四章§41

Jの合図と共に巻き起こった小爆発。
その隙に、彼はユリアを落とさぬようしっかり抱き上げて、その場から直ぐ様逃げ出した。
地を駆けて、寂れた建物の群生の間を抜けていく。

「……こんなもん、かな」

大股で走っていた彼は、そう呟くと共に漸く立ち止まった。
それまで必死にJに掴まっていたユリアは、彼が止まったことで胸に埋めていた顔を上げた。
目に入ったのは、薄暗く天井の高い空間だった。
入り口はユリアたちが入ってきたそこだけである。
古びた受付、クッションが破れてしまっているソファ、塗装の剥げた壁を見ると、何処かのホテルロビーのようだとユリアは思った。
何年も人が立ち入った形跡がないようで、吸い込んだ空気が黴臭かった。

「さてと……ユリアちゃん、ちょっと降ろすよ?」
「は、はい」

然程低くない彼の声が、ユリアに確認するように囁かれた。
慌てて返事をして頷けば、Jはゆっくりとユリアの足を地面へと導いた。
完全にユリアが自分で立ったところで、彼は手を離した。

「大丈夫?どっか痛いとことかない?」
「あ……えと、ないです」
「そっか……良かったぁ…」

盛大に溜息を吐いて、わしゃわしゃと己の赤髪を掻いた。
それからすぐに、何処か改まった様子で咳払いをひとつする。
少し金瞳を彷徨わせたあと、意を決したようにユリアを真っ正面から見た。

「もう……彼女から聞いたんだろうね」
「え……?」
「俺が、避けてた理由」

刹那、ユリアは息を呑んだ。
やや居心地が悪そうに、だがJはそこから逃げることはせず、真剣な表情で言葉を続けた。

「……俺は不器用だから、あんな方法でしか、ユリアちゃんを守れない。傷付くって分かってたし、そんな俺を嫌いになって欲しかった。俺みたいな危険な奴の傍に、ユリアちゃんを置いとけない」
「…………」
「馬鹿みたいって、思ってくれていいよ?それでも、ユリアちゃんが無事なら良かった。幾ら嫌われたって、それで」
「……何で、言ってくれなかったんですか」

え、と自嘲を含んだ目線が斜め下へ向かっていた彼は、ユリアを視界に入れた。
そこには、眉をやや吊り上げながらも、今にも泣きだしそうな顔の少女がいた。
初めて見るユリアの表情に、Jはただぽかんとしてユリアを見つめた。
向日葵色の少女は腰に手を当て、出来る限り目を鋭くしてJを見上げる。

「一言、近づいたら危ないって、言えば良かったんじゃないですか」
「でも、あんなことのすぐ後だと」
「Jさんは、私を見誤ってます!」

大きな声でびしっと指を差して言われ、吸血鬼は身を少し怯ませた。
年齢差にして、既に何百という差があるにも関わらず、遥か年下の少女に驚くとは、吸血鬼も形無しである。
だがJは、不思議そうにユリアを眺めた。
益々顔に怒りを滲ませながらも、その黒曜石が徐々に潤いを増していくのだ。

「……皆さんに後で聞きました、何でJさんがあんなになったのか。私、それを聞いても貴方を嫌いになんか、なれませんでした。そして、今もです」
「……ユリアちゃん」
「私は、Jさんが思うほど怖がりでも、弱くもないです……少なくとも、Jさんが吸血鬼であることを、受け止められるくらいには」

そこまで言い切って、耐えるようにきゅっと唇を噛み締めた。
Jは隻眼を見開き、それからふっと目元を和らげた。
一生懸命に涙を堪えているユリアの頭を抱き寄せて、ぽんぽんと頭を撫でてやった。

「……、敵わないね」

Jの意味するところが分からず、彼の体に押しつけられていた顔を上げた。
見上げてくる少女へ、一言一言、丁寧に言葉を伝える。

「儀式屋は君を高く評価してる、覚悟をすれば強いって」
「……でも私、」
「強くないっていうんだろ?俺は……正直言って君が、そんな強いなんて思ってなかった。だけどそれは、さっきのユリアちゃんの言葉で、覆された」

彼の瞳に灯るそれは、とても柔らかく生き物全てを見守る陽の光だった。

「こんな俺を受け止めてくれる君は、その通りだ……有難う、ユリアちゃん」

そう述べると彼は、ユリアの目から溢れた雫を優しく親指で拭った。

四章§42

目の前の青年からの感謝の言葉に、胸に支えていた何かが粗方無くなったように、ユリアは感じた。
それは“互いの誤解”が解けたためだ。
Jがユリアに自分は受け入れられないと思っていたように──女王が指摘した通り、ユリアもJには何を言っても、もう通じないと半ば諦めていたのだ。
だが先刻、Jのあまりにも独りよがりな考えに触発されて、ついにユリアはずっと言いたかったことを全てぶつけた。
駄目かもしれない、無駄かもしれない、と思い止まるような気持ちはなかった。
ただ彼に、伝えたかった。
“あの日”から、ずっと言えなかったこと。
自分は、Jを受け入れられるのだと。

──そしてそれは、きちんと彼の内側まで届いたのである。

「……私こそ…です」

ぽつりと零れたユリアの言葉は、抱き寄せられ埋めた彼の服へと吸収された。
本当に小さな呟きだったから、Jの耳に入ったかどうかは分からない。
ただ、背に回された腕の力が、ほんの少しだけ強まった気がした。
その力にユリアはまた、涙腺が緩んでしまう。

が、それでも粗方なくなっただけで、まだ違和感が全てが消えたわけではない。
何故ユリアを助けに来られたのか、どうしてあの神父を挑発したのか。
他にも疑問に思うことがあった。
だがそれを今すぐ問う機会は、残念ながら巡って来なかった。

「Jー!こんなとこで何してんだー!?」

入口方面から、間延びした声が吸血鬼の名前を呼んだ。
振り向くと、塵で出来た絨毯の上を軍靴で走ってくる彼。
暗くても分かる赤い髪に、Jは眉を吊り上げた。

「ミシェル、大声で呼ぶなってば」
「あ、ごめんなー…って、お前さーそれどころじゃねぇよ!さっさと『儀式屋』に戻れって!」

ユリアたちの前で立ち止まったミシェルは謝る一方で、二人へ警告をした。
その顔に笑みはなく、焦燥感があるのかやや動きに落ち着きがない。
初めて会った時のような余裕がないミシェルに、ユリアは目を丸くした。
何があったのかユリアが問おうとして、Jが片手を少女の前にかざした。
見れば、ミシェルとは正反対で凶悪な程に口角を持ち上げている。

「戻る?俺が?」
「あ……当たり前だろー!?あのシスター、マジぶちギレしちまってるんだぜー?いくら何でも」
「馬鹿じゃないの、ミシェル?」

本当に馬鹿にしたニュアンスを含んだそれに、赤髪の彼は呆れたような声を出した。

「馬鹿ってお前……」
「何のために俺があれをからかったと思ってるわけ?此処で敵前逃亡しちゃ、意味がないだろ」
「でもさー」
「まぁ見てなよ。何もかも、上手くいくし。で、あいつらは今──」

ユリアはJの言葉を最後まで聞き取ることが出来なかった。
体を再び抱き上げられ、埃を舞い上げてJが後方へ飛び退いたからだ。
何が起こったのか一瞬分からなくて、隣で同じように避けた軍服の青年を見た。
ミシェルは何処か苦い顔をし、じっと遥か遠い入口を見つめていた。
つられてユリアもそちらを見、息を呑んだ。
まがまがしく光が差すそこに立つ、二つの人影。

「サキヤマ、やはり汝も余のような武器を持つべきぞ。避けられたではないか」
「シスター・エリシア。何度も言いますが僕はあくまでも貴女のサポーターであって、攻撃専門ではありません」

しゃらん、と涼やかな音が聞こえ、円の形をしたそれが僧衣の男の腕にはまる。
隣に立つ尼僧はふんっと鼻を鳴らした後、中にいるメンバーを刃物のような瞳に映す。
真っ赤な唇を弓形にすれば、手に持つ凶器をJへと向けた。

「愚かだな、汝も。飼い主の元まで帰れば良かったものを……このような場では、サキヤマにすぐ見つかるというに」
「へぇ?それってやっぱり悪魔だから?」

こちらも同じように笑んだまま、皮肉めいた口調で返した。
そして、抱えていた少女をそっと降ろすとミシェルの方へ行くよう背中を押した。
ユリアがJを振り返ると、彼はウィンクを一つ寄越した。
何故Jはこんなに余裕なのか、ユリアは理解できなかった。
ただ、今の彼ならば大丈夫だという揺らぎない思いだけは、少女の心の内にしっかりと存在していた。

四章§43

ミシェルがユリアを背後へ庇うように立ったのを盗み見ると、眼前の敵へ意識を向ける。
とてもシスターには見えない、死神のような出で立ちをしたエリシアは、吐息を一つ。
隣に控える男の肩に手を置いて。

「Jよ……あまりサキヤマを刺激してくれるな。汝と違って、サキヤマは繊細な男なのだ」
「そりゃ悪かったね。で、こんなとこまで追い掛けて来といて、何の用?」
「無論、先程の件だ」
「だーから言ったじゃん、あんたたちじゃ裁けない人って」

しつこいなぁ、といったように口を尖らせると同時に、エリシアは駆けると突然メイスをJの頭上へ振り下ろした。
思わずユリアは目を瞑ったが、即座に聞こえてきた陽気な声に目を開いた。

「怖っ!何怒ってるんだよエリシア?」

上手く避けたらしい彼が、古びて皮の破れたソファの上に片足を付いてしゃがんでいた。
Jが着地した拍子に舞い上がった埃が、薄暗い室内にじわりと広がる。

「……まだ戯言を申すかと、余はいうておるのだ」
「……は、戯言?何、つまり俺が嘘吐いたって?」
「いかにも」
「根拠は?」

双方の間合いは、どちらかが攻撃を仕掛ければ、それに迎え撃つことが出来る程度。
言葉を交わしながらも、その機会を窺う様は、今にも敵の隙を見付け飛び掛からんばかりの獣そのものだ。
そんな剃刀色の目を光らせる獣は、埃を薙ぎ払うようにメイスを振れば、自信たっぷりに言い放った。

「此処へ至る道中にサキヤマが言うたのだがな、そのような小娘の所有許可は誰にも出してはおらぬのだ」
「……何?」

ユリアたちの場所からJは少し離れているため、薄暗闇の中その表情は分からない。
だが、その声で彼が当惑していることが窺えた。

「汝も知っているであろう。この世界で何かを所有するためには、我々ミュステリオンが許可する必要がある。だが、その許可が下りたという話、全くミュステリオン内には聞こえない」
「……………」

絶対的な自信と共に断言したシスターに、Jは何も言わなかった。
ユリアは話の流れを追いながら、一抹の不安に駆られる。
まとめればそれは、ユリアが認められない存在であるということ。
ざわっと全身に怖気が走り、目の前にある軍服の裾を少女は掴んだ。
引っ張られる感覚でミシェルは気付いたようだったが、掛ける言葉がないのか横目にユリアを見ただけですぐ視線を戻した。
薄暗いこの空間を、呼吸音すら殺すようにしていた静寂は、エリシアにより消された。

「さて……これで汝が余らへ虚偽の証言をしたことが事実となったわけだが、どうかの?」
「ますます面白い状況になってきたって感じかな?」
「……はぁ?」

予想していたものとは異なる回答に、エリシアは思わずそう呟いた。
彼女の後方、未だに入口に立つサキヤマも怪訝な表情をしている。
ユリアの位置からは確認出来ないが、恐らく赤毛の彼も同じであろう。
ただJだけが、この空間で晴天の下にいるような笑みをしている。

「俺は嘘を吐いた覚えはない、そして何故許可が下りていないのかの理由も分かった……だから、面白いなって」
「支離滅裂であるぞ、J。だがもし汝のいうことが万が一にも合っていたとしてもだ、こちらが認めておらぬということは、そいつを罰する権利が余らにはある!」
「いいや、幾ら君でもそれは不可能だ」
「何故そこまで断言出来……否、それはどうでもよい。問題は一体それは誰かということだ」
「なら、いつも君たちがする方法で教えてあげるよ」
「何だそれ、は──!!」

言い切る前に、男の足がエリシアの顎を狙って放たれた。
間一髪、エリシアの持つ本能がそれを避けた。
上体を反らし、後方へ宙返りをして着地、直ぐ様体勢を立て直すと、攻撃的なシスターは吸血鬼を射殺すように見た。
だがその表情が不機嫌かと問えば、そうではない。
寧ろ、欲しい物を手に入れた子供のように、嬉々とした色を覗かせている。

「なるほど、実にシンプルだ……汝を倒せばよい、ということだな」
「そういうこと……ま、すぐに終わるだろうけどね」

後半の呟きは口内に留めると、メイスを構え迫り来るシスターを視界に収めた。

四章§44

つい最前まで話をしていた両者だったが、いつの間にか攻防戦を繰り広げている。
未だミシェルの服を握ったままの少女は、恐々ながらもその闘いを黒い瞳に映していた。
初めて見る、Jの戦う姿。

(……すごい)

それ以外に、何も浮かばなかった。
こんな風な戦いを間近で見たことがないから分からないが、素人目から見てもJの強さはその戦いぶりから理解できた。
同時に、対峙するシスターも互角であることも。
祈るような気持ちで暫くユリアは二人の激しくなる抗争を見守っていたが、不意にそれは終わりを告げた。
Jたちの勝負がついた、というわけではない。

「動かないで頂きましょうか、女王の駒?」

そんな声が鼓膜に届いたのと、何かが刺さる音が聞こえたのはほぼ同時だった。
音は足元からで視線を落としてみれば、目の前に立つ男の軍靴の近くに、短い矢のようなものが二つ。
足から辿るようにして目の位置を高くすれば、ややにやけたミシェルの顔があった。

「……随分な呼び方するなー、神父ー」
「本当のことでしょう、ぴったりなお名前ですよ……ああ、貴女も動かないで下さい」

貴女、と後方の少女への言葉に、ユリアは身を固くした。
その変化に、微かにミシェルは目を向けると、先程の笑みに硬質な物を混ぜた。
ちっと小さく舌打ちをすると、無表情の神父を睨む。

「あんた方ってさー、昔から気に食わないよなー」
「その言葉、そのまま返しますよ」
「で、何ー?言われなくても、あの二人の邪魔はしないけどー?」
「何故、此処にいるのですか」

サングラスに隔たれたために直接見えはしないが、見下したような視線が赤髪の男に突き刺さる。
がしゅんっ、と何かが壊れる音が聞こえた。
ちらりとユリアが横目で見ると、シスターの持つメイスが、ローテーブルを叩き割ったところだった。
それを難なく躱したJに、更に追い討ちを掛けようと、エリシアが再びメイスを持ち上げる。

「んー?話が見えないなー?」
「はっきり言いましょうか?貴方が此処にいるのは、迷惑だということです」
「嫌われたもんだなー」

一言一言に刺々しいものを含む神父の言葉を、彼はそれを軽く受け流すように相変わらずの調子で返す。
すぐ傍では白熱した戦いを繰り広げているというのに、こちらは少しずつ空気が凍てついていく。

「先程の爆発はまだ目を瞑るとしても……これ以上、僕らの邪魔をするようであれば、女王の駒といえど、容赦しません」
「へぇー?ミュステリオンのくせにー、女王様に楯突くっていうのかー?」
「貴方が邪魔をすればという話です」
「まぁ安心しなよー。俺だって馬鹿じゃないしー?女王様を危険に曝す真似、この俺がするわけないってのー」

べーっと舌を出すと、神父の仏頂面が僅かに歪んだ。
が、それ以上は何も反応せず、口を強く引き結んだ。
代わりに、ワインレッドの軍服を着た彼が、さも楽しそうに口を開く。

「そうそう、あんたもこっちに手ぇ出したら、アウトだからねー」
「……………」
「さぁて……、後は“お楽しみ”を待つだけだなー」
「……お楽しみ?」

その単語に、口をつぐんでいた濃紺を携えた男が反応した。
それとは対象的な色をしたミシェルが、口角を持ち上げる。

「そうさー。ああ、でも言わないよー?大丈夫、直に何もかも分かるからー……ああ、気になるなら考えるといいぜー?」

低く唸るように、女性の声が咆哮する。
続いて破壊音が立て続けに起こり、妙な形の光が埃塗れの床を照らす。
光に照らされた二人の影が、踊る。
それを見つめながら、眉間に皺を寄せているサキヤマへ、殊更優しい口調で答えた。

「この場所が、どういう場所なのかってことさー。気付いた時には、全ての答えが見付かるぜー?」

けらりと笑い、後ろに控えるユリアへ。

「ね、ユリアちゃんー?」
「へ……?」
「気にしない気にしないー」

ぽかんとした顔で見つめてくるユリアに、そう彼は何か含んだような笑みを向けた。

四章§45

「たぁああああ……!!」
「はずれっ!」

腹の底から響いてくるような雄叫びと共に繰り出される攻撃。
Jは首を左へ傾けると、顔のすぐ傍を突いてきた白銀のメイスを避ける。
口端を上げて笑いかければ、ぎんっと剃刀色の瞳が威圧してきた。

(あぁ、こりゃ完全にキレたな…)

そう思いながら、それでも焦り生じない。
頭の片隅では常に余裕が生まれていて、さぁ何処でこいつを驚かしてやろうか考える。

「そんなんじゃ、いつまで経っても俺は倒せないよ、エリシア?」
「このっ……ちょこまかと逃げおって…!」

袈裟斬りしようとしたそれを振り上げた足で受け止め、シスターの側へと返した。
自然と間合いが取られ、ふとJはシスターの向こうにいる三人を視界に入れた。
入口から一歩たりとも動いていない神父に、何やら上機嫌に語っている男。
男の影になってしまっているが、それでもじっと見守っているだろう少女。
あの子はとても強い子だが、いつまでもこんなとこに居させるのは、酷というものだ。
今日だけでも、その小さな体には抱えきれない程のことが起きている。
一刻も早く、このような場所から脱出させてやらねば。

「よそ見は命取りぞ、J!」
「!」

気付けば頭の中はユリアでいっぱいになっていて、エリシアという存在を忘却していた。
短い台詞に現実に引き戻されたその時には、エリシアの凶器が目前に迫っていて──

「っ、一体何処からそれを……」

尼僧の目が、受け止められたメイスの先に留まる。
メイスから生える刄、それを止めているのは細かな装飾が施された短剣だった。
いつの間に取り出したのかは分からないが、それがメイスとJの間に距離を作っている。
刃物同士が擦れ合う嫌な音が鼓膜に絡み付くが、Jは口元に描いた笑みを崩さない。

「何処からだろうね……ところでエリシア、たまにはシスターらしくカミサマとやらに祈りを捧げたらどう?」
「何を馬鹿なことを口走っておるのやら……祈るのは、汝であろうが!」

強くメイスを押し付け、素早く離れる。
Jはややよろめいたが、それでもしっかりと地に足を付けている。
鈍色に光る刃物を持ち直し、派手な頭の吸血鬼はエリシアへ向かって顎をしゃくってみせた。

「エリシア、そろそろ気付いたら?どうして俺がこんなところで待っていたのか……」
「……待っていた、だと?」

自分の感情を抑えることなく、苛立ちを顕にして問いかける。
そう、と短剣の飾りを弄いながら、鋭い犬歯が見える程に笑う。
その訳も分からぬ笑みに、エリシアはほんの少し背筋がぞくっとした。

「でも、気付こうが気付くまいが──もう、あんたの負けだよ」
「……!」

嘲りをたっぷり込めて言い放つと、エリシアの殺気がぶわっと溢れ出す。
刹那、彼女は渾身の力を以てして、Jへと躍り懸かった。
それは、今までの彼女のどの攻撃よりも精鋭なもので、無駄のないものでもあった。
これほどの勢いで来られたら、短剣は容易く弾かれてしまう。
だがそれでも、Jは笑顔を消さなかった。
振り下ろされるメイスの流れを見ながら彼は──なんと、手にしていた短剣を手放した。
その光景を見ていた誰もが、Jの行動の意味が分からず、釘付けにされる。
しかし、より驚くべき出来事が直後に起きた。

「な、ん……だと…?」

メイスの持ち主であるエリシアは、目を丸くした。
にやけ顔の吸血鬼、その顔に傷の一つでも付けてやれたはずだ。
だがその衝撃は全て、突如Jの顔の前に現れた短剣に吸収されてしまった。
この目の前の男が、先程捨てたばかりの短剣だ。
それが今あるだけでも有り得ないのに、更に信じられないのは、Jがそれを握っていないということだ。
柄に張りついているその手は、死人のように色がない。
その先を辿るも途中でぶつりと切れていて、手だけが闇から生えているように見える。
否、そうではない──エリシアは無意識に目を凝らす。
そこに浮かび上がったのは、闇に縁取られたその手の持ち主の、

「J……、私のコレクションを勝手に使うなと、言ったはずだがね?」

死者のようにして立ち尽くす、儀式屋。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2009年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
プロフィール
奇吏斗さんのプロフィール
系 統 普通系
職 業 教育・福祉
フリーページリスト