尋ねられたリヒャルトは、ユリアの意図するところを汲み取り答えた。

「精神世界に生きる者だからといって、死なない訳ではありません。ただ、老いることはないので、致命傷に至らなければいつまでも生き続けます。ですが、致命傷というのは、身体的なものだけではありません」
「他にもあるのですか?」
「この世界は、精神世界なのです。ユリア様は精神体という特別な御体ですが、この世界に生きる者も、多少なりとも影響を受けるものなのです」

僅かにリヒャルトの表情に翳りが見える。
あまり、望ましい話ではないのだ。
それもそうだ、早朝の清々しいはずの時間帯に、こんな後ろ向きな話をしているのだから。
それでもユリアは、聞かなくてはならなかった。
知らないことが多いことは、もう、嫌なのだ。

「この世界は、生きる理由を無くした時に、刃向かってきます。だから、決して己を見失ってはいけない。己を見失えば、できそこないになってしまうのです」
「……できそこない、に」

白い、人とは言えないあれを思い出し、ユリアは身震いした。
一度だけ遭遇したが、あの異常な気配は忘れられない。
人ではなくなったのに、人でありたいと願い、人に仇なす存在。
いつだったか、ヤスもそう言っていた。
あれは、関わってはならない存在なのだから。

「……ユリア様、此処にいらっしゃるうちは、いくらでもその存在意義を問われても結構です。悩んで悩んで、貴女様が納得いくまで、答えを追い求めてください。しかし、此処より外へ出たときに、確かな理由を持てなければ、たちどころに貴女様は消えてしまいます」
「!」

リヒャルトの言葉に、ユリアは息を飲んだ。
迷いを見抜かれていたことへの驚きと、そしていつもより厳しい声音だったからだ。
琥珀の瞳が強くユリアを見据えるが、瞬きをした間にそれは消え去った。
柔らかな日溜まりのような眼差しが、優しくユリアに注ぐ。

「今の貴女様は、深い霧の中をさ迷っていらっしゃる。陛下もそのことを案じて、日々祈っておられます。ユリア様が歩むべき道を見つけられるように」
「……リベラルさんが……」

赤い紅いあの人が。
厳しいようで、実は優しい女王が。
自分を思い続けてくれていることの、なんと有り難く、そしてなんと苦しいことか。
全て見透かされているのに、何も答えられない自分が、歯がゆくて堪らない。

「……さて、執事風情が少々出すぎた真似をしてしまいました。数々の無礼をお許しください」
「あ…」
「まもなく陛下が起床されますので、失礼いたします。ユリア様も、朝食までにはお戻りくださいませ」

バケツに挿した花を抱え上げ、リヒャルトは優しい微笑みとともに立ち去った。
ぽつん、とユリアだけがそこに立ち尽くす。

(私……どうしたいんだろう…)

リヒャルトが言ったように、今のユリアはひどく迷っている。
この先どうすればいいのか、どうしたいのかが分からない。
此処にいると、外からの情報が一切手に入らない。
外界から完全に隔離されたここは、美しい箱庭だ。
そして自分は、その中のオブジェクトの一つだ。
そう、此処にいる間は、それでいいのだ。
だが──いつまでも此処にいる訳にはいかない。
自分は、いつか帰らなくてはならない。
だけど、こんな状態ではいつまで経っても帰れそうにない。
リベラルは、いくらでも居たらいいというだろう。
だが、それではダメなのだ。
そんな情けなくて弱い自分を、ユリアは受け入れられない。
受け入れられないということは、つまり、己を否定することになる。
それはつまり、あのできそこないになるということだ。

(そんなの、絶対に嫌!)

いくらそのように思っても、現実として容赦なくユリアに襲い掛かる。
己が何をしたいのか、なすべきなのか。
自分を導いてくれるものがないのは、こんなにも不安なものなのか。

(私……私は……)

ぐるぐる回る思考回路の海に沈むユリアの瞳は、絶望を映し出し、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
それを拭い去ってくれる優しい手は、今此処にはない。
ユリアはただ一人、深淵の闇に呑み込まれていく。
もはや、首まで浸かって窒息寸前だった。
もうこのまま、此処で果てるまでいるのかもしれない。
何処にも希望を見いだせぬまま、ユリアは重い足取りで屋敷へ帰っていく。

──そんな昏い闇から救い出す手は、ある日突然やってきた。