五章§24

「まぁ、そういう理由があるから、私は彼らの価値、すなわち能力も自ずと分かるのだよ」

話の終わりをそう締めくくると、彼は乾いた口内を潤そうとカップを持ち上げた。
が、その軽さに眉をひそめ、席を立つ。

「お嬢さん、お代わりは如何かな?」
「あ、私はまだ……」
「そうか、では少し失礼するよ」

そう確認すると、彼は自分のカップを持って奥の間へと向かった。
アンソニーの姿が完全に見えなくなってから、ユリアは大きく息を吐き出した。
アンソニーの話し方が原因なのか、どうにも儀式屋と対話している気がして、緊張してしまう。
強張った肩を解すように思い切り伸びをして、ふと先程の言葉を思い出した。

“私の望むものを寄越せば、願いを叶える”

アンソニーはこれを、あの男に言われたと言った。
彼の言うあの男は、儀式屋のことだろう。
しかしユリアは、儀式屋本人からこの言葉を聞いた覚えがなかった。
更に言えば、この世界に来るよりも前に聞いたように思った。
まだ現実世界にいた頃の──

「あ……」

刹那、ユリアの中で情報が繋がった。
そうだ、これは確か“都市伝説”の中に出てきた“魔術師”の言葉なのだ。

「考え事かね、難しい顔だ」

新たな珈琲を注ぎ戻ってきた彼が、ユリアの表情を見てそう感想を述べてきた。
はい、とユリアは一つ頷いてみせる。

「儀式屋さんに願いを叶えて貰った時に、言われた言葉がありましたよね」
「……私の望むものを寄越せば願いを叶える、か?」
「はい、それです。それ、何処かで聞いたなぁって考えていたんです」
「ほぅ……で、分かったのかね?」
「サンさんと契約した時に、言われたんです」
「……………あの、魔術師に?」

細いアンソニーの目が、一層細くなった。
その反応をユリアは不思議に思いながら、首肯した。
アンソニーはテーブルに肘を突き、口元に手を当てた。

「ということは……噂は、本当だったということか」
「噂?」
「儀式屋が、ミュステリオンに疎まれて目立った行動を控えているという噂だ……事実、本人がこの二十年間で他人に姿を見せたのは、君たち『儀式屋』の者たちや魔術師、女王陛下に現ミュステリオンのトップだけなどと、限られている」

黒々とした液体の上を、円を描くようにしてミルクを注ぐ。
一瞬だけ、黒は白に支配されて、次には混ざり合う。

「君のとこの主は、様々な儀式を行うための場所を提供している。そこでは、時として悪魔召喚なることも行われていると聞く」
「悪魔、召喚……?」
「ああ、極稀に、ではあるらしいが。そうだとしても、ミュステリオンにとっては、悪魔と関わっているというだけでも、厄介な相手というわけだ……だが、殊更煩くなったのは、二十年前からだ」

まだらに染まったそれを一色に統合しようと、彼は器用にカップを回す。
くるくる渦を描いて、巻き込まれていく。

「ミュステリオン統治以後、悪魔による大きな事件は殆どなかった。あっても精々檻の中で暴れていたのが関の山だ。だが、此処に来るまでに説明したように、二十年前、十六区による大事件が起こった。全てが収拾した後、それまで無視していた儀式屋の所業に対して、突然厳しくなった……大方、儀式屋が何らかの形で絡んでいると見たのだろう。全く、考えが愚かすぎて呆れるな」
「……それで、儀式屋さんは?」
「自分がしてきたことを、全て他人に受け渡した。店は確かに儀式屋名義だが、接客はしなくなった。そして君の話によれば、願いを叶えるという役目は、魔術師が代わった……私としてはあまりこの噂は信用していなかったのだが、どうやら本当に、文字通り彼は精神世界で目立たなくなったと見ていいらしいな」

半ば感心したような口調で彼は述べて、満遍なく混ざったそれを一口飲んだ。
それから、小さなエメラルドの双眼を前方の人物へ向けた。
少女は驚いたというより、より深く、何かを考えているらしかった。
暫くして、漸くユリアが口を開いた。

「ミュステリオンは、それで満足してるんですか?」
「満足?とんでもない、奴らは優越感に浸っている。厄介者の儀式屋が大人しくなった上、従えることが出来たと、喜んでいるのだ……しかしそれは悲しい勘違いだ、儀式屋がそう易々と従うことなど、まずない」
「……じゃあ何か、理由があるから儀式屋さんは……?」
「ああ…どういった理由かは、分からないがね。分かるとすれば……あの男は、誰よりも恐ろしいということだけだ」

アンソニーは肩を竦めて、珈琲を啜った。
部屋中の影が、音もなく嘲笑った。

五章§25

ぱしん。
静寂を掻き消すように、携帯電話を閉じた音が響いた。
にやりと口角を持ち上げ、室内の上方に目を向ける。
そこから弾き出した残り時間を意識すると、立ち上がり首を回した。

「さて……準備はいいかい、ダイナちゃん」
「……えぇ」

緊張した面持ちで、深くダイナは頷いた。
自分がこれからすべきことを頭の中で反芻し、真っ直ぐ男を見つめる。
アキはその視線を正面から受け止めると、指で銃の形を作った。

「もう撃鉄は上がった、後は引き金を引くだけだ」
「そうね」
「獲物を仕留められるかどうかは、銃を握った奴の腕にかかる。仕留め損ねれば、君は大切な主を獲物に喰い殺される」
「……、えぇ」

人差し指の先をダイナの額に押し当て、その意味を分からせる。
それが彼女の麗貌に、翳りを作る。
今回、もしも、は絶対にあってはならない。
昏い色をしたアメジストは、そうダイナに告げている。
そのプレッシャーに潰されまいと、強く引き結んだ唇が、白くなる。

「ま、俺様が来なくてもやり遂げようとしたダイナちゃんだ、そんな不安がることなんて、今更何もないだろ。ほーら、美人さんは笑って笑って」
「いっ……!!止めてよ、痛いじゃない!」

ダイナの両頬を指で摘むと、無理やり彼は笑みの形に変えようとした。
その強引な手法に耐えきれず、ダイナはターコイズブルーの瞳を吊り上げ、その手を叩き落とした。
が、叩かれた本人はにやけた顔のまま、彼女を見つめていた。
そして、軽くダイナの肩を叩くと、おちゃらけた声で。

「そんな強気なダイナちゃんが好きだぜ、じゃ、獲物を檻にぶち込んだ後でなー」
「ちょっ……!!」

ダイナが何事か言い返すよりも早く、アキはとびきりの笑顔を残して部屋から出て行ってしまった。
忌々しげに男の出て行った先を睨んで、大きく息を吐き出した。
切り替えなければ、と頬を叩いてから、ダイナも己が為すべきことをするため、歩き出した。



巨大なドーム型の美術館を抜け出し、久しぶりに陽の元へ出たアキは、その眩しさに目を細めた。
それは急に外へ出たせいと、“彼自身”が外界へ触れるのが殆どなかったせいだ。
その明るさに慣れるまでに、彼は最優先課題を思い起こす。

(……とにかく見付けなきゃ、話は始まらないよな)

既に悪魔たちは、この美術館の近辺で待機しているはずということだった。
残念なことに、落ち合う場所をダイナは知らないらしく、自力で探す他なかった。
だが、そう時間も掛からず見付けられるだろう、という妙な自信が彼にはあった。

(見つけたら、あとは捕まえて、ミュステリオン行きだ)

実にシンプルな作戦、だが問題は時間だ。
自分が動ける限界は、あと一時間半。
時間切れと同時に、この体は一時的に活動停止する──つまり、意識を失ってしまうのだ。
故に、それまでに自らの任務を済ませ、美術館まで戻る必要がある。
たった一時間半で、そこまで出来るのだろうか、否、出来なければならない。

打ち立てた計画を整理しながら、アキは周囲を見渡した。
美術館の入口から出てその正面、膨大な敷地を有する女王の庭が目に映る。
有無を言わせぬその存在感が、我が領地と庭先から飽和した香りを漂わせる。
成る程、悪魔たちはいい場所を取引先にしたものだ。
この辺り一帯は“女王”リベラルのものである。
当然、ミュステリオンは行動を極端なまでに制限される。
彼らはそれを知って、危険を冒してまで此処へ来たのだろう。

「……あそこから、潰してみるか」

女王の庭から視線を左へ──そこに広がるのは、太陽に照らされても拭い切れぬ影を抱えた廃墟が立ち並ぶ光景。
亡霊のように群をなすそれらは、とてもではないが、彼の限られた時間内で探し切るのは、無謀に思われた。
だがアキの様子からは、全くそんな様子は見受けられない。
どちらかと言えば、宝探しをする子供のようだ。
一度、自らが出てきた建造物を見上げる。
悪戯な猫のように笑うと、彼は己が命を果たすべく、そこへと走り出した。

五章§26

暗い照明にぼんやりと浮かび上がる美術品の数々は、静かに自ら与えられた場所に座していた。
うー……と低く唸る空調機を除けば、今この館に音という音はなかった。
耳が痛くなる程の静寂が、悠久と錯覚するほどに、長い間満たしている。
体を舐めるように空調機の音と冷気がエドに纏わりつき、彼はそれらを振り払おうと身を揺らした。
エドにとってこの屋敷は、アンソニー自慢の美術館というよりも、自己満足の集大成といった感覚だった。
価値の分かる人間が大勢いるのならば、これも意味はあるのだろう。
だが、こうした物に癒やされる人間が、この世界に何人いるというのだ。
そんな物に余裕でかまけていられる者など、両の指で足りる程だ。
この屋敷に飾られているほぼ全ての物が、エドには無価値に思えて仕方なかった。
ただし、と彼は僅かに口を歪める。
ミュステリオンの物を保管している点だけは、評価出来る。
正に今回、エドが此処へ来たのも、その唯一価値があると自らが認める場所に、用があるからだ。

「……しっかし、遅いな…」

だが、その場所に入るには、この館の主か助手の吸血鬼のどちらかが居なければならなかった。
当然、エドは吸血鬼の方を待っているわけだが、優に半時間はこの宝物庫の入口で待っている。
桜貝色をした頭の男を弔ってやれと言い出したのは自分なのだが、いくら何でも遅すぎやしないか。
一度見に行くべきか、とエドが座り込んだ状態から立ち上がろうとした時だった。

「……遅かったな」

廊下の向こうから、小走りにやって来た彼女へそう告げた。
多少、嫌みをまぶして言ってみたせいか、ダイナの顔がばつが悪そうに歪んだ。

「……、開けるから、そこを退いて」

歪んだものの、その口から謝罪の言葉は聞かれなかった。
だが、エドは特に気を悪くした様子もなく、ダイナに指示された通りに退いた。
丁度彼が座り込んでいた頭の上に、この保管庫の巨大な扉を開けるための解除キーがあるのだ。
慣れた手付きで白磁器の指がパネルの上を踊り、最後に掌が発光するそれに重ねられた。
刹那、音もなく扉が開く。

「……入って」
「了解、了解」

張り詰めた彼女の声が入室を促し、男はそれに従って中へと足を踏み出した。
ミュステリオンのこれまでの歴史が輝くそこは、やはり否応なく惹き付けられる。
出来ることならば一つ一つを見て廻りたいが、その時間は残念ながらない。
視界に入った鋭利な凶器から目を外し、待ち構える暗闇の中へ。
たった一つの緑の明かりが、二人を出迎える。
小さなケースに納められた、強大な希望を生み出すもの。

「これだ……これがあの、」
「一つ、聞いてもいいかしら」

ケースに手を付き、中にあるそれへ見入る男に、静かにダイナが囁いた。
まだ開けるつもりがないのか、彼女は両腕を組んだままである。
赤茶色の双眼がそれを捉えたが、強く詰め寄りはしなかった。
どうぞ、と首を傾げてみせた。

「何故、貴方は悪魔側に傾倒したの?」
「そんなことが気になるのか?」
「ミュステリオンを裏切る行為を働けばどうなるか、貴方自身がよく知っているはずよ。自分を殺してまで、何が貴方を突き動かしたの」
「ふん……どうして俺たちは、この世界に来たかという話だ」
「……、どういう意味?」

朧気な光に照らし出される男の表情は、何故か卑しい笑みが浮かんでいる。
彼は更に言葉を付け足す。

「俺たちは、現実世界に絶望して、この精神世界へ逃げ出してきた……それはお前も分かるだろう?」
「……えぇ」
「この世界に来る奴らは、基本的に絶望を抱いている……だがそれにも種類がある、現実世界への深い恨みを持つか、底無しの恐怖を持つか、元から狂っているかのどれかだ。俺は、恨みだ。俺を受け入れず、傷付け、拒絶する世界を、この上なく恨んでるのさ……」

現実世界への恨み言を言い募りながらも、エドは絶えず笑顔を顔に張り付けていた。

五章§27

にやけ顔の男を多少気味悪そうにダイナは見やった。
彼の癖なのだろうか、どうにも何かを謀られている気がしてしまう。
相手に分からない程度に息を吐き出し、冷静な頭を取り戻す。

「でも、貴方が属するミュステリオンは、いわば貴方が恨む現実世界を守る組織。矛盾しているわ……まさか、内側から壊そうと考えたの」
「おいおい、そんな最初から俺を悪いみたいに言ってくれるな。これでも一度は更正したんだぜ?ミュステリオンに入ったのは、俺を受け入れてくれたからさ」

軽く頭を左右に振り、乾いた笑いと共に彼はそう述べる。
真実かどうかは怪しいが、此処でごねても仕方がないので、先を促した。
促された彼は、一瞬だけ顔から表情を削ぎ落とした。

「だが、そんなものは俺の気持ちを誤魔化したにすぎない……どれだけ仕事をこなしても、現実世界への恨みは消えず、増幅する一方だった。だから、悪魔に手を貸した……それだけだ。俺らしいだろう?」

あっさりとそう告げ再び口の両端を持ち上げると、神父はダイナの反応を待つように目を細めた。
金髪の彼女は依然腕を組んだまま、ただじっと彼を見返した。
男の回答を、吟味しているのかもしれない。
やがて、すいっとダイナは視線をケースの中へ落とした。

「……過去の裏切った人たちも、そうだったのかしらね」
「まさに俺の目の前にその人がいると思うがな?ま、裏切り者を裏切ったお前は、ある意味尊敬するよ」

一際、エドの下卑た笑みが深く刻まれた。
その時ダイナは、何故彼が笑っていたのかの理由に思い至った。
実はダイナがした質問は、彼女がかつてしてきたことを、確認しているようなものである。
少し前まで同じ立場だったのに何を今更聞いているのだと、彼は嘲笑っているのだ。
だが今のダイナは、そんな負の感情を現実世界に向けることはない。

「……私には、もう分からないわ」
「ははっ、いい子ちゃんの皮を被ったって、お前の過去は消えやしないぜ?……まぁいい、さ、早く俺にくれよ」

こんこんとケースを叩き、中に納まるものを要求する。
分かってる、と言いおいてから、ダイナはポケットから指輪を出した。
アンソニーと同じその指輪を、ガラスケースの下方の窪みへ押し込んだ。
音もなくケースが開き、中身を外界へ晒す。
古びた冊子が、ダイナの白い両手により持ち上げられて──

「見損なったっすよ、ダイナさん!」

突然、目が痛くなる量の光が暗闇に差し込んだ。
隅々まで差し込む強烈な光に目を細めながら、ダイナはその声の主に問いかけた。

「ヤス……どうして此処に?」
「アキさんから、怪しい奴がいるから気を付けろって連絡もらったからっすよ」
「アキ……?ああ、もしかしてあの殺したピンク頭の奴のことか?」

警戒したようにダイナの背後から様子を窺っていた神父は、聞いた覚えのある名に反応した。
語調から、エドが笑っているのが分かる。
そんな男に対して長身の彼は、たった今出た不謹慎な単語に、表情を固まらせた。

「殺したんすか、あんたが……」
「おいおい、直接手を出したのはこっちの裏切り者の方だ。俺じゃねぇぜ?」

いつもは柔和な角度に保たれているヤスの目が、そんなものなかったかのように鋭くなっている。
そんな目が、薄い金髪の吸血鬼に向けられた。

「成る程……そういうことっすか…」

ダイナの体を貫くように睨み、何やら納得したのか唸るような声で呟いた。
それから、彼女の両手に乗るそれに視線が移る。
その行為そのものが悪であるかのように、彼の黒い瞳に憎悪が色濃く宿る。

「とにかく、それをそこから出さないで下さいっす」
「出したらどうするってんだ、兄ちゃん?」
「!!エドっ!」

ダイナの手から冊子を取り上げ、神父は挑発するように、のっぽの彼に笑いかけた。
非難するようにダイナが名を呼んだが、彼に従うつもりはなかった。
これが手に入りさえすれば、もう後はどうだって構わないのだ。
さっさと此処から抜け出したいが、丁度いいお遊びの相手が現れた。
少しくらい、遊んでもいいはずだ。

「なら、実力行使するだけっす」

ヤスの手が腰に差したそれに伸びたのを見て、エドはにんまり笑顔を深めた。

五章§28

バンクルが振動したのを合図に、ラズたち三人は場所を移動した。
限りなく美術館に近く、何かあってもすぐさま脱出可能な場所。
コンクリートの柱が一定の距離を置いて円形に何本も立ち並び、がらんとした空間へ四方八方から内へと風を吹き込む。
此処から見る限り目に映るのは、ただただ女王の庭と、天高く突き抜ける青空と、誰もいない道だけだった。
そこでかれこれ半時間、エドが持ってくるだろう物を待ち続けている。

「……一体いつまで待たせる気だってんだい」

苛立ちを隠さぬ声音で、ジルが吐き捨てた。
彼女の苛立ちの原因は待たされていることもあるが、いつ、何処から、ミュステリオンの人間が現れるか気が気でないせいだ。
この場所は、万が一に備えて素早く逃げられるようなところを選んでいる。
だがそれは、相手からの侵入も容易いというわけだ。
流石のラズもそれには同意せざるをえず、引き結んだ口を開こうとしなかった。
はぁ、と大袈裟なまでにジルは溜息を吐き、荒々しく腕組みをした。

「あたい達を馬鹿にしてるのかい、あの人間は」
「人間なんてそんなもんさ、俺たち以上に狡猾で、愚かしい生き物だ。信じる方が馬鹿を見るってもんさ」

頭の後ろを掻きながら、ジェイミーがラズに代わって口を開いた。
達観した、というより諦観したに近い彼の喋りは、ジルの心の内に芽生えた不安の芽を揺さぶった。

「でも、あの男はこっち側じゃないか」
「そうだとしても、簡単に心変わりしやがる可能性だってあるさ」
「…………」
「……お前さん、あの野郎共が来るのも気にしてるだろ?もし、あいつらが来るのを恐れてるなら……、お前さん、帰れ」
「!な、何を言い出すんだい、あんたは!?」

ジルの琥珀の瞳が、大きく見開かれた。
それまで周囲に気を張っていたラズも、ほんの少しそちらに気を向けた。

「あたいはただ、今ここにミュステリオンの奴らが来たら面倒だと思っただけで、」
「ジル、この仕事はお前さん自らが選んだ仕事だろ」
「……当たり前だ、あたいがやりたくて、選んだ仕事だよ」
「なら分かってるだろ。いいか、この仕事はいつ何が起こるか分からないんだ。もっと言えば、連絡寄越してからなかなか来ないのだって、想定内として処理すべき話だ」

長ったらしく伸びた前髪を掻き上げ、懇々と彼は説教するかのようにジルに述べた。
常はふざけている彼との違いに、ジルは呆気にとられて口を挟めない。

「それなのに、ミュステリオンが今来たら面倒だなんて……舐めてんじゃないぞ、自分の仕事」
「!」
「お前さんのすべき仕事は、そういうもんだって最初に言われたろうが。ジル、もう一度言う。自分の仕事が何か分かってないなら、さっさと帰れ」
「……、ジル!?」

ジェイミーが警告を繰り返した直後、沈黙を守っていたラズが驚愕の声を上げた。
彼女自慢の金髪が、自らが携帯していた小太刀を抜き去った瞬間に揺れる。
その小太刀はジェイミーの頭をかち割ろうと振り下ろされた。
対する彼も彼で、素早い動きでモーニングスターの継手の鎖を用いて受け止めた。
耳障りな金属音、その後すぐにけらけらと笑い声が聞こえた。
その発信源は、仲間に向かって刃を向けたジル本人からである。

「あたいの嫌な予感は、あんたにガキ扱いされるってこったろうね?」
「……ははっ、そうそう、お前さんはそうでなくちゃだ」

くしゃりと、トライバル柄が歓喜の形になる。
薄い氷が張ったような空気が融解して、何処かへ流れ去った。
やれやれ、この二人の衝突に何度ひやひやさせられたことか、とラズは思った。
そしていつも、何と面倒臭いやり方でしか、矛を収めることが出来ないのか。
よくもまぁこれまで死ななかったものだと、ラズはゆっくり溜息を吐き出した。

「……おい、ジル。お前の予感は間違ってなかったと見えるぞ」

お気に入りの帽子を深く被り直し、ラズは目を鋭くした。
彼が纏う空気ががらりと変わったのに気付き、一度緩めたそれを引き締めた。
彼に倣って、日が燦々と射す外を見やる。
数秒後、ジェイミーの足元で地面で小さく何かが弾けた。
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