「この世界には、人の形を保てない生き物がたくさんいるっす」

夜の精神世界。
ヤスにぴったりくっつくようにしてユリアは歩いていた。
そうして歩くうちに、ユリアはヤスに尋ねたのだ──夜の世界には、何がいるのか。
最初ヤスは話すのを躊躇っていたのだが、せがまれるままに渋々ながら口を開き、語り出した。

「この世界に来る奴って、大概どこかおかしいんすよ。大体は……ってあぁ!!ユリアちゃんは違うっすからね!?」
「いいんですよ、私だって儀式屋さんの都市伝説を信じ切っちゃうような人間だし」
「ちがっ……ああもうっ!」

何やら自滅してしまったらしい彼は、わしゃわしゃと頭を掻きむしった。
ユリアは隣でくすくす笑った。
ちらっと横目でヤスは確認すると、疲れたような笑いを漏らした。
そして、気を取り直したかのように話し出した。

「んーと……ユリアちゃんみたいに旦那との契約でって場合は特別で…普通、この世界に来る人間ってのは現実世界に対して深い恨みを持つ人、底なしの恐怖を持つ人、それから元々狂ってる人がいるっす」
「そんなはっきり分かれてるんですか?」
「大体はっすね。ただし、そうなった人みーんなが来るわけじゃないっす」
「どういうことですか?」
「悪魔一匹が死んだその時、人間一人がこの世界に来ることが出来るんすよ」
「!?」

自分の腕の一部に、一瞬強い圧力がかかった。
横目でちらりと盗み見るが、大丈夫そうだと判断して彼は先を話す。

「この世界に来た人間は、更に分類されるっす。ミュステリオンとか“彼女”に保護された場合は、そこで生きていくっす。そうでなかったら……アンソニーさんくらいに意志が強いなら、徐々にこの世界で個として生きてくことができるっす」
「じゃあ、それでもない人は?」
「そうじゃない人間たちは、この世界でも生きていけなくなるんすよ」
「どういう意味ですか?」

小首を傾げる少女に、ヤスはそこで一度開きかけた口を閉ざした。
そして、さっと闇の世界に目を向ける。
月がない世界では、視界はよくない。
だが、“あれ”はすぐに見える。
不気味な程に真っ白で、闇に浮かび上がる姿──ヤスの視界にそれは、今は見えなかった。
内心胸をなで下ろし、ヤスは言った。

「この世界は、生きる意味を見つけ出せないなら、自我を失っていくだけなんすよ。そうしたら、人の形すら留められなくなって……気がついたら、光の下で生きられないただの白い塊になり果てるっす」
「白い、塊」
「そうっす。それでそいつらは、夜になると現れて、人間に集ってくるっす。人間の肉体を欲して、人間を喰いに現れるんすよ」
「!」

──夜は、陽の光の元に生きられぬ輩が現れる。暢気にしていると、すぐに喰われるぞ──

頭の中で、アンソニーの声がヤスのそれに重なった。
全身の毛穴から冷水を注ぎ込まれたかのような、怖気をユリアは感じた。
食べられてしまう──しかも、元々は人間であったモノに。

「でも大丈夫っすよ!俺が、絶対絶対ユリアちゃんを守っ」
「ヤスさんは、その人たちに会ったことあるんですか?」

ヤスの言葉が言い終わらないうちに、ユリアが言葉を被せた。
一瞬ヤスは詰まったが、そう訊ねるユリアの目に負けてしまい、答えた。

「……まぁ、俺もこの世界に来て長いっすからね…何度か遭ってるっすよ」
「その時は…どうしたんですか?」
「それは、……!」

答えようとしたところで、ヤスは言葉を切って立ち止まった。
何事か尋ねようとしたユリアに、ヤスは素早く人差し指を唇にあてた。
そして、腰に携えていた剣を静かに抜き去った。
夜の闇に近い色をした瞳を凝らして、彼は一点を凝視する。
息を殺し、意識を集中させる。
そして──その一瞬が、来た。

「うらぁああ……!!」

慟哭をあげ、ヤスは飛びかかってきた白いそれを、叩き切った。

「……!……!!」

声もなく、断ち切られたそれは、べしゃりと地面に広がった。