明らかにそれは、儀式屋に対しての脅し文句と取って良かったろう。
だが、当の儀式屋は何もしなかった。
ただ、赤いその瞳をハワードに向け、じっと観察している。
その視線が、まるで彼を試しているようで、余計にハワードの神経を逆撫でた。
くそっと口中で呟くと、ひと思いにそれをひっくり返し、床へ力強く置いた。
がしゃん、と中に詰まったものが大きな音を立てる。
ハワードは、肩を揺らしながら笑い出した。

「は、はははははっ!これでこの私も自」
「ハワード、貴方の自由はまだまだ来ないよ、ごらん」

すっと死者の指が砂時計を指差す。
鷹のような目が下方へ流れる。
その目に映し出されたのは、中身が全く落ちない砂時計と驚愕だった。
ハワードは勢いよく跪くと、自然の法則を無視する砂時計を掻き抱いた。
そして、激しくそれを揺さぶる。

「な……何故…っ!?」

先刻まで確かにあった総統としての面影は、もはやなかった。
あるのは、理解不能な現象を目の当たりにして狼狽える、弱々しい人間の姿だ。
儀式屋はその彼に、変わらない声音で疑問に答える。

「言ったろう、ハワード。貴方は、この運命から逃れられない。貴方の行く末は決まっているのだよ」
「い、いやだ……嫌だ!私はそんな目に遭いたくない!!私は……」
「ハワード」

それまであった儀式屋と総統の距離が、瞬きをしたその間に一気に詰められた。
それに反応しきれぬ間に、儀式屋の手によりハワードは強制的に彼を見なければならなかった。
目を閉じればいいのだが、一重瞼に嵌る真紅の目が、許してくれなかった。

「私は貴方に選択肢を与えた。安寧なる死と激動の永遠。貴方は安寧なる死を選んだ……砂時計を倒したその時、貴方の望む死が訪れるということだ」
「ああそうだ。だのに何故、今、私は死ねなかった!?」
「忘れたのか、ハワード・ジョン・ポートボレール。貴方は何ものからも逃げられない」
「!」

びくり、とハワードの体が文字通り跳ね上がった。
鼻と鼻が触れ合いそうなその距離で、儀式屋は言葉を連ねる。

「貴方は私に対し大罪を犯している。その代償は自らの全てを以てして支払わねばならない」
「私は……」
「貴方の今の地位は偽りの地位だ。今の地位は、貴方のために用意されたものなどではない。かの20年前から、全てが狂ったのだ」

一言一言、儀式屋が吐き出すそれは、糾弾するかのような激しさはなかった。
ただ、じわじわとハワードを追いつめているのは確かだった。
一歩後退りした彼を、素早く儀式屋の手がそれ以上の後退を食い止めた。

「貴方は今の地位を奪い取った……これでは、かつてのハワードT世と私との間に結ばれた約束を違えることになるのだよ」
「約束、だと?」
「正統な後継者たる者、偽りを抱えることを禁ず……貴方は枢密卿の頃から、偽りを抱えている。先代トップを誤魔化せても、私の目までは誤魔化せぬよ、ハワード・ジョン・ポートボレール……その罰として、貴方はその時が来るまで死ねないように、したのだよ」

薄笑いが張り付けられた能面、だが見る者はきっと誰もがそこから恐怖を感じたろう。
彼は笑っているのではない、嗤っているのだ。
ハワードはそれに恐怖を覚えたが、それに屈するよりも屈辱的だという思いのが大きく上回って、彼に噛み付いた。

「貴様……何の権限があってそのようなことを!私は今、お前を従えているのだぞ!」
「くっ………はははっ、ハワード。貴方も面白い冗談を言うのだね」
「なに……?」

くつくつと、隠しもせず儀式屋はひとしきり笑った。
陰を背負ったような笑い声が、それとは似つかわしくない部屋に広がる。

「構わないさ。そう思いたくば思うがいい。だが事実は変わらないよ、ハワード。貴方は出来うる限りの策を以てして回り、身内を騙し、終わりが来るそのときまで、定められた運命の掌の上で踊り続けるといい」

ぞわり。

奇妙にエコーが掛かった儀式屋の声と共に、ハワードの周りに潜む闇という闇が、一斉に動いたような気配を彼は感じた。
はっとして周りを見渡すが、室内には何一つ異変はない。
そうして再び視線を儀式屋に合わせたが──

「……………」

合わせようとしたが、既に儀式屋は跡形もなく消えていた。
ただ、ハワードの影が元のように床に落ちているだけだった。