にっこり笑って佇む男。
目は銀髪で隠れているが、確かにこちらを見ている。

いつからいた、とか。
どうやって入った、とか。

そんな常識など、この男に当てはまらない。
ただ、必ず見える位置にいたはずなのに、意識が向かなかっただけ。
この風景の中に溶け込んでいたため、気付かなかっただけ。

たった、それだけなのだ。

「……随分なご挨拶だね、ヘンジン」

妙な沈黙が降りた中、漸くJが口火を切った。
金瞳が、挑発的な色を覗かせている。
“ヘンジン”と呼ばれたサンは、やっと喋った相手に気をよくしたのか、先程より僅かに弾んだ声を出した。

「ふふん?“名無し”クン、君ったら人のこと言えるのー?」
「俺は個性が強すぎるだけで、生まれつき頭狂ったヒトじゃないさ」
「バケモノに言われたくはないなぁ」
「ふ、二人とも落ち着くっすよ!?」

双方の決して笑っていない笑顔が、急激に室温を降下させる。
このままでは、凍結してしまいそうだ。

変人度など、どちらも変わらないじゃないか。
だが口にすれば、それは自殺行為と同義である。
言いたいのをぐっと堪えて、ヤスは立ち上がって止めに入った。

「うーん…、そだね!名無しクン、勝負は持ち越しだ!!」
「俺は最初っから勝負してたつもりないけどね」

べぇっと真っ赤な舌を出すと、そっぽを向いた。
どうやら、これ以上温度が下がる恐れはなさそうだ。
ほっとして息を吐くのも束の間──ヤスがはっと目を上げると、眼前にサンが立っていた。
黒い瞳をこれでもかと見開くと、魔術師はくすっと笑った。

「お招きありがとう、僕ぁすっごく嬉しいよ」
「え?お、俺はサンさんのことは──」
「呼んだよ、ここで」

すっと白い手が伸びて、ヤスの胸に当てた。
まだ分からない顔をする彼に、サンは一言。

「“サンさん、このこと知ってんすか?”」
「!!」

悪趣味な黒のルージュを引いた唇が、ヤスの声を真似て、否、ヤスの声でそう言った。
びくっと、ヤスは身体を震わせる。

「あはっ、変なの!剣士クンってば、言った途端すっごい心臓ドキドキし始めてるよー?」
「っ……!」

指摘され、いっそう激しく脈打つ。
この魔術師、次に何をするのか読めないため、恐怖が倍に膨れ上がる。
ましてこの至近距離だ、相手の手中にいるも同じ。
ヤスは自然と身を硬くする。

サンは──しかし、それ以上は彼に何もしなかった。

伸ばした時同様、ゆっくりとした動作で手を離す。

「びっくりした?ごめんねぇ?ちょっと座ってて」

とんっと肩を指で押され、そのままよろけるとソファに座り込んだ。
魔術師から離れた瞬間、思い出したように汗がどっと噴き出した。
どくどくと、未だに鼓動の波は大きいままだ。

「…迂闊すぎるよヤス君」
「ご、ごめん」

いつでも動けるよう降ろしていた片足を再度上げ、呆れたようにJはぼそっと呟いた。
罰が悪そうにヤスは謝る。

「聞きたいことはいっぱいあるんだけどー……君がいいかな?」

二人のそんなやり取りを傍目に、サンはその相手を指さした。

「ねぇ、“このこと”ってなんのことかなぁ──鏡ちゃん?」
「!」

指をさされた相手、アリアは青白い顔を引きつらせる。
爪先の向きを変え、サンはにこにこ笑いながら一歩踏み出す。

「…や…だ」
「あはっ、もう鏡ちゃん、そんな嫌がらないで?」
「やだ……嫌だ、来な、いで」
「でも、君なら何でも知ってるし」

一歩、また一歩、近付く男にアリアは、震えが止まらなかった。
蒼色の目には、うっすらと涙さえ見える。

アリアの心は、恐怖で埋め尽くされていた。
それは、一時的なものからではない。
もっと深い、彼女の心の中に根付いた──トラウマだ。

本能的に、彼が眼前に立つ前にばっと離れたが──


「お喋り、しよ?」
「──ひっ!?」


距離を一気に詰めると、魔術師の手は硬いはずの鏡をいとも簡単に通り抜け、鏡の中の美女へ伸ばされた。