真っ白く足元に広がったそれを、ユリアは呆然と眺めた。
今し方、ヤスが切り裂いたのは、人間の成れの果て。
だが、襲いかかってきたそれを見た時、最早それは人間の形すらしていなかった。
ただ白く、人間を大雑把に象った粘土細工のよう。

(これが、人間なの……!?)

目も口も鼻も、顔を形作るパーツは何一つなく、手はあっても指はない。
既に足はどろどろと溶けて、胴体と一体化してしまっていた。
切り刻まれたあとは、その僅かな人らしさすらなくなり、今、地面に伸びている。

「ユリアちゃん、行くっすよ」

じっと地面を凝視していた視界が揺れ、自分の体が前へと傾ぐ。
ヤスが力強く引っ張ったためだ。
ユリアはその強さに任せて、視線はそのままに、その場を離れた。
離れるにつれ、何故か徐々にユリアの進む速度は早まっていく。
え、と思うと、のっぽの彼は大股で早歩きをしているのだ。
引っ張られる勢いは止まらず、むしろどんどん加速する。
最早ユリアは早歩きを通り越して、マラソンランナーよろしく走っていた。
たまらず、ユリアは息が上がりきってしまう前に、頭二つ分高い位置にある彼を見上げ、訴えた。

「ちょ、ちょっとヤスさん!速すぎますっ」
「え、あっ!ごめんなさいっす」

漸く気付いたらしいヤスが急に立ち止まった。
おかげでユリアは、前につんのめることとなってしまった。
地面に激突する前に、さっと横からヤスの腕が伸び、優しく少女を受け止めた。
ユリアは息を整えるため、何度も肩で息をした。
ヤスはその間何も聞かずに、落ち着くまで辛抱強く待っていた。
最後の一息を長く吐き出して、ユリアは言葉を発した。

「なんで……走るんですかっ」
「あー、…」

首の後ろを掻きつつ、さっと周囲を見回すと、腰を屈めてユリアの耳元に口を寄せた。

「まず、勘違いしてほしくないんすけど、俺はあれ、全っ然怖くないっすからね?」
「…………、あ、はい」
「なんか信じてもらえてない気もするっすけど…、まぁとにかく、逃げたのは…あいつら、人がいるところに近寄ってくるからなんすよ」

そう答える間にも、ヤスの目は幾度となく周囲を窺っている。
そしてまた、異常がないことを確認すると、言葉を続けた。

「俺は何回もあいつらに遭って、その度にさっきみたいにしてきたっすけど……あいつらは、とにかく数が多い、無限っすね。そして、一匹がやられたら、まだその近くに獲物がいると思って、どんどん増えてくるんすよ」
「……じゃあ、逃げたのは、増えて来たら困るから?」
「そうなるっすね。まぁJはそしたらその分、全部倒したがるんすけどもね。俺はあんまりあいつらには関わりたくないっすから、逃げるんすよ」

そう告げるとヤスは腰を伸ばして、再びユリアの手を握って歩き出した。
え、と思うまもなくユリアはつられて前進した。
口を開きかけたが、ふと、ヤスはこのことについてこれ以上何も言いたくないのではないか、と思い至った。
そういえば、あの白い物体のことについて聞いたとき、何だか話したくなさそうだった。
だったら、何も言わない方がいいのかもしれない。
そう決めて、ユリアは何も言わずに手を引く青年に従った。
ヤスの不思議な態度から気を逸らすため、少女は辺りを見渡した。
行く先には明かり一つなく、歩くのも困難な程で、かろうじてこの暗さに慣れた目とヤスの手引きだけが頼りだ。
何もない、本当に暗闇の世界を、ひたすら進む。
何処まで行っても、夜のベールが広がっていて、手を伸ばしても掴むのはきっと闇だけだろう。
そのうちこの闇は、体の中へと浸透していき、五感を失わせ、思考も消失させて、自分という人間を呑み込んで無に還るのではないか。
そう思ってしまうくらい、暗く、どんよりと、だが静かに闇は漂っている。
それが薄気味悪くて、ユリアはほんの少し歩調を速めた。
だが、すぐにその歩みは止まる。
ヤスがまた、立ち止まったのだ。
つい先程も似たようなことがあったため、ユリアは身構えた。
だが、今度は彼は剣を抜かなかった。
ユリアと同じ瞳は、ただ真っ直ぐに一点へ注がれている。
同じように少女も見つめ、はっと息を飲んだ。

黒い闇に浮かぶ白と赤の髪の人物が、人間ではない白いそれを地面に叩き伏せていた。