はっと息を呑む音が、闇を纏った男の鼓膜に届いた。
扉の横に突っ立っているヤスも、驚きを隠せず顔に表れている。
だが、儀式屋は相変わらず薄く笑った顔だ。

「そう。僕はそう言った…でも君は、まるで僕に渡す気がないように見えるね」

腕組みをし、苛立たしげに言葉を吐き捨てた。
くっと咽を鳴らし儀式屋は笑うと、静かに答えた。

「……サン、この子は貴方の玩具にはなれないよ」
「…何だって?」
「玩具になれない」

しん、と静まり返った廊下。
ぽかんとして、サンは儀式屋を見つめた。

「…私は尋ねた。逃げるか、罰を受けるか。どちらを選ぶにしろ、私は貴方の命令を遂行するつもりだった。だがね、この子は私の予想を越えた」

思い出すように目を閉じ、ひとつひとつの情景を丁寧に語る。

「自らこの子は罰を受けると言い出した。それだけじゃない、今回巻き込んだ少年から、我々の記憶を消すよう頼んだ。もしも、それが少しでも好印象を残し罰を軽くしたいが為ならば、私は却下した…ユリアの目は真剣だった。あんなに恐れていた私の目を、真っ直ぐに見返してきた」

真実を見極める為の瞳。
そこに映ったのは、純粋さと、強靱な精神。
決意は、本物だった。

それが、儀式屋を動かした。

「長年、様々な人間を見てきたが、この若さであれだけ強い精神があるとは思わなかった。私は気に入った…ここで失うのは、惜しいと感じた」

そこで、真紅の瞳を開く。
呆然としている魔術師が、視界に入った。

「だから、サン。貴方の玩具にする価値に値しない」
「………信じられない」

ぽつりと、微かな声でサンは呟く。

「信じられないよ、儀式屋クン…あんなにあの子、弱くて愚かで可哀想な子だったじゃないか!!!!」
「私は嘘は吐かないよ」
「知ってるよ!だからこそ信じられない…あぁもう……!!」

叫ぶだけ叫ぶと、髪をわしゃわしゃと掻く。
そして、ぴたっと止めると、顔をこちらへ向ける。
翠瞳は見えないが、鋭い眼光で睨まれているのが分かる。

「大体“オレ”が最初に目を付けたのに、横取りするつもりか!?」
「心外だな…私は貴方の為に選別したまで。貴方の条件に不適だったものを、私がどう扱おうが構わないだろう?」
「オレが遊ぼうと思ったんだ!そんなの、不良品だろうが何だろうが、欲しかったんだ!!」
「……サン、こんなこと言いたくないが、私は怒っているんだよ」

段々口調が荒々しくなる魔術師に、儀式屋は今まであった笑みを打ち消した。
その瞬間、彼から溢れだした何か冷たいものに、思わずヤスは後退った。

(旦那、完全にキレてる…)

過去に何度か見たが、やはり未だに慣れないこの寒気。
息を殺し、ヤスは成り行きをじっと見る。

「怒ってるだって!?それはオレの台」
「…貴方は、私の所有物を傷付けたらしいね?」

口調は変わらない。
だがその声は、微かな怒気を孕んでいた。
それに気付いたのか、サンはすぐには言葉を返せなかったが、此処で負けるつもりはなかった。

「オレが?そんなことしてない!」
「いいや、している。貴方はアリアを傷付けたはずだ」
「……ああ、鏡に手を入れたこと?それが──」
「他者の庵内で勝手に所有物を破壊した場合、所有者は破壊行為をした者を罰して良いそうだよ」

こつ。

あれほど微動だにしなかった儀式屋が、一歩踏み出した。
儀式屋の行動が予想外だったのか、サンはたじろいだ。

「儀式屋!お前、まさかこのオレに逆らうつもりか!?」
「此処は私のテリトリーだ…普段、私よりサンの立場が高くとも、此処では通用しない。貴方は単なる侵入者にすぎない」

突き放したような物言いに、サンはどうしようもない焦燥感を感じた。

どうする?
干渉域が広まったとはいえ、大きな魔法はまだ使えない。
だがこのままでは…!


「チェックメイト、だね」
「!!」


儀式屋の手が魔法陣を描き、それをサンへと向け放った。