液体のように広がった白いそれは、もうぴくりとも動かない。
しかし、ツートーンカラーの髪を鬱陶しそうに掻き上げた彼は、まだ警戒を緩めていなかった。
むしろ、闇の中で少しでも何かが動き出せば、瞬時に反応できるように、先程以上に感覚を研ぎ澄ませる。

そのまま、一秒、二秒、三秒……

「!」

一瞬にして、Jは闇の中から飛び出してきた何かに、強烈な蹴りを叩き込み、その衝撃で倒れたそれを地面に縫い付けた。
ぎりぎりと首を締め上げながら、Jは目を細めて尋ねる。

「悪魔がなんでこんなとこにいるのか、説明してもらおうか」

見つめた先の瞳、それは闇夜でも分かる程の黄色の瞳だ。
その目が、弧を描いた。

「これはこれは……儀式屋の吸血鬼殿。もう理由はお分かりなのでは?」

嫌みなくらい慇懃な悪魔は、苦しそうに呼吸しながらも答えた。
首もとを締め上げたまま、Jはふんっと嘲笑った。

「俺の知り合いは悪魔街に詳しい。君の体くらい、すぐに見つかるぞ」
「おぉ、怖い怖い。別に吸血鬼殿には関係ないことよ」
「儀式屋が留守の今、俺があの店の主だ。理由を答えろ」

Jの手にいつの間にやら握られたナイフが、琥珀の瞳の真ん前に突き立てられる。
だがそれでも悪魔の表情は変わらない。

「この体を壊せるとでもいうのかな」
「答えろ」
「!」

そこで初めて、悪魔の表情が破られた。
琥珀の瞳には、今、二つの色が見えている。
一つは、月の色をした黄金の瞳。
もう一つは、どこかで見たような血のように赤いルビーの瞳だ。
悪魔は乾いた笑いを浮かべた。

「なるほど……、吸血鬼殿は侮れないらしい」
「答えろ」

多少悪魔は空気を和らげようと努めたらしかったが、本気の相手にそれは通用しなかったらしい。
これ以上ふざけていては、本当にこのよりしろの体ごと破壊されてしまいそうだ。
悪魔は大人しく口を割った。

「貴殿を待ち伏せたわけではありませんよ?ただ、我も久方振りの精神世界、己の体が気になったのです」
「君の主人は優しいんだな」
「優しい?いえ、いえ、違いますよ吸血鬼殿。あれは生温いのです、青二才なのです、偽善者なのですよ」
「そんな輩が、君を呼び出したのか」
「えぇ。そしてこの我が、貴殿の店に出向いたのですよ」
「目的は」
「代わりに我の名を答えましょう、我はフェイ。止めたければ我の体を探してとどめを刺すなり、我から召喚者を辿られなさい」

琥珀の瞳は挑戦的に二色の目を見返した。
Jもその視線を正面から受けて、決して逸らさない。
暫く睨み合ったまま、ただ時間ばかりが過ぎていく。
……やがて、ルビーの輝きは色褪せていき元の月の煌めきを宿し、首を締め上げていた手が緩められた。
その行動に、フェイは笑みを浮かべた。

「逃がしていいんですか?」
「儀式屋の代理とはいえ、儀式屋の命令なしにはこれ以上動けない難儀な契約があるからね」

ふんっと鼻を鳴らし、Jは悪魔の上から退いた。
対する悪魔は笑みを絶やさないで起きあがると、Jへ向けて銃を模した指を突きつけた。

「例え、死ぬような場面でも?」
「何、俺と殺り合いたいわけ?」

眉間に皺を寄せた彼に、フェイは面白そうに左右に首を振った。

「とんでもない」
「ならとっとと失せることだね」
「そうしましょう。そして貴殿も早く帰られることをお勧めしましょう」
「言われなくてもね」
「おや、きちんと意味は分かってらっしゃいますかな?」

意味深な問いかけをしたフェイを、Jは不可解な表情で見つめた。
彼は、にんまりと笑みを深める。

「大切なものが、壊れてしまいますよ」
「!?あんたいったい…!」

詰め寄ろうとした前に、悪魔はぱちんと指を鳴らすとぐにゃりとその体を歪めた。
ぐるぐると中心から渦巻いていき、徐々にその体は小さくなる。
そして、姿が完全に消えてしまう前に、一言だけ呟かれた。

「今宵、彼らは肉に飢えすぎているようですから」
「!!」

その一言、それを聞いた途端にJの体は条件反射のように動き、その場を目にも留まらぬ速さで走り去った。