(駄目だ、もっとしっかりしないと)
「坊ちゃん、聞いてる!?」
「!」

琥珀の瞳いっぱいに映し出された相棒に、マルコスはそれまで考えていた事柄全て吹き飛ばされてしまった。
ほぼ鼻と鼻が接触しそうな距離にある顔を見ると、Jの薄い眉は急な角度に吊りあがり、片側だけ覗く金の瞳には、直前まで宿っていた柔和な色は打ち消されている。
どう第三者的に見ても、彼が腹を立てているのは一目瞭然だった。
その眼力の強さに、思わず少年当主は謝罪の言葉を口にしていた。

「す、すみませんJさん…」
「全く…いくら俺が怒らせたからって、無視するのはやめてよね」
「は、はぁ」
「ほら、これ持ってしゃきっとして」
「はい……って、えぇ!?これは一体…!?」

俯いて己の爪先を見つめていたマルコスの視界に、とんでもないものが入って来た。
Jの右手には、鍔の部分に複雑な飾りのついたサーベルが一振り、抜き身の状態で握られていたのである。
なんだって自分はサーベルを手渡されているのか、いやそもそも一体何処にそんな物を隠し持っていたのかといった疑問が浮かんできたが、問い詰めている時間はなかった。
マルコスはJに再度手を引かれ、応接間から廊下へと転がるように飛び込んだためだ。
その背後、先刻封鎖した扉を蹴破ってモヒカンヘアーの悪魔が追いかけてきた。
しかも、その悪魔の後ろには、あと数名の悪魔がいるではないか。
あ、と思っている間に、目の前でJが扉を閉め、三度彼に手を引かれて廊下を走り抜ける。
ぎしぎしと軋む音も、気にする余裕がない。

「やばいね、こりゃ」

Jが誰に言うともなしに、実に間の抜けた感じで呟く。
もっと危機感持ちましょうよとマルコスは言いたかったが、言ったところで暖簾に腕押し状態なので、黙々と廊下を突き進む。
この建物の構造上、二階はコの字型をしている。
短い廊下を右に曲がれば再び長い廊下があり、その先は下り階段となっているためエントランスへ抜けられる。
このまま廊下を渡りエントランスまで抜けるのが賢明なように思われたが、Jは何を思ったか、階段に程近い場所にあった部屋へと転がり込んだのである。
猫のような俊敏さで扉を閉めると、問い掛けようとしたマルコスの口をJの手が塞いだ。
扉に背を預け、じっとその向こうの気配を窺っているようだ。
質問を禁じられてしまったマルコスは、室内の方に気を向けた。
他の部屋と違い、此処は随分と小綺麗な部屋である。
シンプルなベッドに、一人掛け用のソファとローテーブル、それらに見合ったクロークを見るに、どうやら客室らしい。
原色大好きな主も、流石に客室を派手にするという常識外れなことはしないようだ。
この際、カーペットだけがとんでもない真っ黄色だというのは、目を瞑ることにする。
そこまで確認した時に、よし、という掛け声が耳に届いた。

「ごめんね坊ちゃん、もう喋っていいから」
「はぁ……あの、何だって此処に?」
「え、撒こうと思って」
「袋の鼠じゃないかなって思うんですが」
「大丈夫大丈夫、窮鼠猫を噛むって言うじゃん!」
「……つまり、追い詰められた自覚はあるんですね」

やたらいい笑顔で答えた彼を、マルコスは半眼で見やった。
そんな目で見ないでよー、と睨まれたJは口調こそふざけた調子だったが、一応笑顔を引っ込めた。
そして、咳払いを一つすると、話を現状打開のための作戦に移した。

「別にノープランって訳じゃないよ。あの悪魔が出てきた穴の向こうに行くには、出てってもらう必要があったのさ」
「穴の向こう?」
「そ。だってあいつら、外から来たんだろ?ならあの穴を通れば、何かしら手掛かりはあるのかな、と」
「手掛かり…ああ、そうですね」

一瞬、この逃走劇のせいで忘れていたが、自分たちの目的はこの屋敷の当主を探し出し、革命の目的と成功条件を聞き出すことだ。
だから、抜け道やら隠し部屋を探していたのである。
Jのこの突飛な行動も、そのためだったのだ。
まだまだ、自分にはそこまでを見通す力が、養われていないらしい。
そこまで考えて、マルコスは心の中で頭を振った。
今は自分を卑下している場合ではない。
早くあの部屋へ戻らなくては──

「ぎゃあああああ!!」
「!?」

お互いに目配せして部屋を出ようとした瞬間、けたたましい叫びが階下から轟いた。