六章§31

女神の悲鳴と同時に、多くのことがその場で起こった。
まず、入口付近にあったそれらは、光の速さで飛び込んできたJにより蹴散らされた。
べしゃりと水風船が割れた音が立て続けに幾つも沸き起こる。
二度と蘇らないように、執拗に、あるいは異常なまでに、蹴りつけ殴りつけ踏みつけていた。
その一方で、アキに襲いかかろうとしていたそれは、突如部屋の中央に現れた黒い影に瞬く間に飲み込まれる。
室内を占拠した白がなくなり、元のスタッフルームが現れた。

「危機一髪、だったようだね」

黒い影は一度身震いすると、たちまち儀式屋その人へと変貌した。
彼はついでとばかりに、Jが始末したそれに手をかざし、跡形もなく床から取り去った。
死屍累々となっていた廊下が元の木目を取り戻したことで、Jは攻撃を止める。
ふぅ、と息を長く吐くと、彼は黄金の瞳を不愉快そうに細め、店の主へ向けた。

「色々まずいことになった」
「ふむ、そのようだね。後で報告をもらうよ」

そう告げると、儀式屋は鏡に豊かな金糸のみを映し出している美女へ近付いた。
なんの抵抗もなく鏡に手を差し込み、彼女の頭を柔く撫でた。

「アリア、もう顔を上げたまえ。アキは無事だ」
「……駄目よ、顔が酷いもの」
「おやおや、ならベールを掛けておこうか」

薄ら笑いを深めて告げると、アリアは微かに首を縦に振った。
儀式屋はその通りにしてやると、さて、とJを振り返った。

「私がいない間に何がどうなったのか、聞かせてもらえるかね」
「……儀式屋、フェイって悪魔は知り合い?」

規則正しく呼吸するアキを眺めつつ、Jはまず彼にそう尋ねた。
ふむ、と儀式屋は顎に指をあてがい思案する。

「……面識がないね」
「そ。まぁそいつが店のドアノブ破壊してってさ、だからあの出来損ないが入ってきたわけ」
「破壊して、ということはその悪魔は実体ではないのだね」
「ああ…で、さっきまでそいつを追ってたんだけど、上手くはぐらかされてね……」

そこまで言うと、ややJは口惜しそうに唇を噛んだ。
思い出しただけでも、怒りの感情が体を突き上げてくる。
今、その相手がいたら、間違いなく叩きのめしている自信がある。

「その怒りは、次に出会った時に爆発させたまえよ」

Jの心を見透かしたように儀式屋は発言し、そのまま続けた。

「ふむ……まずは、結界をかけ直さなければ、だね」

言ったと同時に、すっと儀式屋の姿が消失した。
そしてものの数秒で、彼は再び戻ってきた。
Jは何度か目を瞬かせた後、訝しそうに儀式屋を見やった。

「……もう終わり?」
「勿論。綻びを縫い合わせるだけだからね。しかし驚いたね、何という憎悪で突き破ったんだか」

と、彼は病的に白い己の手のひらを開閉させた。
表情には全く驚きの欠片も見当たらなかったが、Jが把手から感じ取ったものを彼も体験したのは間違いなかった。
Jはソファの背もたれに腰掛け、儀式屋に問う。

「追う?」
「……いや、今回は見逃そう」
「っ、本気?」
「ああ、何、もう一度向こうから接触してくるだろうからね」
「邪魔な芽は摘むべきだと、俺は思うけどね」

やや語気も荒く答えたが、逆らう気はないらしかった。
それが分かっているのか、儀式屋はくくっと喉を鳴らし笑った。

「本当に君は血気盛んな男だね」
「あんたが気ままに構えすぎなんだ」
「あら、私は儀式屋に賛成よ」

重低音の中に、高く涼やかな声が入り込んだ。
おや、と儀式屋は声の聞こえた鏡に近付いた。
そっとベールを捲りながら、

「もういいのかな?」
「えぇ」

許可の言葉に儀式屋は、ベールを取り除いた。
現れたのは、いつも通りの明るい女神の笑顔だ。
その笑顔に少し安堵を覚えながらも、Jはむっとした顔を向けた。

「ほんっと、アリアってば儀式屋に甘いんだから」
「あら、今回はただ甘いだけじゃないのよ」

そう言い終わる頃には、笑顔の代わりに真剣な──それでいて悲しみも称えたものがあった。
更にアリアに食いかかろうと思っていたJは、その変化に口を噤み、眉根を寄せた。

六章§32

「何やら、また、宜しくないことのようだね」

アリアの顔からそう読み取った儀式屋は、薄ら笑いはそのままに尋ねた。
うん、と一つ頷きを返し、アリアはざわつく胸中を抑えようと息を深く吸った。
これから告げる言葉が、彼にどのような思いを抱かせてしまうのだろう。
答えはただ一つ、分かり切っている。

「貴方が出掛けた後、アキ君から聞かされたの……あの子は今、亡霊街のラビリンスにいるらしいわ」
「ラビリンス!?」

驚愕の声が、Jの口から飛び出した。
無理もない、とアリアは思った。
アキから聞かされた時、自分も同じ反応をしたのだから。

「……ラビリンス、か。なるほど…」

静かに儀式屋は、その言葉を吟味するかのように呟いた。
深く考え込むように目を細め、もう一度ラビリンスの単語を繰り返した。
そのまま彼は一点を凝視し、黙り込んだ。
代わりに、驚愕から復活したJが口を開く。

「……でもラビリンスなんか、よく思い付いたもんだね」
「誰も確認しないからよ、あんな場所。入ろうと思って入る場所じゃないもの」
「まぁ確かにね……」

Jは頷きながら、その場所のことを思い出す。
ラビリンスはこの精神世界において最も忌避され、生きた人間は入ったが最期、出てこられないと言われている。
それゆえに、命が惜しくなければ、隠れるには持って来いの場所だ。

「でも、20年も隠れてきたのに、何だって今更見つかったわけ?」
「あのね、J君。見つかった場所は何処だかお忘れなのかしら?」
「……あ、そうか。しかしまぁ、よくアキちゃんも行く気になったね」

軽く二回頷けば、微動だにしないアキを見やった。
どうりで、ぼろぼろで帰ってきたわけだ。
アリアもその意見には同意したようで、小さな溜息を吐いた。

「本当だわ……あそこは生者が行くべき場所じゃないのに」
「アキは忠実だからね、Jと違って」

黙していた儀式屋が口を開いた。
雇い主の発言に、Jは眉間に皺を寄せた。

「俺だって尽くしてきただろっ」
「アキはそこまで憎まれ口は叩かないよ」
「大きなお世話だね!」
「しかし、ややこしいことになったものだね……」
「……、ややこしい?」

話を逸らされてしまった気がしたが、それでも律儀に尋ねた。
儀式屋はやや薄ら笑いを広げてみせる。

「ああ、アキから報告を受けてね…どうやら、再び十六区の悲劇が起こりそうだ」
「……マジで言ってんの?」
「私がこんな面白い冗談を思い付けたら良かったのだがね」
「マジなら冗談言ってる場合じゃないだろっ」

思い切り不愉快そうな顔をしてみせ、わざとらしく溜息を吐く。
わしゃり、顎までかかる髪を掻きあげて、きっと睨み付ける。
その視線を受けた儀式屋は、肩を竦めてみせた。

「……問題はその数だ。今回は一つの区だけではない」
「どういう意味?」
「君も七区に近いから、悪魔街が今どんな状態か知っているね」
「……あー、当主は維持派、でもその他大勢は違うってやつ?…儀式屋の言い方からしたら、他の区もそうだって聞こえるけど」
「いかにも」

マジかよ、と声には出さず口先だけでJは呟いた。
儀式屋は薄ら笑いを広げつつ、言葉を続ける。

「その上、どうも目的がはっきりしていない」
「十六区と同じなんだろ?まーた現実世界に出るとかそんなじゃないの」
「それは確かなのだが、全体が漠然としすぎている」
「とかいいつつ、あんたがにやにや笑いしてるときは、あてにならない」

ぴしゃりと言えば、闇色の彼はくつくつ笑ってみせた。
ほらみろ、と言わんばかりにJは腕組みをした。

「くくっ……いや、私のはただの推測にすぎないからね」
「あーはいはい分かったよ、これ以上は聞かない」
「おやおや、たまには物分かりがいいようだね」

儀式屋のその一言に、Jがまたしても反応しかけた時──

「Jー!何があったっすか!?」

どたばたと、喧しくスタッフルームに飛び込んできた二人組(ただし、煩いのは一名だが)により、Jはそこまで出掛かった言葉を飲み込んだ。
代わりにJは、ヤスと彼の肩に担がれている少女をしげしげと眺めつつ、

「何、ヤスくん。誘拐犯ごっこ?」
「はっ!?違うっすよ!俺はJを追いかけて──」
「とりあえずユリアちゃん下ろしてあげなよ、荷物じゃあるまいし」
「えっ!?あ!!ご、ごめんなさいっす!!」

Jの一言にたった今気付いたかのように、慌ててヤスはユリアを床に下ろした。
下ろされた少女は、ヤスがどれだけ急いで走ってきたのかを物語るには十分な容貌になっていた。

六章§33

上質の絹を思わせた髪はぐちゃぐちゃで、彼女自身が走ったわけではないのに、何故か額や首筋には汗が浮いている。
おまけに、きっとヤスに担がれている間に平衡感覚が狂ったのか、地上に足を着いてもふらふらしている。
そんなユリアを、Jはさり気なく自分の方に引き寄せ、後ろから抱きかかえるようにして、ソファの縁に腰掛けた。
ついでとばかりに、髪の毛を手櫛で整え始める。
ユリアは一瞬驚いたような表情を見せたが、彼のこうした行動にも慣れてしまったのか、抵抗せずに身を預けた。
代わりに、のっぽの男が顔を真っ赤にさせて両眉を吊り上げた。

「さて、これで皆帰ってきたね」

他の誰かが口を挟む前に、儀式屋が口を開いた。
その一言で、部屋の空気が一変する。
緩んでいた糸が、ぴんと張るようなそれだ。
Jに文句を言おうとしたヤスも、ユリアを労おうとしたアリアも、それを感じ取り半開きにした口を閉ざす。
全員が注目したところで、儀式屋はゆっくりと話し出した。

「これから皆には、少々私の勝手に付き合ってもらわねばならなくなるのだが、」
「いつものことじゃん」
「J君、口を挟まないのっ」
「……、色々と指示を個々人に出す。これから伝えることは、君たちの業務において最優先事項だ、覚えておきたまえ」

Jの妨害に少し眉を顰めたが、中断することなく彼は続けた。
帰ってくるなり、いきなりの話の展開にヤスとユリアは戸惑いを覚えたが、これ以上儀式屋の話の腰を折る気にはならなかったので、口を噤んでいた。
闇色の男は口元の笑みを広げる。

「まずは全員に伝えよう、悪魔の動きにはくれぐれも気をつけるように。また、ミュステリオンからも目を離さぬように……J、君には二区の悪魔街を調べてほしい」
「えー、そういう潜入調査はアキちゃんの管轄だろ」
「アキは顔が割れすぎた」
「ならヤスくんだ」
「ヤスは潜入には向かない。彼は嘘をつけないからね」
「………わかったよ、仕方ないな」
「って、納得しちゃうんすかそこは!」

やれやれと溜息混じりに承諾した彼に、たった今よくわからない形で侮辱された気持ちになったヤスは呻いた。
が、そこで一々構っていては時間の無駄なので、誰も相手にしなかった。

「ヤス、君は通常営業だ。ただし、いつも以上の警戒をしてほしい。少々厄介な相手が来ているようだからね」
「は、はいっ分かったっす」
「それからアリア、君にはミュステリオンを監視していてほしい」
「あら、私?」

鏡の女神が意外そうな声を上げた。
闇色の彼は、もちろんだとも、と返す。

「君は屋内であれば誰よりも潜入調査に向いているのだよ」
「儀式屋、私は貴方の従業員じゃないのよ」
「百も承知だ」
「なら、その見返りは頂きますからね。ああ、それからユリアちゃんの届け出をした時のも、忘れずに」
「やれやれ、君はちゃっかりした女性だね」

くつくつ笑いながら、彼は答えた。
つられて、アリアもふふっと口角を持ち上げた。
その笑いに、ほんの少し室内の空気が軽くなる。

「アキは起きてから頼むとして……ユリア」

名を呼ばれたユリアは、Jの腕の中で身体を硬くした。
これまで一人ずつに与えられた命令を聞いていると、段々とユリアは自分に課されるものに対して不安になってきたのだ。
だが、ユリアに出来ることといえば、精々店内のことに限られている。
不安があったものの、なんとなくヤスと同じだろう、とユリアは見当をつけた。
じっと少女が見つめると、ルビーを嵌め込んだような目が嗤った。

「君には暫く、“彼女”のもとにいてもらう」
「………えっ?」
「“彼女”の許可が下り次第、行ってもらうことになる。いいね」
「あの、」
「まぁ、妥当っちゃ妥当だね。俺も賛成だ」

彼女を膝に乗せたまま、Jが珍しく賛同した。
呆然とした表情でユリアはJを振り返ったが、彼はいつも通りの顔だった。
むしろ、振り返ったユリアが不思議だと言わんばかりに、彼は首を傾げてみせた。
ユリアが何も言えずにいると、鏡の美女が声を掛けてきた。
その声は、ほんの少し憐れみを含んでいるように、少女の耳に届いた。

「ユリアちゃん、儀式屋の命令は私たちには絶対のものよ……だから従いなさい」
「……はい」

きゅっと口を引き結び、ユリアは頷いた。

六章§34

口を固く引き結んだ少女に、ヤスは何かしら言葉をかけてやろうと思ったが、何もでなかった。
アリアの言うとおり、儀式屋の言葉は絶対なのだ。
自分たちに、逆らうすべはない。
あのJとて、不平不満を並べ立てても、結局は従うのだ。
それが、自分たちと儀式屋の間に出来た契約。
だがそれでも、ヤスはユリアの気持ちが痛いほど分かった。
理由もなく、ただ言われたことにイエスと頷けというのは、納得いかないものだ。
たとえそれが、絶対の契約だとしても。
硬い表情で俯く少女をこれ以上見ていられなくて、茶に染め抜いた頭を垂れて、彼はそっぽを向いた。

「ヤス、ユリアの二人はもう休みたまえ」
「………え」
「休みたまえ」

同じ言葉を二度繰り返した主をヤスは直視する。
血のようなルビーの目は、何の感情も映し出さない。
ただ、笑みの形にだけ歪められている。
何故自分たちだけ、と言いたかったが、その目は絶対的な威圧感で何も言わせない。
ヤスは視線をそのままユリアに流した。
ユリアは目があった途端にJの束縛から放たれ、皆に夜の挨拶をするとすぐに出て行った。
呆気に取られたヤスは、はっとしておやすみなさいと言って慌てて少女を追い掛けた。
ばたばたと廊下に足音が反響し、やがて聞こえなくなった。



「ユリアちゃんっ」

ヤスはユリアを追いかけ二階へと駆け上がり、少女が部屋に入ろうとしたところで声を掛けた。

「ヤスさんっ?どうしたんですか?」

声を掛けられたユリアは、目を丸くして振り返った。
もうとっくに帰ったと、少女は思っていたのだ。
ヤスは、Jと同じようにこの『儀式屋』ではないところに住んでいる。
ゆえに、彼は二階へ上がる必要はなく、ユリアが驚いたのも納得できる話なのである。
ヤスが真っ直ぐ帰らなかったのは、どうにもユリアのことが気になったからだ。
何故か、このままではいけないと、直感した。
このまま明日を迎えるわけにはいかないのだ。
だって出て行く時の少女の横顔は──

「ユリアちゃん、大丈夫っすか」
「え?何が……?」

ユリアは首を傾げて尋ねた。
問われた意味が分からないのか、純粋な問いかけだ。
ほんの少し視線を泳がせてから、ヤスは躊躇うように言葉を補った。

「その、さっきの旦那の……」
「……儀式屋さんに、言われたことですか?」
「うん、そうっす」
「あれは……儀式屋さんがそう言ったなら、従わなきゃですから、いいんです」

と、ユリアは少し困ったような顔をして答えた。
どこか自分でも納得しきれていないから出てくるような表情だ、とヤスは直感した。

「ユリアちゃん、そんでいいんすか」
「え?」
「本当に、納得できてるんすかっ」

自分よりも低い位置にある少女の肩を掴み、彼は黒い瞳を覗き込んだ。
澄んだ純粋な黒は、覗き込まれた途端に躊躇うように揺れた。
ヤスは、更に言葉を重ねる。

「確かに俺たちは、旦那の命令は絶対っす……だけど、旦那は俺たちに感じる心を許した。だから、気持ち、誤魔化さないでいいんすよ」

ヤスが言葉を紡ぐうちにも、ユリアの頭は下を向いていった。
暫くして、少女から小さな声が聞こえた。

「……私、儀式屋さんに、何も教えてもらえてない」
「…………」
「精神世界のことも、儀式屋さんが誰かを探すのを目的にしてることも、知らなかった……、私はまだここに来てそんな経ってないからだって、それは納得しました」

でも、と。
逆接の言葉を口にしたとき、少女の声が震えた。

「さっきの、儀式屋さんのは……私、必要ないんじゃないかって…私だけ、邪魔者扱いされてる気がして…」
「ユリアちゃん……」
「そりゃ、ヤスさんとかJさんは強い……私は何もできない。だけど、私だってこのお店の、一員なんですっ!一人だけ、何処か違う場所なんてっ……」

そこから先は、声にならなかった。
後から後から涙と嗚咽しか出なくて、何も考えられなかった。
ただユリアは、込み上げる思いを声にならない声で吐き出すしか出来なかった。
そんな少女を前に、ヤスは肩に置いた手をゆっくりと、ほんの少し躊躇いがちにユリアの背に回す。
そのまま、ユリアも、ユリア自身の涙も全て包み込むように抱き締めた。
暫く暗い照明だけが照らす廊下に、二人はじっと立ち尽くしていた。

六章§35

「……で、ユリアちゃんを遠ざけといてどうするの」

──ヤスとユリアが出て行ったあと、暫し扉を凝視していたJが、おもむろに儀式屋に尋ねた。
先は儀式屋の意見に賛同したにも関わらず、今問い掛けた声は、主を侮蔑するような音が含まれている。
どうやら、Jの先程の言葉は本心ではなかったらしい。
はて、と儀式屋は首を傾げてみせた。

「私は遠ざけた覚えはないがね」
「またそうやって嘘を吐く」
「適材適所、私は無駄はしないよ」
「だとしたら、何できちんと説明してやらないわけ?」

Jのその言葉に、儀式屋は珍しく声を出して笑った。
赤く濡れた瞳を、さも可笑しそうに細める。

「おやおや、J。そういう君こそ、あの子が私に問う機会を奪ったのではないのかな?」

儀式屋がユリアに“彼女”のところへ行くよう命令した時、ユリアが何かしら問う前にJが口を挟んだのだ。
いわばそれは、J本人がユリアの機会を奪ったともいえる。
だが、Jはそのつもりではなかったようだ。
眉間に皺を寄せると、言葉を吐き出す。

「あんたはたとえあの場でユリアちゃんが尋ねても、何も言わなかっただろうさ。それどころか、あんたは鋭利な言葉を以てして、逆に傷付けることしかしなかったはずだ」
「……ふむ、なるほど?つまりは君の、また余計で不器用なお節介を焼いたということかな?」
「はいはいもう二人とも、落ち着きなさいな。子どもみたいな喧嘩ばかり、しないでちょうだい……儀式屋、一ついいかしら」

もはや互いの一言が一触即発になりかねない状況で、アリアはJが何か爆弾のような言葉を言う前に、口を挟んだ。
お互いを罵り合っていられるような、悠長な時間はないのだ。
彼女の意図したところに気付いたのか、Jは顔をしかめた。
だが、彼女に逆らってまで自分の主張を通す気はなかったのか、不服そうに腕を組み、儀式屋を睨む程度に抑えた。
アリアはそんなJを、ほんの少し申し訳なさそうに見つめてから、彼女へ何かな、という視線を向ける儀式屋に向き直った。

「何故私たちを残したのかしら?」
「おや、アリア。ヤスも退席させたのだ、君ならその理由も察しがついているのではないかな」
「…魔法使い絡み、なのね?」
「ご名答」

やっぱり、とアリアは思った。
ユリアとヤス、あの二人は純粋で、だからこそ嘘を貫き、芝居を演じ、誰かを欺く真似が出来ない。
そうとなれば、ユリアを遠ざけた理由も合点がまだいく。
吸血鬼の彼はまだ渋い顔をしているが、女神は先の一件を胸の内に収めた。

「何があっても、彼に亡霊街の一件は口外厳禁だ」
「ヤスくんにも、って意味?」
「無論、そうだ。二人…アキを含めば三人だが、亡霊街の件はしばらくこの面子だけで進める。以上だ」
「了解」
「では二人とも、ご苦労様。もう休むといい」
「そ。なら帰らせてもらおっと」

闇色の彼の言葉に、Jはうーん、と伸びをするとひらひら手を振り、先程の剣幕はどこへやら、意外にもあっさりと部屋を出て行った。
これ以上つついても、何も出ないと思ったのか、あるいは渋々ながら納得したのかもしれない。
こつこつと廊下に響く靴音が徐々に遠ざかってから、鏡の美女は溜息のように言葉を吐き出した。

「何だか、とんでもないことになってきたわね……」
「すべからく、未来は決まっているものだよ、アリア。だからとんでもないことになってきたのではなく、全て予定通りなのだよ」

赤革のソファに腰掛けた彼は、酷く簡単にそう答えた。
女神は眉を不可解そうにひそめて、儀式屋を見つめる。
相変わらず死者のような顔色で、薄ら笑いが貼り付いている。
およそ人の感情はそこにはなくて、ただその真っ赤な瞳に彼だけが見える未来を捉えている。
それは、もう悠久ともいえる時の間、一度も変わらないものだ。
きっとこの先も、そのままの彼であり続けるのだろう。

……ゆっくりとアリアは息を吐き、儀式屋へ彼女は言葉を返した。

「その未来が、明るいものであることを願うわ」

女神の言葉に、闇を引き連れる男は、ただいつものように嗤った。



To be continued...
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