──そうして女王がユリアを案じる現在から、四日前に話は遡る。



儀式屋から命令されたそのすぐ後、Jは隣に暮らすミシェルを訪ねた。
ミシェルたち“女王の駒”は、常にミュステリオンに対して警戒を怠らないが、同時に悪魔たちに関してもそうだ。
悪魔の行動一つが、女王たるルールを脅かしかねないとなれば、彼らは実力行使するのだ。
ゆえに、悪魔街の状況はミシェルたちに聞けばほとんど正確といえる。
潜入するにあたってJは、まずはミシェルに今の二区の状況を聞いておこうとしたのだ。

「Jー、俺はあんまりおすすめしないぞー?」

Jからの話を聞いたミシェルは、開口一番そう言ってきた。
部屋一面真っ赤で埋め尽くされた中、彼は紅蓮のジョッキとビール瓶を持って現れ、やはり濃厚な赤の机に置いた。
瓶を傾けて注がれるものを眺めながら、その言葉にJは眉を寄せる。

「なんでだよ」
「いや、さっきJさー、自分で言ったよなー?二区で、何があったか」
「だから馬鹿悪魔が逃げ出したんだろ?それがなんだよ」
「だからさー、ミュステリオンが二区を徹底的に聖裁し始めるの、目に見えてるだろー?」

はぁ、とJは盛大な溜息を吐いた。
いったいこの男は、何を考えているのか、そんなことは百も承知なのだ。
それを理由に己の主人が撤退せよというわけもない。
だからなんだ、と問い返せば、ミシェルは一瞬言葉を無くしたように口を開閉させた。

「……もーJさん怖いってー…何なの?ミュステリオンだよー?しかも聖裁だよー?」
「こちとら慣れてるっての、ムカつくけど」
「……まぁもういいや。で、まぁさー、うちからも何人か送り込んでてー、あの事件起こる前の状況としてはー、とにかく手が着けられない?みたいなー」

最早諦めたかのようにミシェルは話し出した。
その口調からはおよそ危機感といったものは伝わらないのだが、実際に彼が話していることは、そんなのんびりとしてはいられないようなものだ。
それを吸血鬼である彼も感じ取ったのか、やや渋い顔で言葉を返した。

「どういう意味?」
「もういつでも準備出来てるってわけさー。何かのきっかけさえありゃ、あいつらは動き出すってーわけ!言っとくけど、これは二区ばっかりじゃないぞー」
「ああ……それはアキちゃんから聞いたし、俺も七区でマルコス坊ちゃん助けた時にそう感じた。ってことは、特別に二区がひどいっつーわけじゃないんだろ?」

そう尋ねれば、そういうことだなー、とミシェルは頷いた。
そして、ジョッキを呷るとやや偉そうにふんぞり返ってこう告げたのだ。

「今じゃ半分以上、革命派で埋まってるんさー。一つが失敗すりゃ、次の区がする。今回は二区、前回は七区……その前はこれだっていうようなものは確認出来てないけど、絶対あるだろうなー」
「……ならその次はどの区になる?」
「おいおい、俺は預言者じゃあないぞ?」
「規則性はないのか?」
「規則性なんか分からないけど、適当って訳でもないなー。唯一知る方法はあるぜー?」

にやりとミシェルは笑った。
Jはその笑顔に、嫌そうな顔を返した。
この男の笑顔は、よくないのだ。
女王の駒である彼は実にこの世界、特に悪魔街の内情に精通している。
だからその男が悪魔街に関して笑うとき、非常に厄介な事柄であることは確かなのだ。
不服そうな顔のJに、ミシェルは軽く肩を小突いた。

「大丈夫だってー。二区の貴族の屋敷に入り込んだらいい、近いうちに会合が開かれてそこで次の区が決まるってわけさー」
「……、馬鹿?」
「失礼すぎるなーもー!簡単だってー」
「いやどこが!?貴族の屋敷とか何言ってんだよっ!んなとこ入ってみろ!夏の虫でももっとましなとこに飛び込むだろうよ」

はっと鼻で笑うと、注がれていたビールをぐいっと飲んだ。
口内に一気に苦味が広がり、それが自分の今の気持ちと同化しているようで、ますます気持ちが荒だった。