Jの合図と共に巻き起こった小爆発。
その隙に、彼はユリアを落とさぬようしっかり抱き上げて、その場から直ぐ様逃げ出した。
地を駆けて、寂れた建物の群生の間を抜けていく。

「……こんなもん、かな」

大股で走っていた彼は、そう呟くと共に漸く立ち止まった。
それまで必死にJに掴まっていたユリアは、彼が止まったことで胸に埋めていた顔を上げた。
目に入ったのは、薄暗く天井の高い空間だった。
入り口はユリアたちが入ってきたそこだけである。
古びた受付、クッションが破れてしまっているソファ、塗装の剥げた壁を見ると、何処かのホテルロビーのようだとユリアは思った。
何年も人が立ち入った形跡がないようで、吸い込んだ空気が黴臭かった。

「さてと……ユリアちゃん、ちょっと降ろすよ?」
「は、はい」

然程低くない彼の声が、ユリアに確認するように囁かれた。
慌てて返事をして頷けば、Jはゆっくりとユリアの足を地面へと導いた。
完全にユリアが自分で立ったところで、彼は手を離した。

「大丈夫?どっか痛いとことかない?」
「あ……えと、ないです」
「そっか……良かったぁ…」

盛大に溜息を吐いて、わしゃわしゃと己の赤髪を掻いた。
それからすぐに、何処か改まった様子で咳払いをひとつする。
少し金瞳を彷徨わせたあと、意を決したようにユリアを真っ正面から見た。

「もう……彼女から聞いたんだろうね」
「え……?」
「俺が、避けてた理由」

刹那、ユリアは息を呑んだ。
やや居心地が悪そうに、だがJはそこから逃げることはせず、真剣な表情で言葉を続けた。

「……俺は不器用だから、あんな方法でしか、ユリアちゃんを守れない。傷付くって分かってたし、そんな俺を嫌いになって欲しかった。俺みたいな危険な奴の傍に、ユリアちゃんを置いとけない」
「…………」
「馬鹿みたいって、思ってくれていいよ?それでも、ユリアちゃんが無事なら良かった。幾ら嫌われたって、それで」
「……何で、言ってくれなかったんですか」

え、と自嘲を含んだ目線が斜め下へ向かっていた彼は、ユリアを視界に入れた。
そこには、眉をやや吊り上げながらも、今にも泣きだしそうな顔の少女がいた。
初めて見るユリアの表情に、Jはただぽかんとしてユリアを見つめた。
向日葵色の少女は腰に手を当て、出来る限り目を鋭くしてJを見上げる。

「一言、近づいたら危ないって、言えば良かったんじゃないですか」
「でも、あんなことのすぐ後だと」
「Jさんは、私を見誤ってます!」

大きな声でびしっと指を差して言われ、吸血鬼は身を少し怯ませた。
年齢差にして、既に何百という差があるにも関わらず、遥か年下の少女に驚くとは、吸血鬼も形無しである。
だがJは、不思議そうにユリアを眺めた。
益々顔に怒りを滲ませながらも、その黒曜石が徐々に潤いを増していくのだ。

「……皆さんに後で聞きました、何でJさんがあんなになったのか。私、それを聞いても貴方を嫌いになんか、なれませんでした。そして、今もです」
「……ユリアちゃん」
「私は、Jさんが思うほど怖がりでも、弱くもないです……少なくとも、Jさんが吸血鬼であることを、受け止められるくらいには」

そこまで言い切って、耐えるようにきゅっと唇を噛み締めた。
Jは隻眼を見開き、それからふっと目元を和らげた。
一生懸命に涙を堪えているユリアの頭を抱き寄せて、ぽんぽんと頭を撫でてやった。

「……、敵わないね」

Jの意味するところが分からず、彼の体に押しつけられていた顔を上げた。
見上げてくる少女へ、一言一言、丁寧に言葉を伝える。

「儀式屋は君を高く評価してる、覚悟をすれば強いって」
「……でも私、」
「強くないっていうんだろ?俺は……正直言って君が、そんな強いなんて思ってなかった。だけどそれは、さっきのユリアちゃんの言葉で、覆された」

彼の瞳に灯るそれは、とても柔らかく生き物全てを見守る陽の光だった。

「こんな俺を受け止めてくれる君は、その通りだ……有難う、ユリアちゃん」

そう述べると彼は、ユリアの目から溢れた雫を優しく親指で拭った。