「リヒャルトさんって、凄い方なんですね……やっぱり、元々完璧な人だったんですか」

ジェシカの尊敬の意が籠もった言葉を聞いて、ユリアはそう返した。
が、ジェシカはくすっと笑い、首を横に振った。

「確かに凄い人だとは思います。ですが、最初からそうではなかったみたいですよ」
「え……」
「詳しくは本人にお聞き下さいませ。これ以上言ってしまうと、私が彼に怒られてしまいますので」

ふわりと微笑むと、彼女はそれきりその話題をしなかった。
その後はジェシカはユリアの着替えを用意し(今日はモスグリーンを基調にしたストライプ柄で、パフスリーブのワンピースだ)、朝食の準備が整っていることを告げると退室した。





「ユリアはどう?」

紅茶の柔らかな香りを楽しみながら、女王たる彼女は執事に尋ねた。
彼女の部屋に摘みたての花をいけていた白髪の執事は振り返り、ほんの眉尻を下げて答えた。

「……まだもう少し、落ち着かれてはおられないと思います」
「可哀相な子。あの人はユリアから全てを奪って、まだ取り上げようとするのですわ」

女王は眉を潜めて、温かな紅茶とは真逆の、冷たい響きを持った声を放った。
その矛先は、今はこの場にいないユリアの雇い主に対してで、珍しく彼女は彼に腹を立てていた。
理由は簡単だ、ユリアを虐げるような扱いをしたからだ。
女王にとって少女は、この世にまたとない宝石のような大切な存在だった。
その少女が常に自分の手元にいるのは、とても気分が良かった。
が、来た理由があまりにもあんまりな内容だったため、彼女は頭に来てしまったのである。

「人はね、リヒャルト、誰かに必要とされるから生きていられるものよ。あの子は現実世界に二度と戻れない選択をした、だからもう、あの人の店しかないの。なのにそれすら奪われたら、あの子はどう生きればいいの?」
「……あの方もお考えがあってのことと、私は思いますが」
「えぇ、えぇそうよ。その通りよリヒャルト。彼はいつだって最良の選択をしてきましたわ。ですけれども、それは誰のため?全ては彼自身のためですわ、一度だって誰かのための選択はしていませんのよ」

きっぱりと言い切って、彼女は紅茶を一口呷った。
やや冷めて苦味が増したそれに、顔をしかめる。
儀式屋が今日に至るまでしてきたことを、彼女は全て知っている。
それこそ、“何もかも”だ。

「魔術師はよく彼を優しくないと形容しますけど、そこだけはわたくしも同じよ。ただ、それがたまたま誰かのためになってしまうことが多いから、優しいと勘違いする子が多いのですわ」

まだ中身が残るカップをリヒャルトに渡しながら、女王はそう締めくくった。
リヒャルトは女主人のやけに強い物言いに、僅かに間を置いたあと、口を開いた。

「ならば何故、引き受けられたのです?」

彼の問いかけに、女王は片眉を跳ね上げた。
リヒャルトは更に言葉を重ねる。

「陛下は、あの方が何らかの利己的な目的の為だけに、ユリア様をこちらに留まらせることを、お許しになられました。それは、なにゆえでしょう?」

彼女が今まで述べたことは儀式屋への批判である。
だが、そこまで言っておいて、彼女はユリアが留まることを許したのだ。
許すということは、彼の横暴とも取れる行動を、肯定したということにもなる。
この矛盾はいったいどういうつもりか、とリヒャルトは問いかけたのだ。
真紅の女王は、長い髪を後ろにはねのけて答えた。

「あの人はわたくしが最早ユリアを見捨てられない気持ちを知っているのよ。そこに漬け込んで、ユリアを押し付けたのですわ……本当に、狡い人よ」

狡い人、と彼女は言い放ったが、先程のような剣幕は既になかった。
儀式屋が彼女の庇護欲にも似た気持ちを熟知しているように、女王も彼の狡猾さを把握している。
それをお互いに利用し、時に相手を出し抜き、時に引いてみたりして、関係を構築してきた。
だから彼女は、儀式屋の頼みごとを引き受けたのだ。
アイスブルーの瞳を伏せて微笑を浮かべた彼女に、リヒャルトは問いを重ねることはしなかった。
一言、左様でございますか、と静かに返した。