六章§11

もはや沈黙しか残らぬ室内に最後まで残っていたのは、ルイとアンリである。
双方共に何やら考え込むような顔で、会議が始まった時と同じ姿勢のまま暫く微動だにしなかった。
呼吸すらも、室内を漂う沈黙が食らってしまい、そのまま二人までも飲み込んでしまいそうだった。
だが、沈黙に囚われる前に、アンリがそれを破壊した。

「局長、宜しかったのですか」
「……えぇ、構いませんよ。後で、報告書として総統に出すまでです」
「ですが、この場での発言であるからこそ、“あれ”は重みを増すものかと」
「枢密卿が早急に会議を切り上げたのですから、仕方がないでしょう」

アンリは依然として不服そうな眼差しを送るが、諦めて彼の言うことに従ったらしく、一つ首肯した。
口元を弧に描くと、ルイは漸く立ち上がった。
軽く首と肩を回して、緩やかな出口へと歩き出す。
アンリもそれに倣い、更にルイより先回りすると扉を開いた。
そして開いた瞬間、顔には出さないまま、開けなければ良かったと後悔した。

「よぉ、機械野郎。もう少し、人間らしい表情でも作ったらどうだ?」
「貴方には、関係ない」
「ガジェット局長、盗み聞きとはよいご趣味ですね」

いきり立つアンリの肩にルイが手を置いた。
アンリはそれ以上言葉を紡ぐのは止め身を引き、ルイより一歩下がる。
ガジェットの好奇の目が、布の向こうにあるルイの両眼を見た。
にやりと口角を持ち上げ、彼は口を開く。

「いやぁ、わりぃなぁ、ルイ。ちょっと腹が痛かったもんだから、此処で休んでてな。そしたらたまたまってわけよ」
「そうでしたか、では救護班を呼びましょうか。ドクター・ランディが、健康な人間をこないだから欲していましてね」
「ははっ冗談きついぜ、ルイ。俺とお前の仲じゃねぇかよ」

と言いつつ、ルイの腕を軽く叩こうとした手は、素早くアンリが突きつけたダガーナイフにより阻まれた。
ガジェットの目線が、ちらりと無機質な顔をした男へ注がれる。

「触るなってのかい、え?」
「我々は貴方と油を売ってる暇はない」
「ひでぇ言い草だ、枢密卿のこと邪魔に思ってる割に、お前はあいつと気が合いそうだな」
「生憎ですが、いくら挑発しても、貴方が欲しいものは出ません」
「何かい、俺がそんな物欲しそうに見えるってのかい」
「ガジェット局長、いいことを教えてあげましょう」

いよいよもってして、ガジェットをこの世から切り離しそうなアンリを制し、ルイが口を開いた。
よろしいですか、と前置きをしてから。

「必要以上に嗅ぎ回ると、身を滅ぼすこともあります」
「ご忠告どうも、だが俺には関係ないね」
「……貴方は、ご自分の立場が余程分かっていないらしい」

やれやれと首を左右に振ると、アンリをやや振り返った。
それが合図だった、とでもいうように、副局長の左手が閃いた。

「、っ!?」

白刃が、ガジェットの頬を抉り取った。
ぱっと裂けた傷口から、みるみるうちに赤い鮮血が浮き上がる。
一瞬、両目を見開いたが、すぐに笑いを浮かべた。
若干傷口が痛むらしく、歪な笑みではあるが。

「そういうことかい、あんたも怖いことする野郎だ」
「おやおや、それを教えてくれたのは、貴方ですよ?」
「!」

ルイの右手が、ガジェットの顔を鷲掴みした。
覆い隠された目が、獲物の目を覗き込む。
上品な笑みを浮かべる口が、毒蛇の如く開かれた。

「ただでさえ盲目となり絶望した私を、更に貴方は地獄の底まで突き落とした」
「おいおい、今更恨み言かよ」
「いいえ、感謝を述べているのですよ。貴方のおかげで、私は今の地位を与えられたのですから」

謝辞を述べているが、決して本心からでないのは、その場にいた者ならば、誰でも感じ取れたろう。
ガジェットは、今度こそ口を挟まなかった。
ルイは暫くそんなガジェットを真顔で見ていたが、やがて興味をなくしたかのように、手を離した。

「ガジェット、いずれ分かることです。私はその判断を総統に任せたい、それだけです。ですから、今回は諦めて下さいね」
「……言われなくても、そうするさ」
「貴方がその程度に物分かりがよくて助かりました。アンリ、行きますよ」

最後にとびきりの微笑みを向けると、くるりと背を向け歩き出した。
アンリは暫くガジェットを睨んでいたが、ルイが角を曲がる前には追い付こうと走り出した。
全異端管理局の人間がいなくなった廊下で、ガジェットは頬を伝う血を拳で拭い、忌々しそうに舌打ちを一つした。

六章§12

──…外で待機していると言って、小姓は静かに豪奢な扉を閉めた。
一人きりになり、そこで漸く総統は大きな溜息を吐き出した。
とっくに気分の悪さはなくなっていたが、どうにも気持ちがまだ浮ついている。
なんとか落ち着けようと、彼は見慣れた自室を見渡した。
流石はミュステリオンを統べる男の部屋だ、そこかしこに贅沢品が並べられている。
いつもであればそれらに囲まれているうちに落ち着くのに、未だ胸の内はざわついていた。
理由は痛いほど分かっていた、分かっていたのだが、認めたくなかった。
何故自分が、無意味にそわそわしてしまうのか──

「私はそんなに落ち着かない存在なのかね」

その、闇を多分に含んだ声は何処から聞こえたか。
室内の何処を見渡しても、声の主は見つからなかった。
だが、総統は驚きはしなかった。
分かっているのだ、声の出所が何処であるのか。
猛禽類に似た瞳を、眼下に伸びる自分の影に落とした。

「自分の中にお前がいると思えば、誰でも落ち着かないだろう」
「ああ、失礼」

影はそれはそれは可笑しそうに言うと、総統の影からその姿を現した。
だが姿を現したところで、それもまた闇に近い色合いをしている。
目の前に、突然闇が広がったのかと勘違いするほどだ。
唯一はっきりしているのは、死者の色をした男の顔だ。
その顔には、薄ら笑いが貼り付けられており、至極機嫌が悪そうな総統に向けられた。
だが、そんなものは見えないかのように、実に恭しく儀式屋はお辞儀をした。

「ご機嫌如何かな、ハワードZ世」

やけに赤い唇が、そんなことを紡いだ。
そう呼ばれた総統は、ますます顔をしかめた。
そして、鋼鉄にも似た声音で、儀式屋へ返すべき言葉を口にした。

「私をその名で呼ぶな。私はミュステリオン総統クロードだ」
「そうかね?どちらも貴方に変わりないがね」
「ものを縛る名はいくつもある、だが中でも一番効果的に縛れるのは、そのものの魂に刻まれた名だと、お前が私に言ったのだろう」
「ふむ、貴方は私に縛られるのが余程気に食わないのだね」

特に気分を害したでもなく、あっさりそう言ってのけた。
そして、眼前の男から目を外すと、周囲を見渡した。
翡翠と純白の市松模様の絨毯の上を、黒い影が移動していく。
壁に飾られた悪魔を拷問にかける醜悪な絵画を眺めながら、儀式屋は口を開いた。

「まずは非礼を詫びよう、会議の途中だったようだね」
「ああ、そうだ。そこまでして私を呼び出した理由を問いたい」
「理由?はて、貴方は察していると思ったがね、ハワード」
「その名で呼ぶなと言っている」

じわじわと、ハワードの怒りが沸き上がってきたのを感じたのか、儀式屋は喉の奥でくつくつ笑った。
すまないねクロード、と言って儀式屋は続けた。

「単刀直入に言おう……手記のことで、少しね」
「……アンソニーの館に送られたもののか」
「ああ。此処へ来る途中、寄り道して“読んできた”のだがね……あれは、あってはいけないものだ」
「というと?」
「守りの詩が書かれ、あまつさえ解読されている」
「!?」

初めて、ハワードの両眼が驚愕に見開かれた。
予想だにしていなかったのだろう、息をするのも忘れたかのように、固まっている。
儀式屋は何もかも見透かしたような瞳でハワードを見据える。

「エドだったかね、彼が手記を狙ったのはそういう理由から、なのだろうね」
「ならば、早急に回収をせねばならん」
「アンソニーが手放すと思うのかね?むしろ、彼が預かっている方が安全だ、彼ほど物に固執する男はいないからね」

それにだね、と間髪おかず儀式屋は続ける。

「内部に置く方が危険だ」
「……エドのようなやつが、他にもいると?」
「可能性はなきにしもあらず」
「馬鹿な、有り得ない!」

ハワードは鋭い一声を放った。
鷹の目で闇色の男を、射抜くかと思うほどの視線を向ける。
だが、それにも儀式屋はうっすらと笑ってみせるだけだった。
まるで、違うと駄々をこねる子供を、面白おかしくからかうかのような顔だ。

「ハワード、貴方の鷹の目は何が見えるのかね」

皮肉を満遍なくまぶしたような言葉と笑みは、憤怒に顔を歪めた男に向けられた。

六章§13

「……お前の要求は何だ」

かなりの間を置いてから、ハワードは重々しく口を開いた。
あまり自ら聞きたくはなかったようだ。
くつくつ、意地悪いと言えそうな儀式屋の昏い笑いが、部屋中に漏れる。
闇を引き連れた彼は、愛らしい天使の置物を手に取りつつ、質問の答えとは違うことを口にした。

「……ハワードT世は、現実世界では落ちぶれくすぶった神父だった。神の僕であるにも関わらず、彼の内には常に戦と、血と、混沌が渦巻いていた。現実世界へと悪魔が侵出しそうだったこの世界を鎮めるには、私は彼が適任だと思ってね」
「……………」
「私の呼び掛けに答えた彼に、力を与えた。彼は天才だった、与えられた力を見事に使いこなした。そして戦争が集結した後、彼は共に戦った者たちと自分たちが生きていける意味を見いだせる機関を創った、それが」
「ミュステリオン、今はこの私が統べる精神世界の安寧秩序と世界の均衡を維持する機関だ」

儀式屋が述べるより早く、ハワードの声が被さった。
天上の愛を語らう天使から、悪魔を管理する統治者へ、血色をした瞳が動いた。
腕組みをして睨んでくる男は、先を急かすように爪先を地面に打ち付けている。
それを儀式屋は認めたが、特に何のアクションも起こすことなく先のように話を続けた。

「私は彼がミュステリオンを設立した時、ある約束をした。決して、悪魔全てを根絶せぬようにと。それは世界の奇妙に成り立ったバランスを、破壊することに変わりないことなのだからね……だが、その均衡が崩れ出している、こんな具合に、ね」

闇を模した男が手に持つ天使は、見る間に砂塵へと化していく。
死者の指の隙間から、天使だったものが後から後から零れ落ち、足元に残骸を撒き散らす。
それをハワードは怒るでもなく悲しむでもなく、ただ見つめていた。
そして、跡形もなく消え去った後、再び儀式屋は尋ねた。

「Z世、転がる石を止めるのは、君は可能だと思うかね」
「……そのために内部調査しろという要求か?」
「そうではないよ、ハワード」

違うと首を振り、儀式屋は答えを紡いだ。

「要求はしていないのだよ、私は。ただ、警告をしに来ただけなのだよ」
「……警告?」
「貴方は信じたくないようだから、エドのような輩が他にもいると仮定しよう。そして悪魔たちも、どうやら大人しくしてるつもりはなくなってきている……つまりだね、そろそろ覚悟の時なのだよ」
「……………」

ハワードは何も言い返さなかった。
限りなく表情はない、だが何故か、それまであった若々しさが消え失せ、年老いた顔立ちに見えた。

「貴方がトップに立った時から、このことは決まっていた」
「いったい誰が決めた」
「さてね?ただ言えるのは、先代トップがここ何年かで立て続けに死んだために、貴方のところまで来たというわけかな」

一層、能面に刻まれた笑みが深まった。
獲物をいたぶるようなそれは、否応なくこちらの不安を煽り立てるには十分だった。

「それが、私の定めだと?」
「良いではないか、自分の行く末が分かる者などこの世には一握りだ。貴方は感謝せねばならんのだよ」
「ふざけるのも大概にしろ!」

一喝、そして彼は部屋の奥へと走り出した。
儀式屋は追わずに、ただ真紅の瞳を眇めただけだ。
緑と白の絨毯を蹴り付け、黒檀の棚に飾られていた砂時計に手を伸ばした。
手に有り余るほどの大きさのそれは、上下に球形をしたガラスが真鍮で出来た枠に嵌められ、その中にはダイヤモンドのような砂塵が収められている。
だが、その自然なはずである流れは止められていた。
ほんの一掴みのダイヤモンドの欠片だけが重力に従っているが、それ以外は全く落ちそうにないのだ。
ハワードはそれを儀式屋へ見せ付けるようにして、上へと掲げた。

「これでも私の定めが変わらないというのか、儀式屋」

ハワードは儀式屋を見据えたまま、ゆっくりと上下を反転させようとした。
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