ヤスは足音を立てぬように歩き、一つの部屋の前で歩みを止めた。
そして、ノブに手をかけた時だった。

「あはっ、やっぱりここだったんだー」
「!」

脳天気ともいえる声と共に、ヤスの手にひんやりとした手が重なった。
すぐさまヤスは手をノブから離そうとしたが、意外なほどに強い力のため動かない。
くすくす笑う銀髪の魔術師は、ヤスの肩に顎を乗せ喋る。

「忘れてた?ここでの僕の干渉域の制限のこと…」

そう、得意げな声音で告げる。

『儀式屋』内での行動、魔力の範囲が極端に狭くなる。

これが、サンの今の制限だ。
自由に動ける範囲は、せいぜいアリアの鏡のあるあの部屋、魔力もほんの少しだ。
それでは、サンは今まで何処にいたのか?

「剣士クン、素直だから僕の挑発にも簡単に乗ってくるでしょ?そしたら君は自ら僕の範囲を広げてくれる…ふふ、つまりね、僕、最初から剣士クンの後をずぅっと付けてたんだよ?」

気付かなかったのかな?

耳元で囁く声は、何処か嘲りを含んだように聞こえた。

二章§07

ヤスは石像のように固まったまま、動かなかった。
大方、自ら墓穴を掘ってしまったことに、今更気付いて絶望でもしているのだろう。
乏しい明かりのせいで表情が見えないが、サンは黙ったままの青年の様子をそう判断した。

重ねたままだった手をそっと離す。
どす黒い唇を開き、さも唄うように言葉を生み出す。

「さぁ、可愛い剣士クン…扉を開いて」

涼やかな声が、ヤスにそう命じる。
ヤスの手はぎこちなくだが、徐々に動き出した。

…干渉域の制限は、発言、行動が多いほど解除されていく。
ヤスが『儀式屋』内を走り回ったおかげで、サンの魔力と行動の範囲は随分広くなった。
姿を消すか物質を通り抜けるくらいが限界だったが、今は人を命令して動かすことが出来る。

サンは上機嫌に、言いなりのヤスを見つめる。
かちゃり、と軽い音がしてゆっくり扉が開いた。

「ありがと」

命令通り開いた彼を退かして、サンは室内へ入った。
が、すぐに首を傾げた。

「あれぇ?此処、だぁれもいないのかな?」

ざっと見渡した後、彼はそう呟いた。

天井から吊り下がったシャンデリアが、煌々と照らし出す室内。
アイボリー調の室内であるからか、カーテンは閉まっているが隅々まで明るい。
その部屋の中央には、豪奢な飾りの付いた天蓋付きベッドがある。
だが、そのベッドには膨らみが、ない。

長い前髪を掻き上げ、もう一度見渡す。
エメラルドの瞳は、やはり何者の姿も捉えなかった。
ぱさっと前髪を降ろし、今度は反対側に首を傾げてみる。

「……なーるほど…つまり、答えは──」

そこで一度言葉を区切ると、急に後ろを向きびしっと指を指した。

「君でしょ?」

指先は、にやりと笑ったヤスを通り越して──

「ご明察だ、魔術師」

…少女を抱えたJの隣に立つ、全ての闇を抱えたような男──儀式屋だった。

いつものサンであれば、ここで喜んだりするのだが、何故か不服そうである。

「不思議だなぁ…ねぇ儀式屋クン、何で?」
「知ってるかね、サン?」

しかし儀式屋は答えず、逆に問い返した。
銀髪の彼は少なからずむっとしたようだが、この男が簡単に答えるわけがないと熟知している。
些か口をへの字に曲げると。

「何を?」
「干渉域だよ」

さらりと零れ落ちた言葉。
当たり前だよ、と答えようとして、サンの動きは固まった。
急に訪れた沈黙。
次の瞬間、サンは肩を震わせ笑い始めた。

「あはっ、あはははは…!そう、そうか!!ああ僕としたことが、うっかりしてた…」

Jとヤスは顔を見合わせ、不可解な表情をする。
理解できない、といったところだろう。
一頻りサンは笑ったあと、涙を拭い漸く口を開いた。

「あれだね?僕の干渉域はあの時点では狭すぎて、名無しクンたちを視てられなかった。剣士クンは僕が追うのを分かってた。だから、わざわざ引き離すために出た…」

背後に佇む彼をちらりと見、サンは続ける。

「その間に名無しクンは儀式屋クンを呼んで、バケモノパワーで先回りした、んじゃない?」
「お見事、魔術師」

ぱちぱちと儀式屋は拍手を彼に送った。
サンは、にこりと笑う。

「それで儀式屋クン、聞きたいんだけど、どういうつもりかな?」
「何がかな」
「ふふん?惚けるの?僕の“今の”干渉域は広くなってるんだ、隠したって無駄だよ」

肩にかかる銀髪を払い、余裕があるように言った。
対する儀式屋も同じで、眉一つ動かさない。

「隠してなどないさ」
「じゃあ何でそれ、さっさと僕にくれないのかな?」

それ、と指し示したのは、眠っている少女だ。
ぎゅっとJは抱き締める腕を強めた。
儀式屋は目だけを動かしてユリアを見、それから最前の彼を見る。

「僕が君に命じた罰の内容、忘れてないだろうね?」
「まさか」
「だったら復唱してくれる?」
「…神谷ユリアに絶望を与えた後、体と精神を完全に分離し─」

そこで一度区切り、一思いに言う。

「貴方に、精神を渡す」

二章§08

はっと息を呑む音が、闇を纏った男の鼓膜に届いた。
扉の横に突っ立っているヤスも、驚きを隠せず顔に表れている。
だが、儀式屋は相変わらず薄く笑った顔だ。

「そう。僕はそう言った…でも君は、まるで僕に渡す気がないように見えるね」

腕組みをし、苛立たしげに言葉を吐き捨てた。
くっと咽を鳴らし儀式屋は笑うと、静かに答えた。

「……サン、この子は貴方の玩具にはなれないよ」
「…何だって?」
「玩具になれない」

しん、と静まり返った廊下。
ぽかんとして、サンは儀式屋を見つめた。

「…私は尋ねた。逃げるか、罰を受けるか。どちらを選ぶにしろ、私は貴方の命令を遂行するつもりだった。だがね、この子は私の予想を越えた」

思い出すように目を閉じ、ひとつひとつの情景を丁寧に語る。

「自らこの子は罰を受けると言い出した。それだけじゃない、今回巻き込んだ少年から、我々の記憶を消すよう頼んだ。もしも、それが少しでも好印象を残し罰を軽くしたいが為ならば、私は却下した…ユリアの目は真剣だった。あんなに恐れていた私の目を、真っ直ぐに見返してきた」

真実を見極める為の瞳。
そこに映ったのは、純粋さと、強靱な精神。
決意は、本物だった。

それが、儀式屋を動かした。

「長年、様々な人間を見てきたが、この若さであれだけ強い精神があるとは思わなかった。私は気に入った…ここで失うのは、惜しいと感じた」

そこで、真紅の瞳を開く。
呆然としている魔術師が、視界に入った。

「だから、サン。貴方の玩具にする価値に値しない」
「………信じられない」

ぽつりと、微かな声でサンは呟く。

「信じられないよ、儀式屋クン…あんなにあの子、弱くて愚かで可哀想な子だったじゃないか!!!!」
「私は嘘は吐かないよ」
「知ってるよ!だからこそ信じられない…あぁもう……!!」

叫ぶだけ叫ぶと、髪をわしゃわしゃと掻く。
そして、ぴたっと止めると、顔をこちらへ向ける。
翠瞳は見えないが、鋭い眼光で睨まれているのが分かる。

「大体“オレ”が最初に目を付けたのに、横取りするつもりか!?」
「心外だな…私は貴方の為に選別したまで。貴方の条件に不適だったものを、私がどう扱おうが構わないだろう?」
「オレが遊ぼうと思ったんだ!そんなの、不良品だろうが何だろうが、欲しかったんだ!!」
「……サン、こんなこと言いたくないが、私は怒っているんだよ」

段々口調が荒々しくなる魔術師に、儀式屋は今まであった笑みを打ち消した。
その瞬間、彼から溢れだした何か冷たいものに、思わずヤスは後退った。

(旦那、完全にキレてる…)

過去に何度か見たが、やはり未だに慣れないこの寒気。
息を殺し、ヤスは成り行きをじっと見る。

「怒ってるだって!?それはオレの台」
「…貴方は、私の所有物を傷付けたらしいね?」

口調は変わらない。
だがその声は、微かな怒気を孕んでいた。
それに気付いたのか、サンはすぐには言葉を返せなかったが、此処で負けるつもりはなかった。

「オレが?そんなことしてない!」
「いいや、している。貴方はアリアを傷付けたはずだ」
「……ああ、鏡に手を入れたこと?それが──」
「他者の庵内で勝手に所有物を破壊した場合、所有者は破壊行為をした者を罰して良いそうだよ」

こつ。

あれほど微動だにしなかった儀式屋が、一歩踏み出した。
儀式屋の行動が予想外だったのか、サンはたじろいだ。

「儀式屋!お前、まさかこのオレに逆らうつもりか!?」
「此処は私のテリトリーだ…普段、私よりサンの立場が高くとも、此処では通用しない。貴方は単なる侵入者にすぎない」

突き放したような物言いに、サンはどうしようもない焦燥感を感じた。

どうする?
干渉域が広まったとはいえ、大きな魔法はまだ使えない。
だがこのままでは…!


「チェックメイト、だね」
「!!」


儀式屋の手が魔法陣を描き、それをサンへと向け放った。

二章§09

──それは、一瞬の出来事。

目も開けられないほどの閃光。
鼓膜をつんざくのかと疑う爆音。
ひしひしと肌に感じるのは爆風。

「………あれ…?」

だが、サンの体には傷一つ付いていなかった。
尻餅を付いていた彼が見上げると、儀式屋がいつものように薄い笑みを浮かべていた。
そして彼の手はサンにではなく、暗褐色の壁に向いている。
その箇所は大きく抉れて、破片が辺りに飛び散っていた。

「……私が本気で貴方に危害を加えると思ったかい?」

不意に、彼はそう尋ねた。
前髪が跳ね上がって覗いた瞳は、ことの次第が飲み込めないのか、不思議に見返してくる。

「……でも」
「私は、人を無闇に傷つけるのはナンセンスだと、常々思っているんだよ?」

手を払い、壊してしまった壁を優しく撫でる。
そして、まだ分からないらしい魔術師に、答えを告げた。

「落ち着いたかい?暴走していたよ」

儀式屋はふっと笑いを漏らした。
暫くサンはずっと彼を見ていたが、徐々に自分が何をされたのか分かったらしかった。
手を顔に当て、天を仰ぐ。

「あー…ごめんねぇ……またやっちゃった“僕”…」
「いや、私こそすまないね。手荒だったが、貴方を落ち着かせるにはこれしか思いつかなかった」
「んーん、適切だったよ」

サンは左右に頭を振り、にっこり笑って見せた。
側に落ちていた帽子拾って立ち上がった。

「ま、そういうことなら仕方ないね。いいよ、ユリアちゃんあげる。報酬はないけどね」

あれほど渋っていたにも関わらず、サンはあっさりと引いた。
儀式屋は安心したように息を吐いた。

「構わない、理解して頂けて何よりだ」
「だって僕は、愚かで可哀想で、弱くて何でも言うこと聞くのが好きだもの。そんな意志のある子は、あげるよ」

先程と言っていることが全く違うが、それに儀式屋は何も言わなかった。
純白の帽子を軽く払って被ると。

「それじゃあね、また遊びに来るよ…ああ、そうそう。暴れちゃったお詫びに、後でいいもの送るからね」

バイバイ、と手をひらひらと振ると、瞬く間にサンの姿はなくなってしまった。
後には儀式屋と、二人の従業員と少女と、瓦礫と化した壁だけだ。


「さて…」

儀式屋は、始終傍観していた二人に向き直る。

「もう話すまでもないが、ユリアは今後、君たちと同様に此処で働くことになる。…後は、分かるね?」
「了解」
「大丈夫っすよ」

それぞれの返事を聞き、儀式屋は頷く。
それから、ほんの少しだけ意地の悪い笑みをすると。

「宜しい。では、さっさと開店準備をしたまえ、10分前だよ」
「は……10分前!?」
「だ、だだだだだだ旦那!?嘘っすよね!?」
「私は先刻、嘘は吐かないとサンに言ったばかりだがね」

その残酷な真実に、従業員二名は顔を蒼白にする。
黒衣の男は素知らぬ顔で、棒立ちのJからユリアを引き取り、もう一押しの言葉を投げかける。

「いい加減動かないと、5分前になりそうだよ」
「行くよヤス君!俺は全部屋見回るから、後よろしくねー!」
「えええ!!そりゃないっすよJ!」

言ったもん勝ちだよ!と叫び既に走り出したJを、ヤスは全速力で追いかけた。
喧しい足音は次第に遠退き、儀式屋はふっと睫を伏せた。

「……アリア、聞こえるかな?」
「えぇ。お疲れ様ね、自業自得でしょうけど」

皮肉ったアリアの声が、何処かから聞こえた。
儀式屋は苦笑して、ユリアを抱えたまま壁の被害が及んでいる室内へ足を向けた。
ユリアを再びベッドへ寝かせると、背後の壁にある鏡へ話し掛けた。

「本当にね」
「しかも私を理由に使って…」
「お陰でサンを手っ取り早く納得させられた、感謝してるよ?」
「ふん、そんなの嬉しくないわよ」
「おや、ご機嫌斜めかい?」

少し膨れっ面の美女が視界に映り、儀式屋は出来るだけ優しく尋ねた。
アリアは、そんな彼に肩を竦めるだけだ。
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