「……お前の要求は何だ」

かなりの間を置いてから、ハワードは重々しく口を開いた。
あまり自ら聞きたくはなかったようだ。
くつくつ、意地悪いと言えそうな儀式屋の昏い笑いが、部屋中に漏れる。
闇を引き連れた彼は、愛らしい天使の置物を手に取りつつ、質問の答えとは違うことを口にした。

「……ハワードT世は、現実世界では落ちぶれくすぶった神父だった。神の僕であるにも関わらず、彼の内には常に戦と、血と、混沌が渦巻いていた。現実世界へと悪魔が侵出しそうだったこの世界を鎮めるには、私は彼が適任だと思ってね」
「……………」
「私の呼び掛けに答えた彼に、力を与えた。彼は天才だった、与えられた力を見事に使いこなした。そして戦争が集結した後、彼は共に戦った者たちと自分たちが生きていける意味を見いだせる機関を創った、それが」
「ミュステリオン、今はこの私が統べる精神世界の安寧秩序と世界の均衡を維持する機関だ」

儀式屋が述べるより早く、ハワードの声が被さった。
天上の愛を語らう天使から、悪魔を管理する統治者へ、血色をした瞳が動いた。
腕組みをして睨んでくる男は、先を急かすように爪先を地面に打ち付けている。
それを儀式屋は認めたが、特に何のアクションも起こすことなく先のように話を続けた。

「私は彼がミュステリオンを設立した時、ある約束をした。決して、悪魔全てを根絶せぬようにと。それは世界の奇妙に成り立ったバランスを、破壊することに変わりないことなのだからね……だが、その均衡が崩れ出している、こんな具合に、ね」

闇を模した男が手に持つ天使は、見る間に砂塵へと化していく。
死者の指の隙間から、天使だったものが後から後から零れ落ち、足元に残骸を撒き散らす。
それをハワードは怒るでもなく悲しむでもなく、ただ見つめていた。
そして、跡形もなく消え去った後、再び儀式屋は尋ねた。

「Z世、転がる石を止めるのは、君は可能だと思うかね」
「……そのために内部調査しろという要求か?」
「そうではないよ、ハワード」

違うと首を振り、儀式屋は答えを紡いだ。

「要求はしていないのだよ、私は。ただ、警告をしに来ただけなのだよ」
「……警告?」
「貴方は信じたくないようだから、エドのような輩が他にもいると仮定しよう。そして悪魔たちも、どうやら大人しくしてるつもりはなくなってきている……つまりだね、そろそろ覚悟の時なのだよ」
「……………」

ハワードは何も言い返さなかった。
限りなく表情はない、だが何故か、それまであった若々しさが消え失せ、年老いた顔立ちに見えた。

「貴方がトップに立った時から、このことは決まっていた」
「いったい誰が決めた」
「さてね?ただ言えるのは、先代トップがここ何年かで立て続けに死んだために、貴方のところまで来たというわけかな」

一層、能面に刻まれた笑みが深まった。
獲物をいたぶるようなそれは、否応なくこちらの不安を煽り立てるには十分だった。

「それが、私の定めだと?」
「良いではないか、自分の行く末が分かる者などこの世には一握りだ。貴方は感謝せねばならんのだよ」
「ふざけるのも大概にしろ!」

一喝、そして彼は部屋の奥へと走り出した。
儀式屋は追わずに、ただ真紅の瞳を眇めただけだ。
緑と白の絨毯を蹴り付け、黒檀の棚に飾られていた砂時計に手を伸ばした。
手に有り余るほどの大きさのそれは、上下に球形をしたガラスが真鍮で出来た枠に嵌められ、その中にはダイヤモンドのような砂塵が収められている。
だが、その自然なはずである流れは止められていた。
ほんの一掴みのダイヤモンドの欠片だけが重力に従っているが、それ以外は全く落ちそうにないのだ。
ハワードはそれを儀式屋へ見せ付けるようにして、上へと掲げた。

「これでも私の定めが変わらないというのか、儀式屋」

ハワードは儀式屋を見据えたまま、ゆっくりと上下を反転させようとした。