七章§37

マルコスが知る限り、Jの手に収まるそれは、相手と連絡を取るために使用されるものだった。
携帯電話ではなく、メッセージのみを送受信するタイプのようだ。
それを嬉々として操作し、何やら打ち込んでいるJに、その理由を聞いてはならないと、直感が指し示している。
だが、好奇心が鎌首をもたげて、マルコスの口を動かした。

「Jさん、いったい何を……」
「もう直接聞いた方が早いかなって」

とんでもないことを平然と口走る吸血鬼に、マルコスは血の気が引いてしまった。
何を聞いたのだと覗き込めば、ディスプレイには“オウエンヒツヨウ”の八文字。
勢いよく隣の顔を見れば、犬歯を零してニヤニヤ笑いを相変わらず零している。

「さて坊ちゃん、何人来るだろうね」
「Jさん……楽しんでません?」
「やだな、俺は殺しちゃった悪魔の代理を呼び出しただけさ。さ、待つ間にもう少し此処を探索しようじゃないか」

冗談めかしてそう嘯く男に、最早マルコスは呆れ果てて何も言わなかった。
やはり、彼は戦うことを心待ちにしているようだ。
自分の感性とは全くの対岸にいる彼ではあるが──、何となくマルコスは興味を抱いた。
何やら巨大な鍋を覗き込んでいるJに、少年は声をかける。

「Jさんは、どうして戦うんですか」
「……は?何でそんなこと聞くのさ?」
「いえ……その、Jさんの戦い方を見てると、なんだか凄く楽しそうだったので…」

鍋から顔を上げた彼は、猜疑心たっぷりの目線をマルコスにお見舞いする。
その目線にやや気圧されるものの、マルコスも退かずに自分の言葉を重ねた。
暫くJは黙っていたが、ぷいっとマルコスから顔を背けると、床に散らばる貴金属を弄びながら渋々と答えだした。

「…自分に向かって来るものがあるってのは、嬉しいことじゃないか。自分は、確かに此処にいて、生きてるって実感出来てさ」
「それが自分を、殺しに来るものであっても、ですか?」
「そうさ。理由は何であれ、俺という存在に価値を見いだして貰えるのなら、それは生きてる証にもなる。俺の場合、たまたま吸血鬼なんかに生まれついたもんだから、おかげでミュステリオンに追われて喧嘩ばっか強くなってしまったわけだけど」

赤と白の背中はそう語り、それ以上言葉を紡ぐことはしなかった。
先ほどから持て余している貴金属を、繋ぎ合わせることに夢中になっているようだ。
そんな様子の彼を見ながら、想像していたのとかけ離れた回答に、マルコスは肩すかしを食らった気分で突っ立っていた。
もっと血なまぐさい感じのものだと思っていたのに、何かを達観したような彼の言葉は、少年が恥いるには十分で、またしても話の続きを自ら綴ることができない。

「……なーんて、カッコつけて言ってみたけど、毎回そんな小難しいこと考えて戦ってないし、実際は坊ちゃんが指摘したみたいに、楽しんでるだけなのかもね」

そうして黙っていると、明るい声音でJが言った。
いつの間にか俯いていた顔をあげると、振り向いた彼と目があった。
にぃっと、犬歯を零して彼は笑うと、マルコスの額にこつんと拳をあてがった。
その行動にマルコスが戸惑っていると、Jがからかうような口調で、

「子どもは難しいこと考えなくていいってことさ」
「…これでも100歳越えてるんですけどね」

思わず言い返したマルコスだったが、不思議と怒りは沸いてこなかった。
彼の言葉に、気遣いが含まれているのが、よく分かったからだ。
たかが軽口ではあるが、マルコスの気持ちを軽くさせるには十分だった。
更に何かをJが重ねて言おうとしたが、規則的なメロディーがそれを遮った。
発信元は、Jが先刻悪魔から拝借した機械だ。
早速Jがメッセージを確認すると、嬉々として少年悪魔に顔を向けた。
それだけで、何となく答えにマルコスは辿り着く。

「何人ですか」
「おっ、鋭いこと聞くねぇ。人数は書いてないけど、すぐ来るってさ」

声まで弾ませてそう答えるJを見ると、やはり楽しんでいるのではないかと、マルコスはほぼ確信に近いものを感じた。

七章§38

「さて、そしたらこんなとこにいつまでもいるわけにはいかないね」
「?と、言うと……?」
「まだ見てない部屋があるよね。来るまでに先に見てしまわないと駄目じゃん」

そう言うと、Jはさっさと部屋の出口へと歩みを進める。
慌ててマルコスも踵を返し、再び廊下に出ると角を曲がり、新たな部屋の入口に立った。
立った時に、少年はこの部屋は今までのとは違うと気付いた。
この扉の向こうは、恐らく主の部屋だろう。
何故分かるのかと言われると、貴族としての勘だとしか言えないのだが。
それをそっくりそのままJへ伝えると、ふぅんと彼は感心したような声を漏らした。

「じゃ、今度は収穫ありかもね」

それだけ呟くと、Jはこれまでと同様に手早く扉を開け放った。
当然、中には誰もいない。
無人の応接間が広がっており、時間が止まったかのように、静かに沈黙している。
磨き抜かれた執務机も、上質の生地を使い座り心地のいいソファも、洒落た絨毯も、虚しくそこに存在しているだけだ。
Jはずかずかと入り、遠慮という言葉を知らないかのごとく、あちこちを調べ回り始めた。
最早それに慣れたマルコスも、一番手近にあった書棚へ近付いた。
最初に入った部屋とは違い、此処の書棚はきちんと整頓されている。
そのうちの一冊を、マルコスは引っ張り出した。
手に取り、ふと少年は首を傾げた。
分厚い本であるはずなのに、やけに軽いのだ。
不思議に思い開こうとすると、それが本ではないことにすぐ気が付いた。
外側のみが本のように装丁されているが、実際それは箱だったのである。
そっとマルコスが開けてみると、中には鍵が入っていた。

「ちょっと、何このドア。開かないんだけど」

そんな相棒の声に、マルコスは振り返った。
一頻り探索を終えたJが、別な扉を見つけたらしい。
此処が主の部屋だとすれば、寝室への扉だろう。
が、どうやら鍵がかかっていて開かないようだった。
マルコスは自分の手のひらにある鍵を見つめ、そこで初めて自分が役立てるのではと期待を胸に抱いた。

「Jさん、鍵ならありますよっ」
「え、あるの?」

今まさに蹴破ろうとしていた彼を間一髪で止め、マルコスは駆け寄って鍵穴へ差し込んだ。
手首を捻れば、かちりと、確かな手応えが伝わった。

「何処にあったの、それ」
「書棚の本に隠されてました」
「はぁ〜…ったく、何めんどくさいことするんだか…」

ぶつぶつ文句を言うJを背後に、マルコスはゆっくりと次なる部屋へ入った。
他者のプライベート空間というのは、些かマルコスには気恥ずかしい部分があったが、これも調査のためと足を踏み入れる。
そこは、思った通りに寝室だった。
それ程豪華ではないが、それでも貴族らしいベッドやインテリアが備え付けられている。

「坊ちゃんも、こんな感じの部屋なの?」
「まぁ…そうですね。でも、此処まで派手な色使いはしてませんよ」

此処の主は、やや変わっているのか、やたらと原色のインテリアばかりが目に付くのだ。
ベッドは濃い緑で、チェストは燃えるような赤、サイドテーブルはインクを零したような真っ青だし、カーテンに至っては目に痛い黄色だ。
まるで色の洪水で、こんな落ち着かない部屋で、よく過ごせるなとマルコスは感心した。
ちなみにマルコスは、亡き父の部屋を引き継いでいるため、見た目に似合わずシックな寝室となっている。

「さっきの部屋は抜け道はなかったけど…鍵を隠したりするあたり、この部屋には何かあるかもね」
「そう願いますよ」

短く会話をかわして、Jはベッドの周辺から、マルコスはその反対側から探し始めた。
目的は、この部屋から通じる抜け道なり隠し部屋を探すことだ。
それも、ミュステリオンや他の悪魔がやって来るまでに。

(……同時に来ることだけは避けて欲しいけどね)

サイドテーブルの裏を確認しつつ、Jは最悪のケースを想定した。
決してないとは言えないだけに、その場合も考えておかなければならない。
というより、もし双方が鉢合わせすれば、とんでもない事態になることも、可能性としてはあるのだ。
壁に掛けられた絵画を外しながら、自分の想像にJはぞっとした。
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