瞬時にJは立ち上がろうとしたが、その時間を待ってくれるほど、ユーリは優しくない。
彼女は手に持った武器を、Jが振り向くより先に、がら空きの背に振り下ろした。

「!?」
「あらあら、危機一髪ね、Jさん」

マルコスがJの肩越しに見たのは、背面のまま短刀でユーリの攻撃を受け止めた瞬間だった。
黒く冷徹な魔杖、その先端はばちばちと火花を散らしている。

「坊ちゃん、離れて」

急な体勢のまま、Jは口早にそう告げると、短刀を握る手に力を込めて、警棒をはねのけ立ち上がる。
ちらりと視線を相棒に向ければ、笑みを引っ込めて金瞳を険しい色に染めている。
その表情から余裕がないのだと少年当主は悟り、這うようにして二人から距離を置く。

「何処に行くのかしら?」
「ユーリ、君の相手は俺だよ」

魔杖が離れたマルコスに向かうが、その矛先を剣先で弾く。
刹那、あらぬ方向に電撃が走り、直撃した壁が簡単に抉れた。
ただの電流ではないことは、一目瞭然だ。

「それに当たるなよ、対悪魔に特化したスタンガンだからね」
「あら、Jさんだって当たったら大火傷しちゃうのよ?」
「俺に当てられたらの話だろっ!!」

Jは魔杖を持つユーリの腕に向かって鋭い蹴りを放つが、彼女はそれをひらりとかわした。
そして器用に、彼女は手のひらの中で魔杖の向きを変え、強力な電撃を彼の顔に向けて流した。

「!」

Jの顔面すれすれに青白い光が走り、彼の白い髪を焦がした。
瞬時に彼は、目と鼻の先にある魔杖を奪おうとするが、ユーリの笑みが濃くなるのを目の端に捉え、罠に掛かったと気付く。
距離を取ろうとした寸前、Jは鳩尾にとんでもない痛みを感じた。

「ぐぁっ…!!」
「ふふっ、甘いのね、Jさん?」

彼女の右手には魔杖、左手には小型のスタンガンが握られ、Jの鳩尾にめり込んでいる。
体の中心から先端にかけて凄まじい衝撃が走り抜け、Jは立つことすらままならず地面に膝を着いた。
ユーリはそんな彼に微笑みかけ、優しく頬にほっそりした手を添えた。

「安心して、Jさん。貴方にはこれ以上、何もしないわ」
「やめ…ろ、ユーリ…!!」
「ああ駄目よ、無理したら。今貴方の体には、人間なら気絶するくらいの電流が流れたのよ?吸血鬼じゃなきゃ、意識があるのが不思議なくらい」

何とか引き留めようとするも、腕を持ち上げることすら出来ない。
ユーリは自ら自由を奪ったJに満足したのか、柔らかな髪を揺らして立ち上がり、マルコスを振り返った。
彼女の目的は、少年当主にあるのだ。
視界に入った光景に、しかしながら彼女は小首を傾げた。

「あらあら、これはどういうことかしら」

そこに居たのは、先程までの弱々しいマルコスではなかった。
少年当主は、サーベルを構えてユーリを睨み付ける。
その表情は張り詰めているが、それが恐怖のせいではないことは、一目で分かる。
鋼の切っ先は少しの震えも許さず、真っ直ぐに全異端管理局シスターを迎え撃とうとしている。

「七区の当主様は、腰抜けだって聞いてだけど、違ったのかしら」
「……いいえ、その通りです」

小さな声で、マルコスはユーリの言葉に答えてみせた。
だがそんな言葉とは裏腹に、その琥珀の瞳はぶれることなくユーリを映し、彼は今、七区の当主としてそこに立っていた。
彼女は柔らかく弧に描いた目を開き、魔杖をマルコスに突き付けた。

「七区は封鎖しているはずだけど、どうやって脱出したのかしら?」
「答える必要がありますか」
「お答えいただけないなら、ミュステリオンまでご同行いただくしかないわ」
「それは出来ない相談です!」

マルコスはそう言うと、サーベルを振りかざし突進した。
ユーリはすかさず魔杖から電撃を放ち、サーベルの刃が自分に届かぬように弾く。
だが、弾かれてもマルコスは、負けずにユーリへ突っ込んでいった。
それはある意味、無謀にも思える戦法だ。
彼女の懐に入ろうものなら、あの魔杖の餌食にされ、それをかわせてもJを沈めたスタンガンが待ち構えている。
彼女に膝を着かせるには、戦闘に不馴れな今のマルコスでは、正攻法では勝てない。
それでも正面から立ち向かうのは、少年の中であるひとつの覚悟が定まったためだ。
その為なら、少年は、突き進むしかない。

「たぁああ…!!」
「残念ね、当主様」

そんな少年の刃を、ただ立ち尽くして、待ち受けるユーリではない。
凶刃が届く前に、彼女は少年の胴体に電撃を食らわせる。
それを白刃で防ごうとするが、やはりマルコスの速さでは追い付かず、電撃が全身を貫いた。
悲鳴をあげる間もなく、少年の意識はそこで途切れた。
ユーリは魔杖を下ろし、地に倒れ伏したマルコスの側にしゃがみ込む。
暫く観察し、完全に意識が途絶えたことを確認すると、彼女は胸元の通信機に手を掛けた。

「……、あら」

だが、彼女の手は通信機に届かなかった。
手首を、自分の背中から伸びた手に力強く握られているせいだ。
彼女はその手を凝視しながら、背後の人物に問い掛けた。

「驚きだわ、Jさん。こんな短時間で回復できるなんて」
「ユーリ、退け」
「何故?」
「退け」

より握られた手に力が込められ、ユーリの細腕は骨がぎしぎしと悲鳴をあげる。
それでも彼女自身の口からは、少しも悲鳴はあがらない。

「貴方の雇い主が、絞首台に登ることになるわ」
「そりゃ好都合だ」
「七区の哀れな当主様に、どれだけの価値があるのか興味があるけど、意地悪な貴方は、きっと教えてくださらないでしょうね」
「分かってるなら、そこを退け」
「駄目よ、私へのご褒美が何もないわ」

此所が戦闘の真っ最中ということすら忘れてしまうように、ユーリはのんびりとした口調だ。
対するJの表情は硬く、普段の彼からは想像しがたい様相だ。