序章§01

──それは、こんな噂だ。

貴方が何かを取り返したいとき。
あるいは、過去に戻りたいとき。
魔法使いが現れる、という噂だ。
だが、魔法使いを呼ぶには、ある手順を踏まなければならない。

それは、こんな方法だ。

まず、深夜2時に花を一輪持って、家の外へ出る。
この花は、真っ白なまだつぼみであればどんなでも良い。
次に、取り返したいモノがある場所、戻りたい場所まで移動する。
そこへ着いたら、花を持って目を閉じ祈る。

“私の願いに気付いて下さい”

それを何か起こるまで、ただひたすら繰り返すだけだ。
そして、何か変化があったと感じたら目を開ける。
この時、花に何も変化がなければ更に続ける。
もし、花が色づいていたり咲いていたりしたら、次の段階へ進む。
花を見つめながら、自分の願いを強く思うのだ。

そうすれば“彼”は現れる。

“彼”は、取引を持ちかけてくる。
“彼”の要求を満たせば、その願いを叶えると言ってくるだろう。
それに承諾して“彼”に花を渡したとき、契約は成立する。

ただし気を付けなければならない。
このことを誰にも言ってはいけない。
花を渡した時点で、貴方はもう後戻りは出来ない。
そして、“彼”の要求を必ず満たし、誤魔化してはいけない。
もし、このどれかを破った場合、貴方は覚悟をしなければならない。

それは………

序章§02

「怖いねぇ、怖いねぇ」

にたり、と。
真っ赤な唇が嗤って言った。

「僕はこれでも、一応人間にはまだ優しいからねぇ…それはちょっと、酷すぎない?」

それ、と指を差して彼は言う。
指さした先には赤い水たまり。
その中に、ぽつんと男が佇んでいた。
その男も、頭の天辺から足の先まで、真っ赤に染め上げられている。
…それは、どう見ても人間の血液だった。
その証拠に、この部屋中に鉄臭い匂いが満ちている。
気分が、滅入りそうになるほどの異臭。
その元凶が、佇む男の足下に転がっていた。
だが、もはや原型を留めてはいない。
見ていられない光景が、そこにはあった。

だが彼は顔を背けなかった。
銀の前髪に隠れた淡い緑の瞳を弧に描き、紅を引いた唇を歪める。
──完全に、それは笑顔と呼ばれる表情だった。

「それに、僕はそこまで怒っちゃなかったさ」
「……いいや、貴方の気持ちはお見通しだよ」

と、誰かが彼にそう答えた。
佇んでいる男ではない、彼の背後からだ。

「貴方は嘘が好きだ、でなければどうして私がここまでしようか?」
「それは、君が猟奇的だからじゃなあい?」

くすくす笑いを零して、彼は背後からの問いに答えた。
わざわざ振り返って、相手を確認する必要はなかった。
彼は、とっくに気付いていたからだ。
そうでなければ、彼が黙って背を見せる訳がない。

「私が猟奇的?」

背後が、少しだけ笑いを混ぜ込んで呟く。

「それは大いに勘違いしているね、私は決してそうじゃない。貴方の命ずるままに動いただけ…そう、どちらかと言えば、貴方が猟奇的だ」
「ふふん?まぁいいけどね…でも、君も嫌いじゃあないでしょ?」

ここで、初めて彼は振り向いた。
何となく、背後の今の表情が知りたかったからだ。
そこには、黒髪の男がいた。
その男は、今も血だまりに佇む男と、全く同じ顔だった。
ただ違うのは、その顔はほんの少しだけ笑っているということ。
男は、笑ったまま答えた。

「嫌なら引き受けたりはしないさ」
「ほぅら、やっぱり猟奇的」

彼が満足げにそう宣言すると、人指を立ててさっと横へ振った。
途端に、それまであった光景は消え失せ、辺りには何もない空間が広がった。
それから彼は、男へ赤いつぼみの花を差し出した。

「はい、お約束の品物」
「これは綺麗な…」

受け取り、男は至極嬉しそうに言った。
彼は、片目を閉じウィンクしてみせると、得意げに言ってみせた。

「だってそれ、恋人を返してってお願いだったからさ」
「愛と憎悪の結晶なら尚更美しいね」

と、男はそれに口付けて、赤い瞳をそれは愛しげに細めて。

「…魔法使いから逃げなければ、この願いも叶って、私に会うこともなかったろうにね…」

男は、しかし、実に愉しそうに言葉を紡いだのだった。

序章§03

……本当の脅威は、魔法使いではない。

魔法使いは、決して追わない。
じっと、逃げる貴方を視ているだけ。

暗闇の中を逃げると、やがて1つの明かりが見える。
次第にそれが家の明かりだと分かるくらいに近くなったとき、貴方は覚悟をしなければならない。

生きるか、死ぬか。

扉を開ける前に、強く心しなくてはならない。


もし、開けて中に誰も居なければ、貴方は生きて帰れるだろう。

だが、もし誰かが居たら、貴方はもう帰れない。


その者は、貴方が魔法使いを呼んだときから監視している。
その者は、常に魔法使いの影に潜んでいる。

その者は、魔法使いと共に都市伝説とされている。




その名は──“儀式屋”




To be continued...

一章§01

まだ陽も差さぬような時間帯から、その日は騒がしかった。
いつもであれば放っておくのだが、どうにも今回はそうはいかなかった。
というのも、それは単に騒ぎが気になったからではない。
自分の睡眠を妨害した者を、許さずにはいられなかったからだ。
すぅっと彼女は息を吸い込むと。

「もっと、静かに、出来ないの!?」
「……おはようアリア、起こしてしまったのかな?」

ぴたっと、音が止んだ。
それから少しくぐもった声が、ベールの向こうから返事を寄越した。
アリアと呼ばれた彼女は、少しつり目気味の目を更に吊り上げる。

「当たり前よ!こんなに五月蝿くされたら起きるに決まってるじゃない!」
「やれやれ、一応ベールをかけておいたんだがね」

声が近くなる。
それと同時に、ゆっくりとアリアの視界からベールがなくなっていく。
ベールが全てなくなると、今度は視界いっぱいに男の顔が映る。

少し長めの黒髪。
切れ長の、ルビーをはめ込んだような紅い瞳。
薄ら笑いを浮かべる唇。

そんな男が、アリアの顔のぎりぎりの位置にいる。
だが、アリアは気にはならなかった。
もはやそれは、自分が“ここ”に居る限り、逃れられない習慣だからか。

「…あのね、私は“鏡の中”にいるわけ。いくらベールかけても、振動が大きければ嫌でも起きちゃうの」
「ああ、それは失礼」

男は笑って、アリアに己の非礼を詫びる。
アリアはぶすっとして暫く男を睨んでいたが、やがて溜息をひとつ吐いた。
男は笑顔のまま彼女に尋ねる。

「もう私に怒らないのかな?」
「……もういいの、いつまでも怒ってたら疲れるわ…」
「それはそれは」
「ところで、朝から何してたの?」

アリアは先の話題をさっと切り上げると、今度は自分を起こした原因を尋ねた。
男は、ああと呟いた。

「急用が入ってね、ついさっき帰って来たところなんだ」
「こんな朝から?」
「そうさ。それで少しくつろごうと、色々していたら君が起きたのさ」

どうしてくつろぐだけで、そんなに五月蝿くなるのか。
アリアは疑問に思ったが、口には出さなかった。
この男の“くつろぐ”というのが、少々悪趣味なのを彼女は知っている。
だから代わりに、違う問いかけをした。

「どんな急用だったの?」
「聞きたいのかい?」
「だって私を起こした原因を作ったものよ、知りたいじゃない」
「いいよ。でも、それは後片付けをしてからでもいいかい?」

そこで漸く、男の顔がアリアの目の前から離れた。
そして、新たに視界に飛び込んできたものに、アリアは顔をしかめた。

「また貴方は…早く片付けてよ」
「言うと思ったよ」

男は実に楽しそうに笑って、床に散乱した何とも形容しがたい生き物の残骸と、真っ赤に染まった凶器の始末を始めた。
そんな後ろ姿を見つめながら、アリアはぶつくさ小言を呟く。

「全く…いくら自分の職業がそれだからって…毎回見るこっちの身にもなりなさいっての」

そう、嬉々として作業をする儀式屋の背を、暫くアリアは眺めていた。

一章§02

──…‥陽はとうに落ち、時刻は闇が支配する頃だった。

「おやすみ、アリア」

儀式屋は、既に眠ってしまったアリアの鏡に、ベールをかけてやる。
それから振り返って…ランタンの灯りにぼんやりと浮かぶ、アンティーク調の柱時計に目を遣る。
長針と短針が、もうすぐ重なりそうだ。

「…………」

彼は、物音を立てぬように室内を横切ると、玄関へ向かう。
『OPEN』となっているプレートを、反転させるためだ。

──彼がそう呼ばれるように、此処は“儀式屋”という店だ。
名前を聞く限り、誰かのために儀式を執り行っているのかと思うが、そうではない。
此処は、儀式をするために必要な道具を、すべて取り揃えた店だ。
また、執り行うための個室も用意されている。

ただし、正当な者のためにではない。
少し訳有りな者のために、だ。

「さて…今日は何人の人間が、苦しんだのやら…」

『CLOSED』とプレートを置くと、彼はふと呟いた。
…呪いをかける者も、少なくはない。
寧ろ、大半はそうした連中ばかりだ。
そして、その呪いにかかっても生き残った者が、いつか此処へ来る。
その呪いを解き、更に呪い返すために。
そうして呪いは延々と循環していく。
どちらかが息絶えるまで。
その間、ずっとこの店は必要とされる。
…そうした者が、居続ける限り。

しかし──


「……!」

部屋へ戻った直後、彼は雷にでも打たれたかのように、硬直してしまった。
それは、微かに部屋に聞こえた呻き声によるもの。
真紅の瞳を鋭利なまでに細めると、聞こえた方を見つめる。
その視線の先は、彼の机上に置かれた烏を模したオブジェ。
声は、そこから発されていた。

「…喚ブ…彼……女…」

小さく開かれた口からは、その単語だけが繰り返し吐き出された。
儀式屋はそれを聞くと体の緊張を解し、その顔に笑みを浮かべた。

「“魔法使い”が喚ばれた…」

くすくすくすくす。
笑いを零すと、彼は椅子に引っかけていた闇色のコートを羽織る。
その様子は何処か楽しそうで──そう、まるで新しい玩具でも見つけたような。

「今夜はどのくらい私を魅了してくれるかな?」

そう言葉を紡ぐとランタンの灯りを消して、彼は闇に溶けていった。
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