六章§08

「──…報告は以上です」

そう言葉を締めくくると、ルイは静かに着席した。
粗方の内容は、シスター・ミュリエルから受けた報告──第二区の悪魔三人及び神父エドの拿捕までの顛末──と、これまでの二区での妙な動きについてであった。
ルイが口を閉ざした後、呼吸するのも憚られそうな沈黙が各自の上にのしかかった。
ルイの背後に控えるアンリは、光を宿さない瞳で一人一人の顔色を観察した。
どの面々も、渋い顔をして考え込んでしまっている。
特に、今回の事件に深く関わってしまった諜報局長など、ただでさえ良くなかった顔色を更に悪くしている。
が、アンリには全く彼が哀れとは思えなかった。
寧ろ情けなく、愚かな男にしか見えない。
どうせ、その蒼白な顔の裏側では、いかに自分は関わっていないかだとか、あの神父エドがいかにあくどい人間だったかを語るために、つらつらと考えているのだ。
くだらない、そんなことに興味があるのは真向かいに座す外務局の男くらいだ。
あの男はいつもいつも、いらぬことに首を突っ込んでは事態を悪化させることを得意としている。
そう、それは自らの局長へのことで、十分経験している。
ちらりと視線を下方へ流せば、視界に入るのは、己が従うべき人ルイ。
話し終え、アンリと同じく周囲を窺っているらしかったが、ただ一つアンリと違うのは、彼は目で確認しているわけではなかった。
甘い鳶色をした髪の下にあるのは、彼に相応しい双眸ではなく、鼻から上全てを覆っている翡翠のアイマスクだった。
もうかれこれ二十年、アンリはルイの瞳を見ていない。
例えそのマスクを取ったところで、あるのは今も消えることない醜い傷跡なのだ。

『アンリ、見えなくなった私はもはやミュステリオンに必要ない』

もう二度と世界を直接見ることが叶わないと知った時の彼を、アンリは生涯忘れられないと思っている。
いつだって自信に溢れたルイの背中は、その時ばかりは見たことがないほど小さくて、弱々しかった。
ただでさえそんな状態だったのに、あの外務局の男は執拗なまでにルイを追い詰めたのだ。

「……確か神父エドは、」

猛禽類の瞳を携えた我らが総統の声に、アンリは無機質な目を総務局長から外した。
神父エドの名に、諜報局長アークの顔色が一段と青白くなる。

「二区の諜報活動を任せていたと、私は聞いているがその通りかな?」
「はい、間違いありません!」

アークは勢いよく起立し、己を叱責するが如く張りのある声で答えた。
が、ともすればそれは、そうしなければ自分を保てなかったのかもしれない。
少なくともアンリの目にはそう映った。
総統はゆっくり頷くと、やや背もたれから離れて前のめりになり、彼に尋ねた。

「では、彼に関する悪評は?」
「っ、それも、聞き及んでおります」
「じゃあ何で先に止めなかったんだい、え、諜報局長さんよぉ?」

間髪入れず、彼の隣に座す外務局長ガジェットがアークに絡んだ。
やはり、とアンリの目が眇められた。
相手を己の玩具のように見立てた眼差し、からかうように捲られた唇──あの時と変わっていない。
あの男の口から吐き出されるのは、手負いの人間に一撃でとどめを刺すためのものではない。
自分が満足するまでじわじわといたぶり続けるための、猛毒だ。

『使えなくなった奴はどうするか、知ってるか?』

アンリの頭の中で、過去のガジェットが悪魔のように囁いた。
一度思い出したら、しつこく何度も再生されるそれは、酷く憎らしく、恨めしく、妬ましい。
それらが混ぜ合わさった感情がアンリの胃の辺りで暴れ出し、その勢いに乗せてガジェットを糾弾出来そうだった。
が、すんでのところで抑え込めたのは、ルイの姿が視界にあったから。
今ここで感情に任せて全てぶちまけたら、彼を窮地に追い込むのは目に見えている。
そんなことは、愚者がすることだ。

(私は、しない)

強く胸の内でアンリは頷き、再び今取り交わされている会話に耳を傾けた。

六章§09

ガジェットに半ば馬鹿にされたように問われたアークは、相変わらず血色のよくない顔だったが、僅かに不愉快さを滲ませた。
にやにや顔を見せる男を睨み付け、唇を翻す。

「我々とて、あいつを放置していたわけではない」
「ほぉ?しかしですなぁ、このようなことがあった後では、いくら言ったところで、あんたの信用は回復の見込みがねぇってもんでさぁ」
「なんっ……」
「考えてもごらんなさいっ!!」

ばっと腕を振り上げる。
周囲の視線が一斉に男に向かう。
ガジェットはワンマンショーよろしく室内いっぱいの音量で話し出した。

「今回の不祥事は、あんたとこの人間がやったことだ。考えようによっちゃあ……あんたが指示したんじゃないかともとれる」
「わ、私がミュステリオンを裏切ったと言いたいのか!?馬鹿な、有り得ない!」
「証拠でもあるってのかい?え?」
「ガジェット、貴様のその悪癖はどうにかならぬのか」

独壇場となりつつあったそこに、第三の声が入り込んだ。
大総統の一番近くに座す、総務局長にして“枢密卿”であるシェルドンである。
枢密卿とは、ミュステリオンにおける各局の中でも、大総統からの厚い信頼を受け、また最たる忠義を尽くす局長一人に与えられる称号である。
いわば、大総統の右腕とも言うべき存在なのだ。
肩に掛かる長い黒髪を鬱陶しそうに払うと、シェルドンは怪訝そうなガジェットへ煩そうに顔を向けた。

「貴様のくだらぬ戯言で、貴重な時間がなくなるであろうが」
「お言葉ですがね、シェルドンさん。これは、必要なことなんだよ。此処ではっきりさせとかなきゃ、ミュステリオンを裏切ることがどういうことなのか、分かりゃしない!」
「必要なこと?笑わせるな」

熱く語るガジェットとは対照的に、シェルドンは氷のごとく冷たい表情になる。
もうガジェットの口は止まるな、とアンリは彼を見ながら思った。
枢密卿の称号が示す通り、彼の力量は凄まじいまでにある。
いくらガジェットがマシンガントークを展開しても、この男には通用しない。
冷ややかな態度で、シェルドンは外務局長の口を閉ざすべき言葉を紡ぎ出した。

「貴様は一体、誰に召集された?此処に在らせられる総統閣下にであろう。なれば、御閣下の許可なく貴様がこの会議において主導権を握る理由が見つからない。恥を知れ、ガジェット」

一切の戯言を挟む隙間もなく、一方的に告げられたガジェットであったが、返す言葉が見つからなかったようだ。
ただ、顔面を僅かに引きつらせ、何事か言いたそうにシェルドンを睨んだ。
だが何を返そうとも、再び完膚なきまでに言われるのは目に見えている。
苦汁を嘗めさせられたような顔を作ると、為すすべもなく背もたれへ思い切り背を預けた。
その隣安心したようにアークが息を吐くと、ゆっくりと席に着いた。
アークの動きとは反対に、ルイの腕が上へと動いた。
それを目敏く見つけた総統が、ルイを見た。

「何か、ルイ局長」
「今回の事件ですが、一つ確認したいことがあります」

そうルイは告げると、シェルドンと反対側にいる女局長へ顔を向けた。

「悪魔とエドがアンソニーの館を襲った理由は先程報告したように、ある手記が発見されたためです。最近発掘された手記でアンソニーの保管室へ送ったものを、ご存知ですね?」
「いちいち覚えてませんわ、そんなこと」

つんとして言い返したボニー調査局長は、如何にも狐のような顔でルイを見やった。
それを全異端管理局長は軽く受け流し、やや悪戯っ子のような声音で言葉を連ねた。

「自分が許可したものも覚えていないとは、貴女も耄碌されたようですね」
「……なんですって」

耄碌したと侮辱の言葉を投げかけられた彼女は、酷く傷付いた顔をした。
思わず反撃の言葉を撒き散らそうとしたが、それより早くルイが口を開いた。

「アンソニーの保管室へ送るということは、アンソニーを大人しくさせるための犠牲であるということのはずです。そうしたものは、往々にして価値のないものという基準があります」

しかし、とルイはそこで区切るとやや厳しい声を作り、

「その価値のないものを、彼らは狙った…おかしなことではありませんか?」
「奴らが変わっていただけですわ」
「ボニー局長、先月でしたか?貴女のところの局員が一人、悪魔に殺されましたね?あれは不慮の事故として片付けられましたが、聞いたところによると……その局員の報告書が全て盗難に遭ったとか」
「それがなんだというんですの」

苛立ちを隠さぬ物言いでボニーは答えたが、受けたルイは僅かに口角を持ち上げていた。
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